誰か私を愛してくれ・・・という本音と7つの大罪
- カテゴリ:日記
- 2019/03/12 22:33:32
「誰かわたしを愛してくれ」
求めても求めても、ええ、きっとそれは手に入らないでしょう。
いや、手に入ったとしても際限無く求めてしまうからです。
「暴食」あくことなき欲望、飢え、飢餓感。
そこに一輪の花を咲かせるとしたら。
「わたしはそんなわたしを愛してる」
最初は小さな花でしょう。
ですが、それはいずれでいいのです。
愛の大河となって、芽吹くまで唱える。
唱え続けたい。
「憤怒」
愛を与えてくれなかった「世界」への「逆恨み」
これがどうも、恥ずかしい事ながら
600年も前の前世から続いているようなのです。
「色欲」
愛を与えてくれなかった「異性」(母親含む)への「逆恨み」、「恨み、怨念」
これもわたしにはあると言えるでしょう。
で、おどろくことに「暴食」がわたし自身の起点となるようです。
「嫉妬」と「傲慢」
他人を妬むのも、相手を見下すのも、「誰かわたしを愛してくれ」
という「暴食」が起点です。
「怠惰」
「誰かわたしを愛してくれ」と、叫ぶわたし。そう叫びながら惰性で怠けるわたし。怠ける事で「愛を与えてもらえると」期待するわたし。
そんなわたしがいてもいい。
すべての起点は「暴食」にあります。そう、それはわたしの場合。
あなたはどうでしょうか?
7つの大罪をもとに自己を振り返る。
そして己の起点となる「大罪」を知る。
知ったわたしはしあわせを感じています。
「誰かわたしを愛してくれ」
だったら種を蒔きましょう。
「わたしはわたしを愛してる」
世界樹ユグドラシルのように大きく育つまで。
わたしは種を蒔き、養分を与えましょう。
「喜んで生きて来ましたか?」
死んでそう聞かれる時に。
ええ、信じなくても結構です。無へ帰ると信じている人はそう信じていてください
ですが、わたしは
そう聞いてくれる「本体」がいると知っています。
喜んで死にたいのです。
だから。
喜んで生きて来ましたか?と、聞かれたら。
「はい、たくさん喜んできました」と、元気に迷わずに答えたいのです。
あい