舞台演劇 ガンダム00
- カテゴリ:アニメ
- 2019/02/17 05:26:12
https://jp.ign.com/gundam/33225/news/00
銀河英雄伝説を舞台演劇で講演した劇団では艦隊戦を演舞で表現した。
集団でのダンスパフォーマンスが艦隊の戦いであるという表現は斬新だと、当時は評判だったらしい。
私は現物を見ていないので、素晴らしいのかどうか分からないが。
それはともかくガンダム00を舞台演劇でやる、というのだからロボット同士の戦闘はどうなるのと。
ガンダムのキグルミが「とぉ、とぉ!」と言いながら戦っていたら、それはもう失笑ものだ。
今回の演劇ではガンダム自体は出てこない。
パイロットが操縦席に座って、戦いの進行とともに操縦席がガタガタと動く事により戦闘を表現するという手法。
操縦席は前に、後ろに動くが それは裏方が手で動かしているとの事。
このため操縦席を一回動かすたびに裏方はゼーゼー言いながら舞台装置を操作しているものと思われる。
SFドラマ アンドロメダの操縦席も、右に左に動いていたが、これはゲームセンターのゲーム機を改造した関係で、電気で椅子が動いていた。
舞台演劇 ガンダム00では人力で動かしているのだから、恐らくこっちの方がよりダイナミックだろう。
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アタリ2600用テレビゲームを舞台としたゲーム市場の加熱と崩壊
1977年 アタリ2600発売開始
1979年10月カサールがATARI社の会長となった。
これまで自由だったアタリは厳しい社風に一変。
別会社のゲームがパクリ訴訟に発展した事が理由の一つである。
この後、厳しい社風に嫌気が差したプログラマーが大量に退職する。
1982年7月、8月に6週間足らずでアクションゲーム ETを作成
この当時、アニメや漫画を題材にしたゲームは大抵、ベースのゲームが別にあり
キャラクターだけ持ってきてタイトル画面に作品名を表示すればヨシという風潮があった。
ところがプログラマーのハワード・スコット・ウォーショウはET用に新しくゲームを作るところから始めた。
6週間足らずで何もないところからゲームを作り始めるという無謀な挑戦は、何のゲームか良く分からない商品を作ったように思う。
9月から12月のクリスマスまでにビデオゲームのETが大量生産される。
1982年12月クリスマス商戦でアタリショック = Video game crash of 1983
ETのゲーム発売と同時にアタリショックになったと言われる
1983年以降、テレビゲームが一切売れなくなり小売店はゲームを返品させてくれと要求。
ATARI社は大量の不良在庫を抱えたが、これを廃棄しないと税金がかかるという状況に追い込まれる。
1983年9月ビデオゲームの墓場報道
大量の売れないビデオゲームはニューメキシコ州アラモゴード砂漠の処分場に投棄されたという。
SEEDは映画化されなかったけど00は劇場映画になったし人気は00の方が上ではないでしょうか。
ATARIの性能はMSX1にも数段劣るお粗末な内容だった。
実際のゲーム画面を見ると残念な気分になる。
パイロットの刹那もWのヒイロユイの出来損ないやし…そもそもアニメを実写版や舞台化すんの無謀
以前パトレイバーも実写版にしたら豪快につまらなかった。
後ファミコンの誕生で大きく変わりましたけどね。
ガンダムで客が来るとすれば彼らの判断は正しいことになります。
年末に合唱団が 第九 ばかりやるのも、そういう事情から。
そもそも年末に第九を聴く風習は世界的に無かった。
しかし日本人は、年末は 第九 を聴くものだと勘違いしているので、合唱団としても人が来てくれる楽曲を優先するわけです。
最近2.5次元ミュージカルなる物が流行っていますがその口でしょうか?
いずれにしてもロボットアニメの舞台化は、無謀だと思います。