日本の「鬼」
- カテゴリ:コーデ広場
- 2019/02/03 12:59:56
鬼さんうさぎ。豆ぶつけないで~。
「鬼」、つまり「き」は、本来このようなものです。
死んだ人間の亡魂であり
病気などをまき散らす「悪い気」、これが鬼なのです。
今の、日本の鬼は、悪い方位、すなわち「丑寅」(うしとら)のシンボルで
だから牛の角、虎の腰巻やパンツといういでたちなのだと言われます。
言われるんですが、なんでああも逞しくむくつけき大男なのか?
不思議です。
日本の文献で最も古く鬼が出てくるのは日本書紀だったかな。
神功皇后の朝鮮征伐(ていうか新羅征伐ですね)のおり、
九州の朝熊山だっけ、その山頂付近に、唐風の笠をかぶったなにかがいた、「陰(おに)」である、と書かれているものが最初であったかと思います。
ここで、唐風の笠、というのが、これが外来のものである事を語っているんじゃないかと私は思っております。
で、はっきりと、これこれの姿だと表されていない事から、この時点ではまだ「気配」とか「気」だったのでしょう。
鬼が鬼らしくなったのは、平安時代のことのようです。
今昔物語に鬼がたくさん出てきます。
そのかなりのパーセンテージで、登場する鬼は、仏教に吸収されたインドの「鬼」、たとえば羅刹そのまんまの姿が採用されています。
これも本来は気配なんでしょうけれども、インドの物語を読みますと、
物理的な存在として姿を現し、人をとって喰うなどしますから、
かなり、たくましい鬼のイメージに近いですね。
これに、京の都の丑寅にあたる山中に、
まあ大江山が有名なわけですが、要は凶悪な山賊が住み着いていた、
これが「鬼」と同一視されたのが始めではないでしょうか。
京師を荒らして女や財物をさらっては山の中の山塞に引き上げていく、
まあそんな事をする悪人は、逞しい男であろうと。
これが「丑寅」のモチーフとあわさって、鬼のイメージができたのだろうと私は思います。
もう完全に、支那の「鬼」とはかけ離れたものですね!
とはいえ宮中行事がもととなった「節分」の鬼は、
基本、病気などをまき散らす「気」なのだそうですよ~。
豆をまく時は丑寅の方角(それと、その真逆の方角)を重点的にまくといいそうです。
旧皇族の竹田恒泰氏によると、この時の豆は、神事なのですから、
当日、神社で祈祷を受けたものをいただいてくるのでなければ意味がないそうです。
でも、豆は「魔滅」につながるから、とWikipediaに掲載されていたので、
豆を頒布している神社が近くにない場合、普通の豆でもいけなくはないんじゃないのかなあ。
神棚があれば一度神棚にあげるなどして、なければ仏壇にあげるとか、
自分で福を呼び込むように祈念して。
で、日本の鬼ですけれど。
(悪くて)強い、というイメージが武士には好まれたのだろうなと思います。
「鬼」という文字は、人の名前、特に邪鬼に魅入られてはいけない子供の幼名に良く使われました。
ちなみに、成人男性はよく「悪」の文字を使いました。
これも「強い」イメージに通じるからでしょうね~。
いえいえ。
私も異文化を知るのが大好きです。
まあ、現代より過去、歴史的なものに少し偏っているかもですが。
困惑するような事があれば、尋ねるか調べるかするから大丈夫ですよ~。
jijiさんも困惑するような事があったら遠慮なく聞いて下さい。
うさぎさんを困惑させないように、頑張ります!
大丈夫、通じましたw
キョンシーが出てくる映画って結構作られていたみたいです。
自分がどれを見たのかは忘れてしまったんですが。
私はもともと、民俗学が好きなんですよ。
神話、伝承、伝説、そうしたものは結構めっちゃくちゃ読んだり見たりしていると思います。
なのでわりとそういう話題は通じると自負しています!
た、たぶん……大丈夫w
キョンシーは支那のものですね~。
亡くなった方が適切に扱われない(霊的に)場合、
屍体が硬直している、それくらいの時期に、
起き上がって様々の邪悪な事をする。というものです。
両足を揃えて跳ぶ動作が映画で有名になりましたが、それは死後硬直を起こしている屍体である事を表しているようです。
これも「鬼」の一種と言えるかもしれないのですが、屍体という実態があるので、厳密には違うのかもしれません。
うわあ……確かにアメリカ人というか、外国人に鬼文化を説明するのはとても難しそうです。
あちらは「虐待」に敏感ですしね。
日本の鬼という存在が色々な文化がまざっていて、とても複雑ですから、
そういう意味でも、基礎知識のない人に説明するのは大変そうです。
そもそも、中華系の人が多かったりもしますから、
中華系の「鬼」(つまり死んだ人や幽霊)という意味を先に知っていて、
混乱する人もいそうです。漢字表記が同じ「鬼」ですからね~。
鬼が何かを説明するのに、ヴィジュアルから入ろうと、なまはげのビデオを見せたら完全に幼児虐待と思われてしまいました。アメリカでは、大人が怖い被り物かぶって子供を泣かせたら虐待で捕まるぞ~と言われ、ふぅむ、確かにぃ~と納得。果たして、彼には日本の鬼文化が理解できたのか、かえって、私が違うことを教えてしまったような気がしてなりません・・・・・。
それ、きっと間違いではないと思いますよ~。
というのは、今回はあまりに話がちらかりそうなので省いたのですが、
丑の刻参りの問題があるからです。
今昔物語集などに出てくる丑の刻参りって
女の人が鼎を頭にかぶり、そこに蝋燭をともし、
誰にも見られずに貴船神社に参り……
と、かなり怖ろしいものですが、
これは単に他人を呪うのではないんです。
最後には呪いをかけている女性自身が鬼になるんですよ。
鬼になりかけた状態を「生成り」である、という言葉まであります。
生きながら鬼になって相手を害する……。それが丑の刻参りだったんです。
これは、恨みとか怒りが鬼になる、という事ですよね。
安珍と清姫の話なども、僧に裏切られた女性が蛇になって僧を襲うという事で、
まあこちらは蛇なんですけど、システムは同じです。
私、実はすみれさんと同じような理由で先例を受けていなかったのです。
というのは、聖書では世界の終わりに最後の審判というものがあります。
その時、悪魔や邪悪とされたものは全て最終的に滅ぼされてしまう、というのです。
「赦し」はキリスト教の大きな柱であるのに
悪魔は許されない。
それがとても疑問だったんです。
そんなともすれば弱い気持ちや 人として人を敬い大切にできない心を
退治するために 追い払うために きっと自分の心に鬼はぁ~~外・・って
したのじゃないのかなぁ~って勝手に解釈していました
でもね~豆を たとえそういう悪い心を持つものだとしても
豆を投げつけるのは ひどい行為だなって思います
泣いた赤鬼・・とかの絵本とかも読んで泣いた自分も居ました
節分の日には そんなよわく醜い心を 鬼たちは演じてくれます
思いっきり自分の心のなかにすんでいるかもしれない邪気を
取り除けたらいいなって思いながら ふくわぁ~~うち!だけを言いながら
豆をまいてます(^^)/
うさぎさんの日記はいつも自分の知らない情報が一杯で読み応えありますし
分かりやすく書いてくださってるので 私のザルのような頭にも理解できます
ありがとうございます(^^)/
ありがとうです!
そして巫女さんの衣裳ゲットおめでとうございます!良くお似合いです~。
今日は心音さん福娘で福は~内!
日記も楽しんで戴けて嬉しいです。
3日の夜中にGETできた巫女さんの衣裳です☆
節分うさぎさんが昨日来てくれてましたので
福娘気分の巫女さんが 本日参りました(笑)
たくさんの福と HAPPYが 翔(うさぎ)さんに舞い降りますように
(^-^★☽♪