銭湯
- カテゴリ:日記
- 2019/04/11 00:09:31
東京に来た頃、よく銭湯に行ってました。
一番、最初に住んだアパートはニュースで話題の有名なマンスリーマンションでしたが、駅から遠くて部屋は1階で薄暗く、騒音も酷くて、すぐに違うアパートへ引っ越しました。
次のアパートは駅から3分、1DKで部屋は2階、日当たり良好、収納スペースもたっぷり、キッチンも広い・・・けれども築年数が不明なくらい古くて、お風呂がありませんでした。
物件の資料を見た時はお風呂がないので、スルーしていましたが、実際部屋を訪問して、すっかり気に入ってしまい、即決しました。家賃も相場の半分くらいでした。
すぐそばに銭湯があり、コインランドリーも併設していて、お風呂や洗濯に困ることもなかったです。
大家さんがおっしゃるには、戦後、そのアパートはファミリー向けの社宅として使っていたそうで、昔は家族4人くらいで住んでいたそうです。
「あんた一人で住むなんて、贅沢だ。」と言われたくらいです。
たしかに、部屋の柱には子供が書いたであろう落書きがそのまま残されていました。
毎日のように銭湯に通っていたのですが、やっぱり家のお風呂と違って広いし、温まるし、どんなに嫌なことがあっても、銭湯のお湯に浸かっていると幸せな気持ちになれました。
今、思うとお風呂のない部屋に住んだのはあの時だけだったんですが、一番、贅沢な時間を過ごしていたようにも思います。
そんな昔のことを思い出すと、今だって、もっと頑張れるような気がしてきます。
コメントありがとうございます。
銭湯に通うと番頭さんに顔を覚えられるんですよね。
たまに、声をかけてもらったのを思い出しました。
銭湯は10時30分までだったので、私も飲み会の時は急いで帰りました(笑)。
コメントありがとうございます。
後になってから、気が付くことってありますよね。
銭湯に通ってた頃はそれが日常で当たり前のことだったんですが、今となっては貴重な時間でした。
健康第一ですよね!!
無理せず、がんばります。ありがとうございます☆
コメントありがとうございます。
庶民は自宅にお風呂を持つことが禁止されていたんですね。
初めて知りました・・・!
防災のためだったとは・・。つくづく便利な時代になりましたね。
大阪万博のころはまだ銭湯が主流だったんですね。
自宅でお風呂に入れるようになってから、まだ歴史が浅いということが分かりました。
コメントありがとうございます。
お友達の家が銭湯だったんですか・・!
薪でお風呂を焚いていたんですね。
そう言われてみたら、私の実家の近くにあった銭湯にもたくさんの薪が置いてありました。
こんにゃくの味噌田楽・・・すごくいい思い出ですね☆
屋台のおでん屋さん、アツアツで美味しそうです。
コメントありがとうございます。
銭湯が混んでると凄く窮屈だし不便ですよね><
それが毎日続くとなると、かなりのストレスですね・・。
家でのんびり気兼ねなくお風呂に浸かれるのは至福の時ですね。
私の通っていた銭湯はご高齢の利用者が多く、夜は空いていました。
私が銭湯でのんびりできたのは、たまたま時間帯が良かっただけなのかもしれないですね^^;
銭湯が終わる時間が気になって飲み会から早く帰るってお友達もいましたよ。
広いお風呂って気持ちいいものね♪
贅沢って…幸せって…失ってみないと分からないモノですもの。。。
みくあさんは、今でも十分頑張ってると思うよ!
くれぐれも無理はしないでね!健康が一番大切☆彡
大阪万博の後に建設された千里が丘ニュータウンもフロが無かったと記憶しています。
小さい頃、姫街道の気賀関所後の近くに唯一の銭湯があったのを覚えています。
子供の頃の友達のウチが銭湯でした。
その当時はお湯を沸かすのに薪をくべていました。
まぁ煙突があるワケですから普通のことなんでしょうが、東京で薪を使うなんて銭湯ぐらいのものでしたから凄く珍しかったんですよね~。
その銭湯の前には、いつも「おでん」の屋台が出ていて、よく「こんにゃくの味噌田楽」を食べながら帰った事を思い出しましたワ。
(^^)/