1986年にヒ素は輸入・製造・使用が全面的に禁止
- カテゴリ:日記
- 2020/01/09 06:19:18
1986年にヒ素は輸入や製造、そして使用が全面的に禁止されるようになりました。
和歌山毒物カレー事件は1998年7月25日。
そうなると、事件当時 シロアリ駆除業者は在庫でヒ素毒を持っていたとしても不思議はない。
サニックスが当家を駆除した当時、
昔の話なのでシロアリ駆除したのが何年なのか分からん。
とりあえず西暦2000年に駆除したと仮定する。
すると20年前にシロアリ駆除した事になり、当時のシロアリ殺虫剤にヒ素が混じっていた可能性はない。
この殺虫剤の臭気は凄まじく、こっちが死にそうになる臭いだった。
その臭いを私は長年 ヒ素 だと思いこんでいたが、ヒ素毒は無味無臭なので私が感知できる訳がない。
だからこそヒ素毒は長年、暗殺用の毒として使われていたのだ。
ヒ素毒を使っていないシロアリ殺虫剤の場合、揮発する関係で5年でシロアリ防虫効果はなくなる、とされる。
すでに20年経過しているからシロアリが居ても不思議はない。
そうは言っても先日、焼板壁の塗装でキシラデコールを大量に使用した。
このキシラデコールは殺虫効果もあるし、家の中は塗料の異臭で こっちが死にそうなぐらい。
だとすれば、それでシロアリ駆除になった可能性もある。
サニックスが床下を調べるとなると、畳をめくって面倒なこと 甚だしい。
シロアリの兆候がないのだから調べてもらわん方が良いだろう。
大体からして無料調査なんかしたってサニックスは儲からん。
だとすれば調査でシロアリが見つかりませんでした、という報告はあり得ないという事にならないだろうか。
最初からシロアリありき、という調査なら 調べてもらわん方が良い。
もう一つ林真須美は妹かばってああしてると言われています。
林真須美のヒ素カレーを食べた町内会長は手当てが遅れて死んだ。
町内会の険悪な雰囲気が気に入らないからとヒ素を放り込んだ林真須美が真っ先に疑われるのは当然の流れだが、直情的な性格だった事は間違いない。
このため林健治は歩けない、という障害を負ったとされるが、実際には杖をついて歩行していた。
一種一級の重い障害者手帳を取るために歩けないという演技をしていたと思われる。
林健治はマスミを暴行したが、金儲けのために保険金殺人が有効だというので、シロアリ駆除要員の自社社員を毒殺することで保険金を稼ぐ事を生業にした。
保険金殺人での利益が大きかったので林一味は豪邸に住んで、4人の子供をもうけ育てていたがマスミが戯れに町内会毒殺事件を起こしたことにより、報道機関に目をつけられX夫婦として報道された。
逮捕後はふてぶてしい態度で取り調べに応じたが終始、黙秘権を行使していたので取り調べ自体はあまり進まなかった。
2009年にマスミの死刑判決あ確定したが、当然 再審請求を繰り返しているので死刑が執行されることはない。
日本の司法制度の欠陥であろう。