SF最初の一冊としての『夏への扉』
- カテゴリ:小説/詩
- 2019/09/18 13:07:02
オールドファンなら頬を緩める古典SF『夏への扉』。
昔はSF未読の初心者に勧める定番でしたが、今は否定的な意見が多いらしい。
高齢者がSF初心者に『夏への扉』を勧める理由を、しばし妄想考察しましょう。
黄金期のアメリカSF作家界で有名だった言葉がある(誰が言ったか忘れた)。
「我々の本は一杯のビールと引き換えにする価値と満足を与える義務がある」
労働者がアフター5に呑むビールと1冊のSFの満足度を比べるとは、奥深い。
商業主義は嫌いだが、読者を楽しませてナンボという物書き魂には納得しちゃう。
アニメでもコンサートでも展覧会でも「ああ、楽しかった!」と思ってもらえれば勝利。
『夏への扉』にはハインラインのサービス精神が溢れていると思うんです。
次にSF・青春小説の定番ガジェットを詰め込んでいる点でしょうかね。
タイムマシンに各種の発明品は『Back to the Future』の元ネタでしょう。
冷凍睡眠も出てくるし、失恋や友の裏切り、支えてくれる恩人、猫と少女……。
こういうのって娯楽SFの基底面、和歌における万葉集みたいなモンです。
『夏への扉』を楽しんだからこそ『たった一つの冴えたやりかた』も楽しめる。
SFを楽しむ上での基礎教養っていうのかな。それが無理なく入ってる気がします。
オタクの先祖的な主人公造形もSFジジイには嬉しい部分です。
本好きは神田、楽器弾きはお茶の水、電子マニアは秋葉原に通った時代、
主人公の行動や感性には、内向的な若者の熱情のほとばしりが感じられる。
思弁的な要素が皆無である点もたいへん好ましい。
ハインラインで一番好きなのは『異星の客』だけど、初心者には勧めないよねー。
SFの醍醐味の一つは思弁小説の要素だけど、好きになってから読めばいいでしょう。
そして、あの有名な書き出しに始まり、あちこちから立ち昇る、ほのかな詩情。
シマックやコードウェイナースミスとは違う。まあ、ブラッドベリ寄りですね。
陳腐と叱る人もいよう、だがそこがいい。ビール一杯と引き換えの悦楽だもの。
『夏への扉』を語るうちに思い出した映画があります。
1960年公開のアメリカ黄金期のラブコメディ『アパートの鍵貸します』。
ビリーワイルダー監督、主演ジャックレモン、ヒロインはシャーリーマクレーン。
ハリウッド最高の一作です。この娯楽への献身と『夏への扉』が重なる。
ラブコメ映画語るなら『アパート~』観てからにしてほしいわけですが、
SF好きと名乗るなら『夏への扉』の良さも語れないとイカンと思いますです。
結局はSFという空想科学小説の一つの代表的モデルだから、ということだな。
かく言う私、もう四半世紀は読んでないけど、やはり名作だと思うんです。
結論。やはりSF未読の人に最初に勧めるなら『夏への扉』で宜しい。決定。
(マニアな方のための追記)
昔から変わらぬオールタイムベストの陳腐さに業を煮やし、
『涼宮ハルヒ~』『マルドゥックスクランブル』『虐殺器官』等々、
新しめの国内作品を勧めるムーブメントがあるようですね。
初心者≒多感な少年少女と考えた場合、こうした動きには十分な説得力がある。
『サラダ記念日』で和歌を面白いと思い、西行や実朝まで遡る人もいるだろう。
新井素子の初期作や日渡早紀のコミックもSF好き女子を増やすのに貢献した。
ですが上記の国産品、決して『初心者向け』って思わないのは私だけかな?
『銀河ネットワークで愛を歌ったクジラ』あたりなら少しは納得するけど、
これだって『白鯨』と『ジョナサンと宇宙クジラ』を読んどくほうがいいし。
別のムーブメントもある。ハードで緻密な世界観重視型の大作を勧めている。
VR/仮想世界の隆盛や『ソードアートオンライン』人気を受けてるんでしょうが、
SFという観点からはちょっと……。『SAO』をSFと扱うのにも抵抗あります。
通人・ビョーニン好みの重厚な名作を強烈にプッシュする人もいる。
『ソラリス』も『ノーストリリア』も『1984』も『電気羊』も好きですよ。
でも初めて読んだのがこれらの作品だったら、SFにハマったか疑わしい。
七歳で『ラルフ124C41+』を初めて読んだことが私には僥倖でした。
両親に連れられていった本屋で自分で選んだ(俺、賢かったんだな)。
1911年に書かれたこの作品に出会ったから、SFを好きになった気がします。
SFのSはやはりサイエンス、科学技術が人類の可能性を拡張する明るい物語。
文学という芸術が人類に寄与するなら、SFも人類に貢献せねばならん。
初心者向きの最初の一冊には、そういう理想や夢があってほしいのです。