あれから7年たった
- カテゴリ:人生
- 2018/12/29 01:01:03
今日は何時もの通りお袋のいる施設へ行ってきた。入所料金を払わなければならないからだ。最近お袋は車いすに座り始めた。もともと足の手術をして片足が不自由なのだけど、いよいよ年のせいで転んでしまうようになったからだそうだ。骨を折ったら二度と歩けなくなるから仕方ないけれど、歩かないといよいよ筋肉が減って行ってこれもまた歩けなくなる。
今月からはインフルエンザの関係で外出禁止となっている。月一で回転寿司へ出かけるのが定番だったが、来年は行けるかどうか分からない。歩けなくなっているかもしれないからな。今日俺は「よっこらしょ」と椅子に座るとお袋は言った。「おめえ(お前)もそう言うように成ったか」俺は応えた「ああ!」。
俺は救いようのない男だ。だれだってそう思う事の一つや二つあるだろう。だけどお袋の前では良い息子を演じ続けたい。おれは家族をぶち壊しにして7年がたった……
もう元には戻らないし、戻そうとしてはいけない。そっと遠くから祈るしかない。幸せでいてくれと。
ちょっと自虐的に呟いてみたかったのです。
コメントありがとう
人生にはドラマがあり、人それぞれに激動の生き様があるのだと思う。大げさに言っているかもしれないが、体験して来た事のほとんどが峻険な山であり激流の渓谷であるはずだ。また、ドラマの中で人が感じる喜びや悲しみの中には共通点が必ずあると思う。人の心を形成する基本的なマテリアルが持つ共鳴点とも言い換えることが出来るはず。
なんか難しい話になってしまったが、小説や詩を書くにあたって読者に感動を伝えるには、心に響き共鳴を引き起こす振動子を言の葉で記述する必要がある。あららもっと難しくなってしまったか。たとえば、燃え盛る家の中に飛び込んで子供を助け出した消防士のインタビューがあったとする。「炎に囲まれた部屋で、この子に覆いかぶさるように母親と思われる人が倒れていました」そして子は助かり、母親は亡くなった。これが父親でもよく、幼い頃に何かしら守ってもらった記憶があれば、この消防士の話に感動することは難しくないでしょう。
何が言いたいのだろう。そうだ、自身の人生の中に共鳴点を見つけ出しそれを盛りまくって物語を作ろう。いやそうじゃない、他人様の人生から共鳴点を見つけ出してもいいんだ。このように、小説を書こうともがく吉春のボヤキでした。何か伝わるものがあったら幸いです。
ご家族を想う気持ち
大切にしたいです
それと
ご自分自身も大切に思わないとね
それも必要かと