就職氷河期時代の引きこもりは本人や其の家のせいで
- カテゴリ:日記
- 2019/06/03 17:51:58
就職氷河期時代の引きこもりは本人や其の家のせいでは無い。
具体的に知っている例を挙げて置こう。
バブルの時代に営業と積荷役と運搬は別々の人がやっていた。
主に中以上其れでも言えば名の知れた会社に就職した大卒人は
営業職に就いた。
当時私は色々な会社を回って営業をしていた。
売っている品が積荷や運搬の会社の名前の付いたトラックを運転している人達の
休憩所に置くものだったので
其の人達と顔見知りになって上に其れを置いて欲しいと言って貰う交渉に
幾つかの会社のそう言う部所に出入りをしていた。
高卒の人が多く、或いは夜間学校に通っている子や
更に大学の夜間部に通って大卒の資格を取って営業職に就いた人も居た。
私は彼らの好きそうなロック歌手とか思考を当時はネットなど無かったので
本屋によって雑誌を立ち読みをして情報を得て彼らと話をしたりしていた。
其の所謂倉庫には大卒の人は製品の受け渡しの時の注意事項の連絡程度に
来て態度も彼らに対して命令口調であった。
娘が就職氷河期のぎりぎりで就職して直ぐにあの日本の不況に突入して
5人で働いていた所が4人でこなしてついに3人でやる事になった。
残るも体力や精神力の負担で地獄であり、出たとしても次の仕事が見つからず
地獄である。
結局娘は出る事を選んだ。
其の後は正社員に付いた事は無かったが派遣の品格ではないが
契約を切れた間に資格を色々取ったりとしていた。
だが息子の時に就職氷河期に直面した。
せっかく入った金融関係の日本橋にある会社では
ブラック企業其の物で在った。
朝早くからやっている弁当屋で弁当を買って行って其の後に仕事が終わるのは
10時を過ぎている。
其処はもともとそう言う働き方をバブル時代も其の前からもしている会社だった。
そして会社を縮小する時に遊ぶ暇も無かったので貯めたお金と
自ら辞めると条件が良かったので其のお金で
海外に行って英語力をつけて来ると言って海外に行ってしまった。
息子曰く2~3年もすると景気が戻ってきて新たに良い条件で就職が出来ると言う
考えだった。
其の目論見が外れて日本は長い不況の中に在った。
私と同年代の人達の子供達は其の長い就職氷河期の中で苦しんで居た。
公立の大学を出ても希望する様な所へは就職が出来ず挫折して行った。
知っている子は営業も荷物の積荷も運搬も一人でやらされて11時頃に
ボロボロになって帰って来ていた。
其れが努力してはいった大学を出ても就職できる現実で在った。
自分が小中高と親の言っている少しでもエリートの就職先に付けると言う
あの多くを犠牲にして勉強に費やしてきた犠牲の割に余りにも違う現実。
そして会社を残そうとするあまりのブラック企業張りのパワハラの言動を
する上司たち。
其の環境は日本全体に蔓延してどこに行っても更に挫折する様な環境。
人間性を否定するパワハラの言動や行動は日常茶飯事だった。
私は色々な会社を回っていた時に其の足がすくんだり
引く様なパワハラの場面に時々遭遇した。
女性に対するセクハラも目撃したが全て見て見ぬふりをした。
仲間内の誰かを止めさせるために貶められたのか
就職して居たい事情を持った人への足元を見た上での行動なのか。
其れを見て見ぬふりをする男性社員の心も全員で在れば在るほど
病んで行っている様に思えた。
彼らも私と同様に能面の様な顔をして見て見ぬふりをしていた。
此れは良くないと何が後で来ると思ったが
大量の引きこもりを作ってしまった。
ゲームに没頭して現実逃避をする彼らと其の大人を抱えた家族。
此れで人手不足で海外の人を雇うと言う企業と政府に怒りを覚えた。
私が自分に降りかかる火の粉を避ける為に見て見ぬふりをした
色々見て来ても此れは表に出せば犯罪だろうと思う行為や
あのヤクザ口調の言動や行為を記憶から消して来た物を
今も無かった事に出来るのは子供産む苦しみや
多くの修羅場に遭遇しながらも周りの昔の人の知恵が在り
バブルを満喫して旦那が働いている間にカルチャスクールに通い
お昼はホテルのランチを其のカルチャスクール仲間と凄し
若い人がブランド物を手にしていている
パートでも年下の小生意気なOLにこき使われても
一度カルチャースクールの仲間とランチに行く時は海外のブランドを
身に付けてデザートに出てくる小さなケーキを選んだりしているからであり
更に私の年齢を見越してたまに会社が購入させられた券で
其の中で平然とにこやかに其れで居て邪魔をせず来たと言う証の会社のサインをして
其れでも似た様なエビの小さなエビチリやチーズやハムをそれとなく食べて
肝心の乾杯は口を付けるだけにして品よく退散する術を歳の甲で身に付けているからであり。
其れも含めて其の責任の無い立場に満足していた。
だが其の仕事も一番最初にリストラにあい職場は次第に裏方になり
服装も長靴を履いた職場に変わったりもした。
其れでも叔母さんに成るにつれてセクハラの対象にも成らず
更に叔母さん達の居直ったセクハラまがいの会話も楽しみながらも
まだバブルの残り香の中に居た。
だから其の後の見た現場は自分が修羅場だと思った事が
優雅な世界だったと認識するほどの酷さだった。
こんな事は役所に勤めている人間は理解できないだろう。
嫌本当はもっと酷い極悪の死体が出る様な案件は耳にしているのかもしれない。
だが其処まで行かないまでも其の少し前の状態の中で
リタイヤして行く子供達を今までほおって置いた責任を取らないで
何が役人が率先して働き方改革でまずは自分達からだと思った。
そして海外の人を入れると言うのには何を言っているのかと思った。
其の前にすべき事が在るだろう。
何時まで彼らを正社員にしないで都合よく使っているのか!?
彼らは望んで其の立場にいるのではない。
彼らを酷い環境で傷つけた無策な政府と役人たちは
自ら率先して「働き方改革をする前にすべき事」が在るだろう。
機械と変わらない或いはそれより酷い対応をする役所の仕事は
機械に変わらせてもっと外に出て足で歩いて
過去に無策で落としてしまった人達を拾う行為をしたらどうなんだ。
いい加減にしろ!