文化祭
- カテゴリ:学校
- 2019/11/25 17:42:43
先日、文化祭で娘の高校のPTAをしてるので
お手伝いに出かけました。
バザー用品や野菜、子供の作品も売りに出しますから
大勢の方々が見えられます。
3年目にして、やっとお茶のお接待チケットを手にいれ
お抹茶を頂きました。
列に並んでいる時
中2だという息子さんをもつ、親子の方に話す機会がありました。
ここの高校を目指しているんだよ
と聞きました。
その子のお母さんが「うちの子はとても足が速い、健常者よりも速いのですよ。」
さらにお母さん「兄弟は健常者なんだけど、この子はね・・・」
と話、息子さんが「健常者はいいなぁ。」とぽつり
内心『いやいや、健常者も大変だと思うけど、誰でも大変ナノだが』
と思いつつ
「素敵ですね、得意な事があるなんて。ぜひ狙って来て下さいね」
としか、いいようもなかったんですが
自分の子達に『健常者』と使った事なかったなぁ・・・と
もちろん、障害の事は家族である以上知っておかないと
マズイのですが、そこはなぁ・・・
「そこは苦手で、そこは困ってて誰だって100%のヤツはいない」
とか何とかごちゃごちゃ言っている我が家です。
言葉って難しいですね。
そうそう、「健常者の何がいい?」という事なのですよね。
障碍者と健常者のライン引きも出来ない事だから
『これ出来ます。それ出来ません。』と割り切って生きていく方がいいと思うのです。
ありがとうございます。(^^)
分かりますとも、言いたい事は。
アレがダメだから、それもダメ。って考えは私も嫌いです。
訂正します。
「誰しも個性があって、すごく大雑把なたとえですが、数学が得意で国語が苦手な人は、
もしも国語がだめだったら英語などできないでしょう?と比較するわけです。」
・国語出来ないけど数学は得意なAがいる。
・(Aは現代文解釈すらできない。)
・解釈できないのにAは英語ができるわけがない。
・英語で構成された数式などAが読めないはず。
・Aは英語/数学/国語の科目が出来ない。(←矛盾:Aは数学は得意だったはず。)
説明が非常に長く、書き損じました。心よりお詫び申し上げます。
最近、新聞でも講演会でも『健常者・障碍者』として話すから
良く目にする言葉なのだけど
家でも、ソレを家族に対して(記憶に残るほど)言うかなぁ・・・と
講演会は、説明なのでしょうがないけど
本人に対しては、冷たく聞こえるよね
ましては、特別支援高校の校内で、私が保護者ってわかってるのだから。
そういう意味でも、彼には高校にきてもらって
色んな考えがある事知ってもらいたいな。
良かった、怒って下さって。
そうだよね、失礼だよね子供に対しても。
やりたい事、元気に返事ができる事が大切。
親御さん、気が付いて欲しいなぁ。
自分には、こういう苦手な事があるというように自分の取扱説明書的な形で
理解しているなら良いと思うのですが…。
親御さんの言葉の選び方もね…。
仮にADHDの人が会社にいて、何かしでかしたとしても解雇できないはずです。
20年前でしたら、解雇ができたのかもしれません。けれど今はできません。
誰しも個性があって、すごく大雑把なたとえですが、数学が得意で国語が苦手な人は、
もしも国語がだめだったら英語などできないでしょう?と比較するわけです。
もちろん、中等教育、それに高等教育ではそういう意味のない弊害を除去しており
各々が独立して競えるようにできています。それをぶち壊しているのが、今話題の
大学入試共通テスト(以前の、大学入試センター試験にあたるもの)です。
――つい興奮して、話が逸してしまいました。申し訳ございません。
隣の芝生はいつまでも青いです。そんなことより「ぼく/私は何々がやりたい」
という目標を達成させることが、学校教育の在り方だと感じています。