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原爆...

1945年(昭和20年) 8月6日 午前8時15分 に起こった出来事を忘れてはならないと思い記録する。

熱線は赤外線として、爆発後 約3秒間一挙に放出された。
爆心地の地表が受けた熱線は通常の太陽の照射エネルギーの数千倍に相当する。

このような極めて大量の熱量が短期間に照射される特徴から、
熱が拡散されず、照射を受けた表面は直ちに高温となった。
爆心地付近の地表温度は3,000~6,000℃に達し、
屋根瓦は表面が溶けて泡立ち、また表面が高温となった木造家屋は自然発火した。

爆発の瞬間における爆発点の気圧は数十万気圧に達し、これが爆風を発生させた。
爆心地における爆風速は440m/s以上と推定されている。
これは音速349m/sを超える爆風であり、衝撃波を伴いながら
爆心地の一般家屋のほとんどを破壊した。この風速は、強い台風の中心風速の10倍。
そして、爆風のエネルギーは風速の3乗に比例する。すなわち、
原爆の爆風はエネルギー比では台風の暴風エネルギーの1,000倍であった。

爆心地から500m以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約90%を越え、
500m~1km以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約60~70%に及んだ。
さらに生き残った者も7日目までに約半数が死亡、次の7日間でさらに25%が死亡していった。
11月までの集計では、爆心地から500m以内での被爆者は98~99%が死亡し、
500mから1km以内では、約90%が死亡した。
放射能を含んだ雨や水や被爆者に触れて2次被爆する者もおり、
1945年(昭和20年)の8~12月の間の被爆死亡者は、9~12万人と推定されている。

原爆投下後、広島赤十字病院の地下に残っていた未使用のレントゲンフィルムが
放射線によって全て感光していたため、広島へ落とされた新型の爆弾は
原爆と決定付けるものとなった。

それでも当時の昭和天皇は国民に対し謝罪しなかった。
天皇に限らず日本軍や米軍共に常軌を逸した変人であった。

アバター
2019/08/28 18:47
凄い詳しく書いてるぅぅぅ

こんなことかけるんだから、
大学生とかですか?
アバター
2019/08/25 22:44
 すごいレポートだ!!!
 私も、見習いたいー
 ちなみにですが、憲法9条改正、やめてほしいと思いませんか?
 



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