Nicotto Town


じぇんとるの日常~思考回路図~


2018年7月11日

父、83歳、永眠。

…命日、覚えとくために記録しとかなな。←忘れるか?^^;


そんなわけで、初めて異変を感じたのは、遡ること、3月下旬。


毎朝、バター塗った4枚切り食パン一枚と、ゆで卵一個と、バナナ一本と、

砂糖3杯&ミルクで甘すぎるコーヒーを平然と平らげてた父が、

食後に洗面所に駆け込む…ちと喉に詰まった感じのむせ具合。


それ以降、パンを食べたり食べなかったりなど、食事の量が減ってく。


4月に入ってすぐ、淡路に家族旅行。

バイキングだけど、無理せん程度に食べたらいいから~とか言いつつ連れてくも、

温泉入った後に迷子になったりして一騒動。←別館に迷い込んでた。


帰りにうず潮でも見ていこうかと観光に立ち寄るも、

車から降りたら歩けない状態を目の当たりにし、びっくり。

車椅子を借りたりして、様子を見る…目の前の色が変わるらしい。

そういえば、パチ屋行っても、台が赤くなったり青くなったりするとか…。

…それ、目が悪いの?それとも脳?(←貧血だったみたい)

帰ったら病院行こうよ~と言うも、当然のごとく、病院嫌いの父は拒否。


それ以来、注意深く、父に付きまとう私。

ある日は、パチ屋に行こうとして、玄関の段差で転び、一日、家で寝てたり。

立って窓から外を見てるな~と思ったら、突然、横向きに倒れたり。

どうもおかしい…母は「杖を持ったら?」というけど、そんな問題じゃない。

いざとなると杖で支えられずにこけるのがオチ。まっすぐ歩けてないし。


あまりにもなので、GW前に、無理矢理、病院に強制連行。

すると、だいぶ胃がんの症状が進み、極度の貧血&脱水で衰弱。

その日は点滴をして、次の日に、またもや嫌がる父を何とか病院に連れてきて、

胃カメラ検査…まではできたけど、その後、入院してください、とのことで、

当然、断固拒否。どうしても入院を嫌がって、逃亡するように帰宅。


そこから始まる、自宅でのプチ介護生活~。

食事は、水分や栄養補助の流動食を~って言われてたけど、

お粥嫌いやし、変わったの用意したら「普通にご飯食べさせろ!」と怒るし…。

結局、好きなの食べてたな…ショートケーキとか。(笑)

あと、5~6歩先にあるトイレに行くのさえ、下手したら転ぶのが難点。

夜はオムツしてたけど、なるべく自分でトイレに行きたいらしく、

真夜中にドンッ!と転ぶ音がしてね。顔なんて傷もぶれですわよ。

そして私しか気付いて起きないから、小も大も面倒見ましたわよ^^;


そんな感じで、一週間から十日ほど、家で大変な日々を過ごし。

その間、家で大人しくしてる人なら、自宅介護が続いてたかも?ですが。

でもね、時間になると、パチ屋に行こうとするんですよ、立つのがやっとなのに。

しっかり着替えて、自転車に乗っていこうとするから、鍵を取り上げた私。

「満足に歩けんと転んでばっかやのに、なんで自転車が乗れるの!」

「歩かれへんから自転車に乗るんや!」…←わけわからんわ。


あまりにも父が怒るので、「もう知らん、好きにし~や」と鍵を返したら、

一度、本当に乗ってパチ屋に行ってしまいましてね。

慌てて見に行ったら、台の前で固まってましたわ。

ちょこちょこっと打って、帰りにまた自転車乗ろうとしたら、

フラフラして乗れないんだもの…結局、私が少しおぶって帰ったさ。

母と二人がかりで支えなきゃ、結構重かったけどねー。


それ以来、自転車の鍵は没収。行きたかったら歩いて行け、と。

…言ったら、本当に、休み休み、座り込みながら歩いて行っちゃったんです。

「触るな!放っとけ!」と、怒りまくるので、後ろについて、

危険な時だけ助けようと見てたんですが、結局、台の前で目を回して、

意識が飛んで、店員さんや周りのお客さんが心配して救急車呼んでくれまして。


最終的には、パチ屋から救急搬送されて、強制入院。

かなり危険な状態で、いつどうなってもおかしくないので、

覚悟しといてください、と主治医に宣告されまして。

(…しかし、その後、点滴したら、少し元気を取り戻しましたとさ。)


結局はGW明けから入院して、一か月は一般病棟で文句言いながら過ごしました。

母と協力して、毎日のように通って、病院食嫌いの父の食べれるものを探す日々。

卵焼き焼いて行ったら、「お前は料理下手やからなぁ…」と悪態ばかり^^;

結局、売店のアンパンやコーヒー温めたり、オロナミンCがお気に入りで。

母は味噌汁やスープ持ってきてたなぁ…スープジャーがお役立ちでした。


しかし、6月に入ってから、最後の一か月は緩和ケア病棟で過ごすことに。

病棟すっごい綺麗やけど、それが病状と合わせて考えるとプラマイゼロ?

看護師さんも、すっごい優しくて、至れり尽くせりでした。

音楽会とかも開催されて、写真撮ってくれたりして、気は紛れたかな?

一日一回は車いすでタバコ吸いに病院の外へお散歩したりもしてました。

病室に近所の床屋さんに来てもらって散髪もしてもらったし、

お風呂も気持ちよさそうに入ってました。


…まぁ、実際、当時は長い闘病みたいな気がしてたけど、

後になって考えると、本当にあっけないなぁ、と。

あまり痛がることもなく、息が少し荒くて苦しそうなのが二日ほど、だったかな。

三宮に行きたい…とか、うわ言のように言ってたけど、何かあったのかな…。

そして早朝だったので母と二人で看取ったんですが、孫にも会いたかったかな…。

(ちなみに孫は通夜も葬式も学校帰りの参加で忌引きさえ使ってませんが^^;)


とりあえず、無事に四十九日も終え、近所のお寺の納骨堂に納め、

毎日仏壇がお供えで溢れかえり、私のダイエットが遠のいてってます。(爆)

そんな平成最後の一年…なのでした。




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