1・17 から25年・・・。
- カテゴリ:その他
- 2020/01/17 22:00:00
'95.1.17 の災害から今日で25年たちました。
現地の方々からは「同列に語るな!」と お叱りを受けるかもしれませんが、
O阪も かなり揺れましたです。
余震も度々あり、その度「今度こそ終わりかも・・・」と恐怖しましたです。
それまで とかくO阪という処は大地震や台風など おおよそ大災害と呼ばれるものから
逃れてきていた感があり、それゆえどこか「対岸の火事」みたいに
物的にも心理的にも呑気に構えて、備えも甘かった様に思います。
'18.9.4 の台風21号でも強風の為に家は揺れ、頭の中を
“家屋倒壊”
・・・の文字が渦巻くほど、「今度こそ終わりだ!」と覚悟したぐらいでした・・・。
人類の科学の進歩だナンだ大層に言っても こういう大災害の前には てんで無力ですね・・・。
だけど「対岸の火事」などとはゆめゆめ考えずに
常日頃から物的・心理的 両面のわたって充分に備えておきたいと改めて思う今日の日でした。
・・・と、柄にも無くマジな話になってしまったので、最後に幼少の頃のヨタ話をw
小さい頃、幼稚園や小学校では、
「地震がきた時は すぐテーブルや机の下に潜りましょう」と言い聞かされてきたので、
ある程度大きくなっても速攻そのようにしてたのですが、
ある時、今は亡き父といた時に地震があって(微震だか軽震だか弱いものでした)、
即、教えの通りコタツに潜ったら、
「M(←仮称/私の名)は地震きたらカメの子みたいに潜るなぁw」
と、のちのちまで笑いのネタにされましたとさ・・・。 il||li orz=3 il||li
そうですね、高速道路は丸ごと倒れ多くの方が亡くなられた神戸等と同列に語るのは憚られますが、
それでもO阪も瞬間最後を覚悟させられるに充分なぐらい揺れましたですね。
あれを「喉元過ぎれば・・・」と風化させてはいけない、と思います。
本文中では散々「備えること」と繰り返してますが、根本的に「未然に防ぐ」ということは
現在の科学だか技術だかをもってしても出来ないのが歯がゆくもありますね。
改めて引き算してみたらば私も当時は若かったなぁ・・・あの早朝、私は2階の部屋でゲームをやってたのですが、
そっこーTVに切り替えて事態を知ろうとしてたら、前出の「カメの子みたい」と笑ってた父(1階で就寝中だった)が
「大丈夫やったか?」と青い顔して上がって来たのが昨日の事のようです・・・。
来たる(・・・と言われている)南海なんちゃら・・・うまくスパンと抜けちゃあくれんですかねぇ・・・。
神戸の地震の時、大阪でも相当揺れましたもんねぇ~。
あの時、ちょうど自衛隊に居てた時やったので、あの年の事は強烈に覚えていますよ。
災害派遣やオウムのサリンの事件があって大変な1年でした。
震災の後、親を亡くして泣いてた子供たちも、もう~立派な大人ですもんねぇ~。
手を引かれてついて来てたあの子たちが、あんなに大きくなって・・・・
そりゃぁ~オッチャンも歳取るハズっちゅうモンやわ^^;
25年・・・・みんな、本当によくガンバって乗り越えたなぁ~・・・・と思います。