鬼を名乗りて⑧
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- 2019/02/03 03:06:06
今年もあの季節がやって来た!
この日、豆を浴びるためだけに体を鍛え
恵方巻の大量廃棄に頭を悩ますそいつの名前は鬼!
現代に巣食う鬼と言えば、やはり秋田のなまはげではないだろうか?
悪い子を探して夜道を闊歩するあの鬼は豆でどうにかできそうにない迫力を備えている
その秋田で鬼と呼ばれた男が今回の主役だ!
鬼九郎 夜叉九郎と呼ばれた戸沢盛安 推参
鬼と呼ばれて
桓武平氏の末裔を称する戸沢家ではあったが所領は狭く
病弱な兄に代わりわずか13歳で当主の座が転かり込んでくる程度の家でした
当時秋田はこの戸沢家に加え安東家、小野寺家が鎬を削る三国志状態
秋田三国志と呼ばれていたとかいないとか
三竦みでなかなか動けない三家であったが鬼九郎さんは密かに最上家と通じ
後から小野寺家を突いてもらうことに成功
鬼九郎さんはこの機を逃さず小野寺領へと進行を開始します
両者は激しく激突しましたが、小野寺方の小清水蔵人は、名の通った剛の者でした
戸沢家の先鋒はたった彼一人の為に壊滅させられてしまいます
散り散りになって敗走する先鋒隊を見た鬼九郎さんは
500騎を従え先頭を切って小清水隊へとなだれ込みます
さらに小清水蔵人を一騎打ちの末、兜ごと頭を一刀両断にして討ち取り大いに士気をあげます
小清水討ち死!の報が巡ると小野寺側総崩れ
死体の山を築きながらも沼館城まで撤退し、援軍を待つ手に出ました
鬼九郎さんはこの城を包囲しますが、作戦の要であった最上家が予想以上に早く兵を引いたため
この城攻めに時間を掛けていると、合流されて反撃を受けるおそれが出てきました
ただ武力に頼る男ならばここで攻めを継続していたでしょうが
鬼九郎さんは、大局を見ることが出来る男でした
兵をまとめると素早く撤退! 援軍が来る頃には影も形も見えなくなっていました
生き残った沼館城の兵士たちは安堵のため息をつき
「鬼が、鬼が現れて小清水を斬って捨てた 鬼九郎だ!」
と畏怖し、
味方からも鬼神のごとき活躍に
「我殿は鬼の化身にちがいない 鬼九郎じゃ」
と称賛したのでした
鬼に情けあり
戸沢家と小野寺家と一線交えたことにより、三国のミリタリーバランスは崩れ始めていました
これに目を付けた安東家は戸沢家と組んで小野寺家を潰してしまおうと考えたのです
盟友となった戸沢家の領地を通過し、小野寺家へと攻め込むはずの安東家でしたが
鬼九郎さんは叛意を翻し、これと戦う決断をします
しかし初戦は安東方に虚をつかれて、淀川城を制圧されてしまいます
敗戦を知った鬼九郎さんはただちに軍を発しました
安東方はこの動きを察知し唐松野に陣を布いて待ち受けていました
安東家3000人に対し戸沢家は1200人 鬼九郎さんは奇襲で戦力差を埋めようと考えました
夜半に敵陣に近づき、夜明けとともに安東方の陣を急襲
不意を突かれた安東方は混乱しましたが、数を頼りに次第に状況を戻しつつありました
死力を尽くした戦いは三日に及び
安東家は300余人戸沢家は170余人の犠牲者をだすという凄惨なものとなりました
「両陣共に終夜篝火を焚き続け、山野二十里の間はさながら満点の星の如くに見え渡りぬ」
と情景が詠まれるように、一旦は膠着状態に陥った戦いでしたが
安東方の奇襲により再び激戦となります
この戦いは戸沢家に有利に進み、遂に安東家は撤退を始めました
これを追撃した鬼九郎さん、
安東家のしんがり 剛の者で知られる吉成右衛門の馬に飛び掛かり
彼を落馬させ、さらに組み伏せ素手で討ち取るというとんでもない鬼っぷり発揮したのでした
戦場では、総大将にもかかわらず、真っ先に敵に突っ込んでいくバーサーカーのような
鬼九郎さんですが強いだけの男ではありません
戦で負傷し捕虜にした安東の兵を敵本陣まで届けるなど慈悲深い面も持ち合わせた
武士の中の武士ともいえる男だったのでした
鬼は戦国一のスイマー
安東家との死闘を繰り広げてる間に天下の情勢は秀吉の一強時代になりつつありました
秀吉は西国を平定すると、最後まで抵抗を続ける小田原北条氏を征伐するために
全国の諸大名に出陣の檄を飛ばします
盛安もこの命令を受け取り直ちに出陣を決意しました
しかしながら経路には小野寺氏の領地がある…
鬼九郎さんは人数を減らし商人に偽装して通過しようと考えました
結果、侍6人足軽3人の9人という戦力になるのかよくわからない人数で角館を出立
無事小野寺領を通過することに成功します
しかしながらあまりに急いで出立したために財布を忘れてしまったのか
酒田の羽前港にて早くも路銀が尽きてしまうという痛恨のミス!
地元の豪商・加賀屋与助に頭を下げ7両借りて、なんとか旅を続けることが出来るようになりました
猛烈なスピードで旅を続ける鬼九郎さん一行
秀吉の軍は未だ出立していないと思い、小田原のある関東へは向かわず
日本海側を進み長野方面から山梨>静岡へと進み東海道を使い京都を目指します
そのまま日本海ルートで進まなくて本当によかった…
そんなある日の事、東海道を西に進み大井川を渡り金谷宿に辿り着いたところ日が暮れたので宿を探します
しかしその宿で驚くべき情報を入手します
なんと秀吉一行はすでに大井川を渡り先ほどまでいた島田宿にいると言うのです
なんといううっかりさん!いつの間にやらすれ違っていたのです
あわてて渡ろうとしますが、既に夜の帳は降りてしまっています
さらに悪いことに大井川は増水で荒れており、船を出してくれそうもありません
「出せ!」
「無理っすよ!」
「いいから出せ!」
「幾らお金を積まれたって命と引き換えにはできませんって!」
首を縦に振らない船頭にしびれを切らした鬼九郎さんは提灯を持ち川岸に近づきます
「まさか…」
家臣の悪い予感は的中します
鬼九郎さんは提灯を片手に荒れ狂う大井川に飛び込もうとしてました
「殿お止めください! せめて朝まで待ちましょう その頃には状況が好転しているかもしれません」
家臣は鬼九郎さんを止めようと必死です
しかし鬼九郎さんは家臣の静止を振り切ると
「関白殿下に忠義を立て遠国から駆けつけて、一夜たりとも遅参してはならぬと思った次第。増水などに負けぬわ!」
と荒れる川にダイブ!提灯片手に濁流の大井川を渡り切ったのです
家臣たちも続いて大井川にダイブ!
びっくりしたのは対岸の秀吉軍の物見でした
「夜中に東海一の大河を渡るものあり!」
と報告し 鬼九郎さんはずぶ濡れのまま秀吉に謁見し
「羽州角館の住人 戸沢治部大輔参陣つかまつる!」
と参戦の報告したのでした
しかしこの無茶が祟ったのか、鬼九郎さんは小田原落城を見ることなく25歳の若さでこの世を去ったのでした
今年の鬼はいかがだったでしょうか?
全力で駆け抜けていったという表現がぴったりではないかと思います
ただの武辺者ではなく戦略眼を持ち合わせたかなりの傑物だと思うのです
その後の戸沢家ですが鬼九郎さんのスピリッツが宿り続けたのか、幕末まで存続していったのでした