再度見た映画の感想
- カテゴリ:日記
- 2019/11/15 16:44:18
「聲の形」この映画のテーマって何だろう。作者側からしたら色々あるだろうけど、視聴者側が勝手に受け取っても良いはずだ。まずはいじめ問題と立場の逆転がメインストーリーになっていることだ。いじめを受けていた硝子ちゃんと、いじめる側から受け手に廻った将也君の切ない恋の物語。
次に惹き付けてやまないのは、硝子ちゃんのキャラ設定ですね。ハンデを背負っていては、無垢なまま生きる事は難しい。つうかあり得ない。普通人を信じられなくなり、疑いの目で周囲を見渡すようになり、その面持ちは見るに堪えない。
最後に哲学っぽく話すと生まれてから純粋であった心は、自我に目覚めて世の中から刺激を受けると次第に濁って行く。私たちが失ってしまった、神様からいただいたもの。それを透き通った美しいままで、胸に秘めている硝子ちゃん。そんな彼女が将也君に向けた一途な想い。涙腺崩壊です。
人間が沢山いたのではないか。この傾向は男女を問わずにいたのではないか。
これを文献で証拠固めするのは手間です。時間がかかり過ぎます。創作は
一種の錯覚ですから、敢えて錯覚を承知で錯覚して見るのも一つの作為です。
【ドラマ】まさにこれで私の小説の創作活動は頓挫しているのであります。ただ登場人物を通して歴史を語っているだけで、彼らの遭遇するドラマを描けないのです。今も昔も私たちの奥底にある情緒、世間の出来事に対する評価にどれ程共通性があるのか不安なのです。
例をあげるとします。あるお殿様が隣国へ娘を嫁に出すことにしました。これまで日本の映画やドラマでは、政略結婚の犠牲となった娘が可哀そうだと描かれることがあります。現在でも社長が会社の都合で取引先の所へ嫁に行かされる・・・現在のこれはある程度納得できます。ところがどうでしょう。戦国時代にそんな事が通用するのでしょうか? 男が戦場で鎬を削るなら、女は隣国へ出向いて自国の為に奔走するのが務めと考えていたのではないでしょうか。
ぶっちゃけ現在の価値観で戦国のドラマを語った方が共感を得やすいのかもしれません。しかし私にはそれが出来そうにないのです。才能が無いのは置いといて、リアリティーに欠けると物語に没入できないと勝手に思ってしまうのです。つまらんお話になってすみません。ありがとうございました。
見えてきました。「涙腺崩壊」するような筋書きのドラマを考えてください。
漢字の表記が違うだけです。何か、ご縁があるのかもしれません。
視点、感性いずれも鮮度がありますね。
令和時代に是非とも信念を開花させて!
コメントありがとうございます。
とにかく頑張って生きてゆきましょう。
負の遺産として人生を付き合ってきました。死ぬまで続く。
>でしたらまだ透き通った恋心は存在するのかも知れません。
仰る通りですね。『存在するのかも知れません。』と言う風に実際は絶滅危惧種ですらある。であるからこそその恋心は美しく、宝物のように光り輝いているのでしょう。そして人々は物語に引き込まれ、ハッピーエンドに向かう事を期待してやまないのだと思います。小説も同じではないでしょうか、読者や視聴者を裏切る結末を書いてはいけないとも思うのです。
或る意味純粋でありますが、その障碍を逆手に取り人を貶める人も居ます。
「聲の形」を観てはいませんが、思春期の御話でしょうか。
でしたらまだ透き通った恋心は存在するのかも知れません。