Nicotto Town


‘いつもありがとう’


受け入れること


次男の成人式が終わり、当面セレモニー的なものは予定0。穏やかなルーティンで、毎日が続いていく事に感謝。

月曜日@次男が式典に出掛けた後、在宅のダンナと2人で、彼の20年間を振り返りながら談笑。
ホント、色々あったよネ~幼少時は、最初の1歩が中々踏み出せない~なんて奇妙な?クセがあり、
幼稚園時代は、オデコを出したくないとマッシュルームヘア、運動会の朝突如拒否して、私服で引きずっていった。w

小学校@中学年頃、新任の先生がまとめられず学級崩壊しかけて、気づかない内にメンタルやられ、
ある日突然足が動かなくなったり、、中学&高校バレー部にいた頃は、まーケガの連続でヒヤヒヤした。(@_@;)

受験。 もうコレは言い尽くせない位のエピソードあるが、本人の名誉と私のトラウマで思い出すのはやめた。(笑

記憶を引っ張り出せば長く感じ、全体で見れば早い。。でも、とにかく20歳まで来た、、ヨカッタ。

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昨年末から、ずっと続く肘の痛みで、接骨院に通っている。前職場の院長が、廃業して場所だけ
譲った後任の若い先生は、とても感じの良い方だが、1番イイのがテーピング。←痛みの固定ではなく、
血流を促すためのモノだが、右の肘から手首にかけて処置して貰い数日、、痛くも痒くもナイ。

貼り具合が凄く上手で、付けているのも忘れる位~こういうジャンルで、こんなに差があるとは
驚いた。利き腕もあり、中々痛みが抜けず、毎回色々考えて、施術してくれるのも有難い。

ココまで生きていれば、身体のドコかしらガタが来る。焦らない、、時間かけてじっくり治したい。

同様に、昨年夏@声を失うレベルまで声帯を痛め、秋頃から徐々に復活してきた私の喉は、
今では生活に困らない状態になった。ソレでも、2度と再発せぬよう、マスクや加湿、喉の保温等、
出来る限りのケアと保護に努めている。でも、会話した友人何人かから、「まだ治ってないの?」
「風邪引いてる?」等言われる。医学的には治癒なのだが、ソレ以前の声と違うハスキーなままだ。

↑言われても、「もうこの(声の)ままかも、、。」と苦笑しつつ、スルーシテクレと少々悲しくなる。
咳払いすれば、少しクリアになるが、常に痰が絡んでいる感覚で重い。。自分にしか分からない。

もう、カラオケなんてほぼ行かなくなったが、元々合唱をヤッていたので、歌うのはとても好きだ。
発声すれば、前と違う歌声なのは、自分が1番分かる。((+_+)) 罹っていた耳鼻科で当時、何も考えず
「治れば元の声に戻れますか?」と聞いて、「元に戻るかは分からない。」とドクターに言われた。

声を出すには問題ナイが、発声のメカニズムを調べれば、声帯の形状が変われば、声も変わるのは仕方ナイ。
歌手じゃナイから、死活問題なレベルではなく、自他共にこの声に慣れればよいだけである。( ̄∇ ̄*)ゞ
(現に家族は、とっくに慣れてしまったようで、、、イヤ、無声の時からスンナリ受け入れていたw)

思う事はあるが、全て自己責任。。。自分で蒔いた種は自分で見守り、刈り取る時期も自分で決める。
現状を受け入れて、でも完全には諦めず、何か方法はナイかと、ゆっくり探していければと思う。




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