Nicotto Town


ごま塩ニシン


夜霧の巷(48)

「初めまして、菅原慎一郎です。現在は、伯母にあたる早水家で居候しております。実は、伯母が亡くなった伯父、正信さんの遺品整理を手伝えというものですから、伯父が残した日記を整理しておりましたら、クラブ霧笛の植村雪枝さんのことが書かれていたものですから、一度、お会いして、最近、亡くなられた信太盛太郎のことについて、何かお聞きできることがあるのではないかと思いまして。」
 ここまで言って、菅原は言葉を切った。というのは、クラブ霧笛を訪ねた際に北川美佐に冷たくあしらわれたことを、あからさまにしたくなかった。
「この男がね。霧笛に連れて行ってくれというものだから、それならママさんのお見舞いを兼ねて、紹介してやるからと一緒に連れて来たんです。」
 水沢営業課長が補足してくれた。
 雪枝は遠い過去の映像を回想していた。早水正信と知り合ったのは二十歳代の青春時代に遡る。あの頃は夢多い時代であった。ある時、農村にあった教室の授業中に武装した青年が一人入ってきたのであった。襲撃ではなく青年は教室の様子を見に来たのであった。この時、雪枝は武装した青年の様子から、この青年は教育を受けたがっているのではないかと直感した。青年の目に過激な戦闘色はなかった。何か手に持った自動小銃を持て余しているような、文化的なことへの憧れめいたものを雪枝は感じ取ったのであった。
 その後の時代の変遷を話していいものだろうか。雪枝には決心がつかなかった。それに早水正信の甥だという菅原慎一郎の狙いはどこにあるのだろうか。信太盛太郎の何を聞き出したいのだろうか。信太さんは、ひょっとすればTY国の政争に巻き込まれて、犠牲になったのかもしれない。もしそうだとすれば、事件は闇に消えていくかもしれない。あんな義理堅い信太さんが無残な最期を遂げるとは許されないだろう。どうしたら、いいのだろうか。雪枝は沈黙したまま天井を見つめていた。
「そろそろ店に行かなくては、時間が無くなりましたわ。」
 ベッドの横にいた北川美佐は様子を伺っていたが、ママが何も言いださないので打ち切りを宣言した。
「そうね。美佐ちゃんは先に出て。私は、もう少し話したいから。」
 雪枝の指示に促されて、美佐は出口へ移動した。
「ママとの話が終わったら、必ず店に顔を出すから。」
 水沢営業課長は、こう言って右手を差し出したから場の雰囲気は一区切りがついた感がした。




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