銀行が私に何をしたのかを詳しい経緯を書きましょう
- カテゴリ:日記
- 2019/07/02 13:07:08
先ず10年以上前の今のみずほ銀行が富士銀行時代に
母が無くなりました。
母は一軒家に住んでました。
其のボロ屋と土地と預金を兄弟で相続しました。
当時の土地の国が定めた公示価格はまだバブルの時期の価格が
影響してました。
詰り実際の不動産屋が売る価格と倍近くの差が在ったのを覚えて居ます。
詰り次の年はやっと公示価格を見直して下げましたが、
少しはバブルの時期よりも下がってましたが
其れよりも不況でどんどん実際の土地の値段は下がってました。
其れでも相続税は公示価格にそって払わなければなりません。
控除の金額は其れで過ぎてしまいました。
そして当時の高い相続税を払わなければなりません。
私は富士銀行の自分の預金通帳が在りましたので
母の富士銀行の分は其れを「よっこ」すれば良いと思ったので
手続きが簡単なので其れを貰いました。
細かくて色々な銀行の預金よりは一つで済むので
其れを自ら提案して私が富士銀行の分は相続しました。
色々とちょうど平等に成る様に別けると決めて
全ての通帳や色々な物を持って税理士さんに相続の手続きと書類の作成を
頼みました。
そして出来て来てから解ったのですが、其の母の預金と相続税は
ほぼ似た様な金額でした。
私がバブル時期にカルチャースクールにも飽きて
子供も大きくなったので働き始めて仕事が面白くて
バブル時期は給料も良かったので預金もしたけど
イザと言う時にと所謂タンス預金をしていたのですが
其れと似た様な金額だとも思いました。
勿論其の相続税は母の富士銀行の預金も入った上での金額です。
相続税は富士銀行から振り込んで居ます。
昔通っていたカルチャースクールが道新のカルチャースクールで
街に行っていたし仕事をした時の街を乗り換えで使っていたので
富士銀行を利用してました。
後は母の預金を下ろす時に兄弟の実印も必要と言う事で
妹は実印を渡したくないと言うので妹の都合と私の都合の良い時に
再度行く事にしました。
其の時に全ての書類を持って来ると相続には要求する期限が無いので
極端に言うと一年後でも大丈夫だと言う様な事を富士銀行の
其の対応してくれた人が言っていたと思います。
名刺を貰って都合の良い時に来て大丈夫ですと
私が応対しますと言ってくれたと思います。
其れで其の後の母の住んで居た家の整理も在って
中を処分して売れる様にしなければならないので
先に其れもやったりしました。
家一軒の中を整理するのは連日通ってやっても
古い祖母の前の代より古くから在ったかも知れない家なので
別けの解らない物が多く出て来て
更に沢山の葬式の時に使ってであろう写真も額縁に入って
鴨居の所にずっと幾つも飾ってあったので
其れをどう処分して良いか解らないし、
其の他の多くの結婚式や葬儀の時の写真も含めて
其の他祖母の着物は母の着物などの整理とかに
連日追われてました。
時々富士銀行の母の預金通帳と相続の協議書とか
書類一式がちゃんとひとまとめにしてあるのを
閉ってある引き出しを開けた時に在るのをみて
イザと言う時にしても間に合うと此れが在ると
拓銀の株が紙切れになった時も
死のうかとベランダから下を見たけど飛び降りる事が出来なくて
そんな時もまだ此れが在って良かったと思ったのを覚えて居ます。
何度か沢山の色々な事が在った時に最後の最後に母の預金で
何とか生きれるまで生きようと其れを見て母に感謝して
自分はまだ生きれると思いました。
富士銀行はとっくにみずほ銀行に変わってました。
自分の預金通帳とキャッシュカードはみずほ銀行に直しましたが
ホームページを見て富士銀行の預金通帳も使えますと書いてあるので
其れは一式其の儘にしてありました。
そして不明年金に引っかかって第三者委員会にまで持って行っても
実際の第3者委員会は全く私の発言は許されず
向こうが勝手に関係の無い質問を一方的にして
私の持ち時間だと言われた15分が終わって帰るように冷たく言われて終わりでした。
鞄いっぱいに沢山働いていたと言う証拠になるかもと思う様な物は全てかき集めて
持って行ったのも出す機会も与えられなかったのです。
私は例の特許を自分で一年以上何度も書類の書き直しをさせられた挙句に取ったのも
権利を無くして、其の前に拓銀の株は噂で潰れるので売れと家族に言われたけど
最後にいよいよ売ろうとしたけどテレビで当時の大蔵大臣が「都銀は潰さない」と
言ったのを信じて売らなくて紙切れにしてしまって。
不明年金に引っかかって碌な年金も貰えないと解って。
絶望の淵でいよいよ死んだ母の世話に成ろうとみずほ銀行に
息子について言って貰って其の書類の一式を出して手続きをしました。
するとみずほ銀行のパソコンには当時の記録が無いとの事で
当時は紙媒体だったので其れを捜して連絡しますとの事。
散々何度も延ばされた挙句に行くと
当時の紙媒体が見つからないのか其の記録が無いので払えないとの事。
私は最初に貰った名刺も出して相続には期限が無いので
何時でもだいじょうぶですと言われて此の名刺も貰って
来た時に自分が対応しますと言ってくれたと出しましたが
既にそんな人は居ないと其の名刺は私の目の前で捨てられました。
そして紙媒体を捜したが母の預金が在ったと言う記録が無いので
渡せないとの一点張りで「不満なら裁判にかけろ」と言い放ちました。
色々な事で銀行相手に裁判にかけても何故か銀行が勝つと言う
噂が私の耳にも届いていたので勝つ自信が在ったのでしょう。
母の預金通帳の分も入れて相続税を払ってます。
更に一度母の預金を自分の預金通帳に移そうと富士銀行に来てます。
其の時兄弟の実印が居ると言う其れを押す当時の書類も
其の時の担当だった人の名刺も持ってます。
母の預金が無かった訳がないのです。
もしかして、富士銀行がみずほ銀行に移って
其の整理の時に本人が死んで遺族が10年以上も何も言って来ない預金は
無い物としてこっそり整理されて其の紙媒体の書類は消されたのだろうか?と
思いましたが、怖くて其れは言えませんでした。
名誉棄損で訴えられても其の証拠は私には出せません。
だから裁判にかけても此方側は通帳しかないのです。
母の預金が在ったと言う記録事無いと言うのは
其れなら通帳はどうして在るのでしょうか?
其れでも銀行は裁判で勝てると思って居るのでしょう。
悔しくて悔しくてこうなったのは自分が直ぐに手続して下ろさなかったからだと
自分を責めました。
何で銀行なんかを信じていたのでしょう。
拓銀が潰れる寸前まで自社株を売っていたと言う酷い前例があるのに。
自分を責めて責めて泣いて泣いて
其れで自分が死を選ばない様にと
もしかしたら相続税で似た様な金額だから出したのかもと思う事にしました。
そう思わないと自分で何かしでかしそうな位に気が狂ったのかと思う位
鏡で見た自分の顔が引きつってこわばって居ました。
今回の反社会の人達の宴会に出ていた芸人は
知らなかったと言えば罪に問われないそうです。
でも「おれおれ詐欺」の被害者は騙された被害者はどれだけ自分を責めたでしょうか?
どれだけ身内を含めて異常な状態になってしまったでしょうか。
失った物はお金だけでは無いでしょう。
其れでも罪に問われないので許せるのでしょうか?
そんなもんでしょうか?
私は被害者はお金以上にもっと多くの物をそして身内にも
影響して沢山の物を無くしたと思うのです。
知らなかったで罪に問われないからと言葉で終わりに出来ない感情を
多分被害者は持っていると思います。