いだてん~東京オリムピック噺~ 感想文
- カテゴリ:テレビ
- 2019/04/22 16:54:38
いだてん~東京オリムピック噺~ 第15回「あゝ結婚」
NHK 日曜夜8時~
▼プロフェッショナル誕生
今回は、里帰りした四三が、スヤとの見合いの末、結婚させられてしまった話と、
東京高師を卒業したら熊本に戻るという話だったのに、
東京に残ってマラソンの修行をすることになった話、
ついでに浜松で営業していた朝太が、小円朝と大喧嘩して破門にされた話もありましたw
四三の見合い話は、幾江が仕組んだことだったようですね。
スヤには淡い思いを抱いていた四三ですが、今はマラソンに夢中な上、
あまりにいきなりの話だったため、断ろうとします。
ドラマでははっきりとは言ってませんでしたが、東京高師を卒業したら熊本に帰り、
熊本の中学で教師をしながら、池部家の主として落ち着く、
ゆくゆくは池部家の庄屋の仕事を継ぐという約束だったのでしょう。
マラソンに夢中とはいえ、自分の前ではっきりと結婚を断られたスヤは傷ついたでしょうが、
それでも四三さんがいいと幾江に断言してましたので、女は強し、ですね。
そしてすぐに結婚式を挙げ、翌日四三は早々に東京に戻るのですが、
やはり東京でマラソンのトレーニングに熱中してしまい、
熊本には帰らない、教師もやらない、ベルリンオリンピックまでとにかく
トレーニングに励みたいと、とんでもないことを言い出します。
またそういうのが大好きな嘉納が支援したため、反対の声も多々あったのですが、
四三の思いは通ってしまいます。
▼真実
以前から感想で、実はスヤは四三と結婚するまで未婚だったという話をしましたが、
今回の展開に辛抱できず、ついに彼女の境遇を調べてしまいましたw
まず池部家は、子供がいなかったので四三を養子として引き取ることにしたのです。
それからスヤと見合いし、よほど気が合ったのか翌日結婚しています。
つまりまずは四三ありきだったのですね。
四三が家格が上のスヤと結婚できたのは、池部家の養子になったからだったんですね。
ガッテンガッテンガッテン!
また四三とスヤが幼なじみだったという事実はなく、見合いの席で初めて顔を合わせました。
まぁこれはドラマではよくある改編ですね。
しかし初めて会った翌日に結婚式というのは、今では考えられませんよね。
当時は結婚は本人同士よりも家と家との結びつきだったので、例え婚約者であっても、
結婚式まで顔を合わせたことがないなんてことも、珍しくなかったようです。
▼破門
一方の朝太は、新たに師事した小円朝から破門になってしまいます。
もうケンカっ早いというかプライドが高すぎると言うかw
多分小円朝のことを全然師匠として認めてなかったからなんでしょうね。
浜松で破門になったもんだから、一文無しの朝太は東京まで歩いて帰ることにw
途中盗み食いなどをして食いつなぎながら東京を目指すのですが、
何故小円朝の弟子の万朝も一緒にいるのでしょうw
万朝は破門になるようなことはしてませんよね?
にしても、今でもある程度はそうなのかもしれませんが、
この頃の落語家ってほんとに奔放だったんですねw
▼ベルリンの壁
調べたんですけど、僅かに無名な映画があった程度で、それではないと推測されます。
つまりベルリンにあった壁、そのものが元ネタなのでしょうw
ついに作品ですらなくなった…
もちろんドラマの時代にはまだベルリンの壁は存在していなかったので、
ベルリンオリンピックを目指す四三の前に立ちはだかる、精神的な壁のことなのでしょうね。
綾瀬まで脱いだのはびっくりでしたw
幾江は四三にかなり怒ってましたが、
最後はもうあきらめてましたね。
ま、昔はよくあることなのでしょう。
最後は、丸く収まってよかったなという回。
スヤのヒゃーには、驚きましたが^^
池部家に田んぼを担保にして渡航費を借りたというのが本当なら、
同時に四三の養子縁組の話もあったかもしれないね。
ただ結局渡航費はカンパの金もあって、実次はそんなに払ってないはずなのに、
なぜか田んぼは借りてることになってる不思議。