自分への戦いのはじまり。
- カテゴリ:日記
- 2019/12/26 02:05:29
病気だからと逃げてきたけど、戦う時が来た。誰がこの先私の面倒を見てくれるだろうか?今はいるけど、この先は居ない。戦わなければ。大事な16歳になる猫ビーバーと一緒に暮らせるように。
友達の家が貧しく、母親が働きに行くときに使う車を無償で貸し出してはいるが、私もそろそろ自分のことを考えなければならない。車を返してもらって廃車しなければならない。まだ、週3日しか働いていない。助けてくれたおじーちゃんに家賃を払わなければならない。でも、私の車と友達に貸している車のガソリン代、オイル交換、任意保険代、車検代全部まともに払わなければならない。
おじーちゃんにそのことを話したら、お礼奉公はとっくの昔に済んでいるのだから、返してもらいなさいと言う。友達の家は母親が働かないとまともに暮らせないうちだ。どうするべきか。私が困ったときに、助けてくれる人は居ないのだ。
助けて欲しいのはわかるが、わたしも溺れそうだ。貯金もあとわずかになった。
働かないと、ひとり暮らしもできなくなるギリギリのラインだ。
誰かの幸せを私は壊さなければならない。付け焼刃とわかっていたが、見捨てることができなかった。その友達の母親は生活保護は受けたくないらしい。
せっかく働き方改革で有給を月1日もらえるようになった。何十年も働いているお母さんにどう言ったらいいのかわからない。
人を救おうとするには、一緒に溺れる覚悟が必要なんだ。だけどその家族が
自分たちで向き合って話し合って切抜けるしかない。私まで溺れるわけにはいかないのだ。
お人好しすぎると言われた。だれも助けてはくれないんだよ。助けてはもらいたいけど、自分たちで精一杯なのだ。私を助けてくれるわけではないのだ。
どう解決すべきか。お題目をあげていい答えがでるのだろうか。
私が働いていないというと、生活保護受けなさいと言われた。
御本尊様のおかげではなく、私も人に助けられて今がある。
宗派の人に助けられたわけじゃない。背負い込むか、線を引くか
でも、御本尊様は大事なのだ。父親がなくなってさずかった御本尊様だ。私が守らなくては。でも、私を助けてくれたのは宗派の人ではなく、他宗派の人だった。
家の貧しい友達もいろいろあった時に助けてくれた。でも限界なのだ。私が。
人を救うって並大抵なことじゃない。背負い込むしかないのだ。
だけど一時期だけなのだ。しょせん付け焼刃。自分たちで自分のことは解決するしかない。甘くはない。私もいつまでもおじーちゃんに助けられてる場合ではないのだ。自立しないと。
自分の事は全て自分でしなければいけない。できなければ、保護を受けるしかない。仕方ないことなのだ。これは誰もがそうなのだ。
来年は私がどこまでできるか、どこまで働けるか試されている。負けるわけにはいかない。
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- Haru
- 2019/12/28 01:44
- もう充分自立出来てるじゃないですか、考え方も立派ですよ!ただ 優し過ぎるのかも知れませんね。人一倍責任感も強い方の様に感じます。相手方は常盤さんに甘えてるのだと思います。甘やかす事はけして助けてる事にはならないと思いますよ、助けて頂いた恩義は充分返されたように見えます。自分自身に余裕がないと他人にも優しくなれませんものね^^まずは常盤さんが救われなきゃです、焦らずのんびり生きましょうよ ♪
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