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nekoyama の つれづれ日記♪


たべることは

しあわせであること

もらったステキコーデ♪:16

しあわせであること

雨隠ギド 先生の、甘々と稲妻 12巻 を読みました。



幸せな日々、もめたり、心配事があったりもしたけれど〜
12巻の冒頭は、それまでとは違った危機みたいなものを感じてしまいました。

つむぎちゃんの涙が、
現実にもありそうな、突然の不幸を生々しく感じさせてしまいます。
犬塚父が死んじゃったら、どうしよう…

母方の叔父が肺がんになった時のことを思い出しました。
叔父の子供は、まだ中学生の男の子と、小学生の女の子が居て、
手術で助からなかったらどうしようと、母方のほかの叔父叔母たちが
心配してた当時の頃を思いしました。子供たちはどれほど不安だったでしょうか。


そして現実の親子…家族が直面したコトと正反対な印象だけれど、
先日亡くなってしまった女の子と、父親と、母親の関係、も思い出します。

10歳前後の子供は親に反抗とゆーか、言葉ではオトナに負けてナイくらいだから、
あの父と娘は激しく言い争ったのかも知れません。

それを許せなかったのは、父親の性格?…たぶん違うんじゃないでしょうか。
親たちを取り巻いている社会環境が、苛烈な虐待を産んでしまったのではないでしょうか。
虐待が増えている背景にあるものが、もっと根深く暗いものが横たわっているのでは…


犬塚父を心配するつむぎちゃん、そしてもうひとつの現実の家族、
物語の中と外(現実)では、比べようもナイことだとは分かっています。

でも、ふた組の家族の有り様の違いはどこにあるんでしょうか。

つむぎちゃんの涙の横顔が何かを気付かせてくれた様に思いました。

亡くなった女の子も、生きていたら、おいしいご飯に微笑むこともあったことでしょう。
どれぐらいの笑みを失ってしまったんでしょう。

直接手を下した父親は許されないことでしょう。
父親や家族を追い詰めてしまったのは、

間接的に、家族を取り巻く社会状況…が、無責任であったり、
不条理であったり、したことが問題なんじゃないでしょうか。

父親は職場で問題無しみたいにコメントされてるけれど、
無理強いや言い返せない様なことをされて無かったのか、

喧嘩は当事者同士のこと…
では無いと思わなければいけないのかも知れません。

いろいろな人が、ひと同士が関わり合って、助け合って生きなければ、
幸せな家族は生まれないのではないでしょうか。

しあわせな家族の人生のほんの少しの時間を切り取ってのぞかせてもらって、
自身の人生と、不幸な別離してしまった現実の家族と、に、思いをはせて、
たんなる防止策や制度ではダメなんじゃないか、と考えさせられてしまいます。


最後にたのしいところをひとつ。
つむぎちゃんの制服姿はかわいいですよ〜
(あっ、制服着せればよかった、)


もうひとつ、
母親の言い分、娘が虐待されていれば、自身はDVを受けずに済むって…
その言い訳は、いじめられたくないからいじめる側に立っていました。
と、同じじゃない?

お昼寝から目覚めた瞬間に、同じだと気付きました。
寝てる間もぐるぐると考えていたのかも知れません。


子供の頃、わたしは逆の立場にたとうとして、苛烈ないじめにあっていました。
助けたいと思って、手を差し伸べて、振り払われ、いじめにあう側になりました。

わたしは、わたしが思う以上に、負けん気の強い子だったから、
傷だらけになりながらでも自己を保てていたのだろうけれど、


同じ地域で生まれ育ち、同じ顔見知りで、いじめる側、いじめられる側に
別れてしまうならば、いじめを受けたくないのならば、そーゆー思考に
なってしまうのかも知れません。逃げることも出来ないから。

児童虐待も、DVも、いじめも、底流に同じものが流れている。
パワハラも、セクハラも?ストーカーも?

ひとびとの分断も?


しあわせをつくるにはどうしたらいいんでしょう。

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2019/02/10 14:29
親に虐待されて死ぬ~なんて、悲惨すぎます。。。
最後に頼れる信じられる相手って、親しかいないのにね。

でも、そういう虐待親がいるのも現実、イジメが蔓延するのも現実。
人間(実はニホンザルも・・)は、ある一定の個体生息密度で生活すると、
必ず、そういう虐めの心理が生じるようですよ。。。
これは、人間(も含め霊長類)の心にビルトインされた、本能というOSの特性かも知れません。

ならば、そういう個体密度では生活しないようにするのが、解かも。。
実際、イジメが蔓延していたニホンザルの集団で、個体密度を下げると、
平和な集団になるそうです・・・。
(汗)
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2019/02/10 10:14
食べさせることもしあわせ 私はこう思える性分で、生まれつきちょっと得をしているとつくづく思います 自分が食べるのは自分のためだけど、食べさせるのは自分じゃない誰かのため、でもそれがうれしかったらそれは自分のためでもあるのよね そこにマイナス要素はないもの 私にはぜんぶプラス 誰かのマイナス要素を自分のプラス要素に感じるのは、自分だけが得をしたいさもしい根性の現れだろうけど、最近はなんだか目につくようで重い気分になります 誰かのせいにしたい、そんな世の中はいやだわ~
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2019/02/09 21:42
キレイなコーデねー.゚+.(´∀`*).+゚.

私は根本的にイジメがなかったころに育ったニンゲンなんだなーと
近頃つくづく思うよ

こないだ見たYoutuberの番組も
勉強好きのグループの人が作った動画なんかでも
こんなことが面白いと思うって
イジメがつねに周囲にあった人たちなんだなぁと感じた

虐待にしろパワハラにしろ
イジメ的なものが面白いとかストレス解消になるとかいう人たちの感覚って
なんなんだろうね(´ε`;)ウーン…
と言っても
マーヤもたぶんいじめがつねに周囲にあった時代の人なんだろうから
私の違和感は理解できないんだろうなぁ(´ω`*)。o○
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2019/02/09 20:52
甘々と稲妻は知らないのですが
事件のこと、家庭の中にも厳しい現実があることに考えさせられました…

日記のタイトル
「たべることはしあわせであること」に、引かれて…読みに来てしまいました。

いつも日記にとてもしっかりしたコメントいただいてるのに
お返事もしないでごめんなさい。

食品メーカーに働いて思ったこと。

「食べる」環境がいかにお腹だけでなく心の栄養になるのか…って。
みんなで食べるとひとりで食べるより美味しいってこと。
楽しい時に食べるといつもより美味しいってこと…

愛情を注がれて当たり前でないお子さんたちがいること…哀しいですね…
アバター
2019/02/09 15:22
甘々と稲妻……あ~~アニメで見た、というか、アニメしか見てない^^;
アニメではちびっ子のままだったつむぎちゃん、小学生になってるのか……
人対人のあり方や付き合い方、向き合う手段は、様々なケースがあるけど
子供と親がお互いに思い合ってるか、嫌い合ってるかの違いは
どこにあるんだろうね?
子供が生まれた瞬間は、どの親でも感動するもの……って単純な事ではないだろうし
育ってきた環境で左右されるとしたら、虐待とか負の連鎖は続くという説もアリなのかなぁ?

ん~~とりあえず、つむぎちゃんの制服姿を見てみたいw



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