きらきら、夏と秋が交差して…調布市郷土博物館
- カテゴリ:タウン
- 2019/09/01 17:23:01
仮想タウンでキラキラを集めました。
2019/09/01
集めた場所 | 個数 |
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教会広場 | 3 |
自然広場 | 5 |
きらきら、教会、自然、四択つるの
九月にはいったが、八月下旬になって、風が変わった。秋の気配というか、暑さのなかにも涼しさのようなものが感じられるようになってきている。
数日雨が続いた。その後、急に秋が来たような感じだった。
幾分過ごしやすくなってきたなあと思いつつ、終わりゆく夏にいちまつの寂しさを感じてしまう。
春、夏は好きな季節なのだ。世界がはじまり、盛り上がって、いくぶん停滞して。それが春と夏。秋はおわりのはじまり、冬は、どこか暗いものを感じてしまう。ねむっているような、はじまりを待っているような。それがおわりということなのかもしれない。
もっとも、夏の暑さをきついなあと感じてはいるのだが。この夏はとくに。意外と夏的な暑さが短かったからかもしれない。身体が夏に慣れる前に、猛暑がやってきた。その猛暑がだらだら続くなあと思ったら秋の風が。
うちの近くの田んぼを再現した公園を通ると、稲穂が垂れており、用水路には落葉があり、すっかり秋の気配で、驚いた。なのに夏の暑さ、蝉時雨。あれはミンミンゼミだっただろう。秋と夏が混在していた。
それに、すこし前にサギ草を展示していたお寺ではもうコスモスが咲いていた。汗ばみながら、ここにも秋を感じていた。
そんな八月の下旬のある日、うちから割と近いところに調布市郷土博物館があると知ったので出かけてきた。
多摩川にほどちかいところにある。駅でいうと京王多摩川が最寄り。対岸は、ホームセンターなどがあるので、よく出かけていたのだが、こちら側はほとんど通りすぎるだけで、知らなかった。車で行ったのだが、わかりにくい。というか、進入禁止が多く、博物館は目の前にあるのに、行くことができないのが、なんだか笑えた。ぐるりと遠回りしてやっと入る。
昭和四九(一九七四)年に開館したという。建物が落ち着いて、親しみやすい。調布市のある武蔵野台地、多摩川周辺には、縄文時代の遺跡も多数あると、どこかで聞いたので、常設にあるであろうそれを目当てに行った。
常設は二階。一階では企画展をやっていた。そして入口すぐのところに新選組局長近藤勇の座象と、閲覧スペースに新選組関係の書物。そうだった、近藤勇は調布が生誕地だったのだ。当時の武蔵国多摩郡上石原村辻(甲州街道上石原宿の北方)、現在の調布市野水。
先走ってしまうが、二階の常設に、近藤勇生家の宮川家のジオラマ模型の展示があった。屋敷の広さは七千平方メートル、広い庭の中に母屋に数種の倉に納屋と、模型からも豪農だったことがうかがえる。
パンフレットなどには、近藤勇のことはあまり載っていないから、これら(特に一階の閲覧コーナーなど)はもしかして、大河ドラマ(二〇〇四年の『新選組!』)かなにかの後に展示されるようになったのかもしれない。
と、近藤勇に思わず食らいついてしまったのは、小学生の頃から、新選組副長の土方歳三が好きだったから。
そうだった、多摩川、浅川(多摩川の支流)という名前は、かつて土方歳三ゆかりの川として、特別の語感として響いたものだった……。
今、多摩川のわりと近くに住んでいて、買い物の途中などに眺めることが多くなり、そのことをほとんど忘れていたのだが。とはいっても、車で橋を渡るとき、多摩川の流れにほかの川以上の何かを感じていたのは、もしかすると、その記憶がまだ心の奥からしみ出してきていたからかもしれない。
土方歳三の生まれたのは武蔵国多摩郡石田村(今の日野市石田)だから、多摩川でいえば、調布よりももっと上流にあたるのだけれど。
話が脱線した。
調布市郷土博物館へ戻ろう。
企画展では「お米にまつわる調布ものがたり」(九月一日まで)が開催されていた。多摩川の氾濫などがあったり、湧水もあり、水分が多い土地で、田んぼ作りには適さないので、そこでの工夫の紹介があった。深田で、「泥っ田」というらしい。田んぼの上に丸太を浮かべその上に足を載せて苗を植えたり、大きなカンジキを履いて沈まないようにして稲を刈り取ったり、田舟という、刈り取った稲を運ぶ舟を作ったり。
この調布市郷土資料館の周囲もかつては田んぼだったという写真も展示されていた。
そして、お目当ての二階の常設展示室へ、
武蔵野台地に人が住み始めたのは約三万年の旧石器時代で、縄文時代のムラとしては、特に縄文中期(約五千年前)のもの、原山遺跡や飛田給遺跡などがあるらしい。さらに晩期のもので、下布田遺跡など。
原山遺跡にほど近い北浦遺跡出土の「縄文土器深鉢・勝坂式」(縄文中期・紀元前三〇〇〇年前)。先日、町田市民文学館ことばらんどで、調べた勝坂式土器の特徴である「動物や植物をモチーフにした」もので、鎌首をもたげたヘビのような装飾が土器の中央から口縁にかけて施されたものが印象に残った。
原山遺跡出土の人面装飾付彩文有孔鍔付土器(縄文中期・紀元前三〇〇〇年前)の土器の胴部下のほうにある土偶のような人の顔の意匠……。用途は不明らしい、太鼓として使ったとか、酒造りに使われたのかも、とあった、
ヘビのような、人の顔のような……。この“ような”というところの謎に、あるいは惹きつけられるのかもしれない。この謎に、おそらく大切ななにかが埋め込まれている。それは連綿と今につづくものであろう。わたしとかれらをつなぐ糸でもある。
ほかに怖いような小さな土偶たち(原山遺跡出土)、土製耳飾(下布田遺跡出土)の精緻な模様に惹かれた。
庭に出てみると、かつて川にかかっていた石橋と庚申塔があった。庚申塔というのはわたしは実はよく知らない。近くにあった記憶がほとんどないのだ。こうした博物館とかで見るだけのものになってしまっている。
出かけてから一週間がたつ。もう九月。うちの近くの田んぼの稲もすこしづつ色が変化している。あと少しすると収穫なのだろう。気の早いヒガンバナの花が咲いているのも見た。基本的に彼岸のあたりに咲くはずなのだが。数日前におなじヒガンバナ科のキツネノカミソリを見たばかりだった。こちらは八月に林の中などで咲く。もう終わってしまったかなと、林の中をはいっていったら、もう枯れつつあったが、一本だけ見つけることができた。キツネノカミソリとヒガンバナ。ほぼ同時に見た。夏と秋が交差している。