ベネズエラがちょっと大変。
- カテゴリ:日記
- 2019/01/31 14:55:49
ベネズエラがちょっと大変。
まあ、もともとベネズエラを始め南米がかなり治安が悪化しているんだけど。
其の事は私も以前に書いて来た。
南米が少しずつ悪くなってきて気になると。
で、此れと同じ事なんだけどもし中国が今度はアフリカを見捨てると
アフリカも混迷している所を含めてもっと混迷し、
其れがまた難民と言う形で欧州へ行くだろう。
欧州もかなり異様になって行くだろう。
先ずイスラム教徒も自らキリスト教徒の国へ助けを求めて入ったのだから
相手の思想を尊重すべきである。
其れを覚悟が出来ないのなら助けを求めて行くべきでないと思う。
勿論キリスト教徒に成れと言うのではない。
キリスト教徒の地に助けて貰いに行ってキリスト教徒を批判するのはよせと言うのだ。
自分達は自分達だけで自分達の宗教を守れば良いだけの事である。
昨日のニュースでベジタリアンの原理主義者の様な人達が肉屋を放火した
事件に関連しての其の自分は放火してないと言う意見の男のインタビューを見たが
気分が悪くなった。
彼らが自分でベジタリアンなのに強引に肉を食わせる詰りは無い。
だが其れと同じで自分達だけ其れを守って行けば良いだろう。
だからと言って肉を食べている人達や肉屋を攻撃する事は
だから肉を食べた生命を殺して良いと言う思考が余りにも矛盾している。
だったら野菜が何も育たないアラスカの人達は死ねと言うのか?
だったら肉食動物は全て耐えさせろと言うのか?
変に片方だけ批判して肉を食べる慣習は生命を食べているのだから
其の慣習を止めるべきだとして其の人達を攻撃するのは
不完全だろう。
人間の命を何だと思っているのかと言う事と、
アラスカの様な土地も在れば肉食動物も居る。
家畜として飼って乳を飲んで大切に其の肉も食べる事は
生命の尊厳を否定しているとは思わない。
最後の晩餐でベジタリアンだったのかは解らないが
キリストも肉は食べなかったのだろうか?
魚や羊の肉を食べている所は聖書にでてこなかったか?
キリストの生き方さえ否定するのか?
で何の宗教化は解らないが其れは其れで結構だが
だからと言って肉を食べる人を否定して其の命を奪おうとするのには
疑問を感じる。
彼らは例えば何も野菜が無く、肉しか食べ物が無かったら
其の環境で何日肉を食べないで自分の主義を通せるのだろうか?
飢え死にの方を選ばざる得ないだろう。
肉を食べた他人の命を否定したのだから。
勿論其の覚悟は当然在るのだろう。
勝手に飢え死にしろと私は言う。
だが、肉を食べた人間の生命も命だと言う事を理解する知能位は
保てと思う。
ベジタリアンに説得するのは勝手だが
ベジタリアン以外を否定するのなら
其れは正に生命を持っている物との闘いに成るだろう。
詰り突き詰めれば肉食獣も否定し、肉しか食べれない環境で生きて行く人の生命も否定すると言う事である。
先ず肉しかない環境で自分の生命を保つか其れとも肉を食べようとする自分が
出てきたら否定して飢え死にするかを試してみて
生命とか生きると言う事を考えて見たらどうだろう。
其の時に植物が育たない環境の中で人間が生きると言う原点を
理解出来て人間とは生命とはを考えるのではないだろうか?
其の人達の方が生命の尊さを知って居る様に思う。
私は極寒の北海道に追いやられた人々が
鮭の頭からあらも尻尾も全部大切に残さず食べる石狩鍋が其処に在ると思う。
鮭の生命に感謝して大切においしく全部食べて「生き抜く」と言う事を
理解できないと随分贅沢で我儘な思想だと思う。
勝手に其う言った生き方をするのは否定しないが
究極の生きると言う事ならかけ離れていると思う。
厳しい環境の中に数年身を置くべきでないだろうか?
野菜の育たない環境で肉食動物が生きる為に殺し合っている環境に
数年身を置くか。
或いは肉しか食べ物が無い環境を作って
自分の生命よりも其れは大切な事なのかを
悟って見れば良いだろう。
取りあえず「荒行」に挑戦してみたらどうだろう。
あれは何日水だけで修業をするんだっけ。
そうやって生命を考えて見れば
飢えて死にそうな貧困の地域の人達に牛乳なり
栄養が在る肉の一部が入った栄養食を食べさせる事の慈愛を持つ事が出来るだろう。
肉屋を放火するなど身勝手も良い所だと思う。
私は反日思想の韓国人もそう言う奴らも日本に来て欲しくないと思う。
彼らの為の居場所を日本に作る事に反対である。
だが、普通にベジタリアンとか、イスラム教徒が食べれる食べ物を
用意するのも私は否定しない。
日本に来たら日本に合わせろ。
日本を否定する人が態々観光で日本に来る必要はない。
日本を否定している韓国人が日本に観光に来る事が理解不能である。
其の位の節操を韓国人は持てよ!