鬼を名乗りて⑨
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- 2020/02/03 23:40:04
今年もあいつらがやって来た!
だが近年は恵方巻に押されて幾分影が薄いようだ
「最近の若い奴らはよう、豆を撒かずに太巻き食うらしいぜ」
「それもう鬼関係ないじゃん!」
「俺たちもロートルってことか・・・」
そんな恨み節はさておき、今年の鬼を紹介しよう!
彼の名は「鬼官兵衛」 幕末を駆け抜けた会津の鬼
佐川官兵衛が今年の鬼だ!
鬼の名の由来
会津藩士の家に生まれ、藩校日新館を優秀な成績で卒業 25歳で家督を継いだのです
優秀ではあったが直情的な面もあり、江戸での勤務の際には火消し数人と揉め事になり
数を頼みに捲し立てる火消し2名を切り捨て、数名に大怪我をさせるという事件を起こします
怒らせてはいけないタイプの人間ですね…間違いなく
このことで減給の上、会津で謹慎の日々を送ることとなりました
しかし類稀なる武勇を時代は、放ってはおかなかったのです
藩主である松平容保がが京都守護職に就任すると
別選組の隊長としてその警護に当たることになりました
別選組とは、藩主警護の為に弓馬槍剣のうち二芸以上の免許を持つ武芸者ばかりを
集めて組織した隊であり、言わば会津藩最強のエリート部隊というわけです
謹慎からエリート部隊の隊長とは大出世ですね!
さらに時世は彼を呼び込みます
就任直後に始まった新政府軍との戦闘「鳥羽・伏見の戦い」では
別選隊を率い銃弾飛び交う戦場で苛烈に戦います
刀折れ右目を負傷しても戦意を失わない彼の姿は鬼そのものであり
敵の薩摩兵はそのいかれっぷりに「鬼が出た~鬼官兵衛だ~」と叫んで回りました
こうして瞬く間に鬼官兵衛の勇名は薩長の間で轟くことになったのでした
しかし善戦空しく、鳥羽・伏見の戦いは新政府軍の勝利に終わります
鬼と恐れられた官兵衛も撤退を余儀なくされます
退却に際し、官兵衛は巨大な唐傘を差し顔を隠すように引いていきました
味方が「敵の格好の標的になります おやめください!」
と傘を畳むように懇願しますが、官兵衛は
「こんな負け戦をしてしまった… みっともなくて顔をさらせるか!」
と唐傘を差し悠然と引き上げたのでした
孤軍奮闘の果てに
新政府軍は東へ東へと兵を進めてきます
官兵衛は戦時中の特進で千石まで加増され兵の指揮権を与えられます
越後戦線に出陣し長岡藩と共闘していましたが、
会津まで新政府軍が寄せてきたとの報を受け、会津へと帰還します
この退却の際には帽子を前後逆に被り
「これで敵に背を向けたことにならない!」
と笑い飛ばしたという、ちょっとユーモア溢れる鬼だったようです
官兵衛が会津に戻ると直ぐに、新政府軍は会津城下へと殺到しました
会津藩は奇襲をもって敵の気勢を削ぐこととし、
夜の明けきらぬうちに精兵千人を以って仕掛ける算段となりました
官兵衛はその指揮を一任され、藩主容保から宝刀の正宗を拝領することとなりました
ところがこの鬼やらかすw
未明での出撃なのに深酒をしてしまい、部下がどんなに起こしても起きない
結局未明どころかしっかり陽が登ってからの出陣となりました
そんなものが奇襲になるわけもなく、結局この出撃は失敗と終わりました
ちなみにこの鬼
自分の結婚式でも前日に深酒過ぎて式に大遅刻をする、という失敗をやらかしているのです
こうした話を聞くと、酒に飲まれるタイプだったのかもしれないですね
さて奇襲を失敗させた官兵衛は負傷兵を門まで運ぶと、踵を返し再び戦場へと向かいました
正宗を拝領した際、藩主容保に「目的を果たすまで決して帰りません」
と約束したことを律儀に果たそうとしたのです
城外でゲリラ戦のような戦い方で各地を転戦し、次々と占領された場所を奪還
獅子奮迅の活躍を見せたのでした
しかしながら勝ちまくっている官兵衛とは対照的に、
包囲された鶴ヶ城は総攻撃を受け続けており、刻一刻と落城の時は近づいていました
限界を超えてついには開城、会津藩はここに降伏しました
しかしながら奥会津では今だ戦火は収まらず。火の手は上がり続けていました
勿論この火の主は、官兵衛その人
官兵衛は降伏の知らせを持ってきた新政府軍の使者に
「薩長の何が王師だ! 我が藩を朝敵から外さぬ限り戦い続ける」(*王師とは皇軍のことです)
と一喝し戦闘を止めようとはしませんでした
こうして会津藩降伏後も官兵衛は戦い続け、そして勝ち続けたのでした
既に勝敗の決まった戦、勝った新政府側の兵士は、
「こんなところで怪我でもしたら馬鹿みたいだ」と官兵衛の部隊を見ると我先にと逃げ出す始末
一方の官兵衛の隊は当に命を捨てており、これではとても戦になるはずもありません
結局三日間勝ち続けた官兵衛でしたが
藩主容保の「官兵衛、先に降伏して済まなかった」という書状を以って
矛を収め、新政府軍に降伏したのでした
鬼の最期
戦後会津藩は下北半島へ移封され、官兵衛もこれに従います
過酷な生活を強いられた官兵衛の元へ薩摩の川路利良がやってきます
「会津には鬼官兵衛なる人物がいたはずだ!」
警察組織を強くするために屈強な人材を求めていた川路は
とんでもなく強かった官兵衛のことを覚えていたのです
官兵衛はこの誘いを数度断っていましたが
三百名の食い扶持を稼ぐ条件で警視庁への出仕を決めました
官兵衛への説得には、既に警視庁へ出仕していた斎藤一の口添えもあったと言われています
元々味方であった士族の反乱を鎮圧して回る仕事
明治の世は官兵衛にとって至極生きにくい世の中であったことでしょう
薩長に下って、元の仲間と戦って食い扶持を稼いでいるのですから…
そんな中、西南戦争がついに勃発
官兵衛は豊後口第二号警視隊副指揮長兼一番小隊長として従軍します
両軍ともに横暴な振る舞いが多々見られた西南戦争ですが
官兵衛は部下の略奪行為などを厳しく戒め、不祥事を一切起こさず現地住民に尊敬されたようです
阿蘇に入ると、官兵衛の部下が「こちらが有名な鬼官兵衛さまである」
と紹介したため周囲の住民は「鬼」を苗字と勘違いして
「鬼さま、鬼さま」と言って慕った
子供に対しては、頭を撫でながら
「よしよし、今度敵の首取ってきてやるからな」と笑って言っていたといいますが
さすがにそれはちょっと子供もドン引きなのではないだろうか?
黒川村にて薩摩軍と激突した官兵衛の隊
官兵衛はその中に一際立派な、なりをした男を見つけます
「御大将とお見受けするが如何に?」
「左様、鎌田雄一郎申す そなたは?」
「鬼の官兵衛といえばわかるかな?」
こうして始まった大将同士の一騎打ちは溝口一刀流と薩摩示現流の争いでもあります
互いに剣を構えてにらみ合い、示現流特有の猿叫を合図に二人は切り結びます
一撃必殺で知られる示現流ですが、官兵衛はその対策を持っていたと言われています
それは偏に、いつか薩摩を討つ
その一心で編み出したものだったのでしょう
次第に優位に立ち始めた官兵衛、態勢を崩した鎌田に止めを刺そうと刀を振り上げた瞬間
パンパンパン
横合いから三発の銃弾を胸に受け、官兵衛は前のめりに倒れます
藪に潜んでいた薩摩兵の狙撃でした
最期まで戦場に立ち続けた鬼の異名に恥じない最期だったと言えるかと思います
「君が為 都の空を 打ちいでて 阿蘇山麓に 身は露となる」
明神ヶ池の水を飲んで詠んだとされる辞世の句です
刀以外何も持たずに戦場へ向かった官兵衛は
もしかしたらここで死ぬことを予感していたのかもしれません
今年の鬼はいかがだったでしょうか?
お酒でやらかしたり、子供に慕われたりと人間的にも魅力がありましたね
それではまた来年お会いしましょう!