人生最大の挫折、コテンパンでっせーっ!
- カテゴリ:人生
- 2018/11/22 21:12:21
さあ、書けるかな、どうかな?
わかりませんが、ダメもいいやあ、やってみます。
「挫折」についての話です。
挫折って、出来れば経験したくはないけど、
挫折から立ち直って成長すれば、
その挫折経験は「召喚獣」になって、
今度は自分の力強い味方になってくれるんだって。
召喚獣って知らなかった、
ポケモンとかのゲームで、敵対した怪獣をやっつけて家来にしたようなもの?
挫折のトラウマを乗り越えると、人間が大きく、強くなれるってこと。
人生で味わった大きな挫折・・・
あとで思うと、あれがそうだったんだなというのが2つあります。
一つ目は、前の結婚の崩壊、
離婚です。
前の夫は、少しは有名なミュージシャンでした。
まだ、駆け出しだったころから、わたしも手伝っていたので、
前夫が売れ出した頃は、それに伴ってそこそこの仕事も手伝っていました。
事務所のスタッフたちとも、良い関係が作れるよう気を配ったり、
まあ、あまりここでは書けませんが、
ライターや、物販の商品開発も手掛けていました。
わたしの世界は、前夫の音楽業界の上にあったのですね、
当時は、そんな認識もなかったのですが・・・
簡単に言うと、前夫の浮気から、離婚されただけのことですが、
糟糠の妻は堂から放り出され、
正式離婚から1か月もしないうちに、
前夫は30歳も年下の浮気相手と結婚しました。
それまで気が付かなかったのですが、
友人だと思っていた人は、みな前夫の側につき、
彼の再婚を祝福し、わたしとは疎遠になっていきました。
事務所サイドも、前夫が役員も兼ねていたので、
当然のように、わたしはお払い箱。
華々しい世界は一転して、わたしを負け組に追いやりました。
抹殺です。
テレビも新聞も、ラジオも、
突然出てくる前夫の声や姿に、凶器のようにわたしの心臓をえぐりました。
浮気、失意、離婚、生活のすべを失い、
どこかでひっそり、心の傷を癒そうにも、
日本に居ること自体が、出来なくなってしまったのです。
わたしは逃げるように、Hawaiiに移住しました。
今でも、なぜビザが下りたのか分かりませんが、
あっさりとB!B2ビザを取得しました。
多分、アメリカ政府の気まぐれでしょう。
Extensionを入れて、20年の滞在資格が獲れたのです。
それから留学です。
普通は学生ビザを取ってから留学ですけどね、
わたしは、行ってみて、あまりに暇でやることがないので、
じゃ、勉強でもするかと思い立ち、試験を受けました。
州立だったので、授業料も免除です。
ありがたい話です。
浮気、失意、離婚、生活の基盤を失い→Hawaiiです。
Hawaiiを選んだのは、島だし迷子にならないのと、
冬服が要らないので荷物が軽くて済むことです。
あとは息つく暇もないほど、過酷な英語の授業と、
それまでのライフワークだった岩石地質学、火山学、天文学を、
英語でやり直すことです。
この時は実感がなく、わからなかったのですが、
日本での記憶や言語、思考回路は左脳、
英語圏では右脳を使うのですね。
あれほど失意のドン底だったわたしでしたが、
新品の右脳を、フルに発揮することに追われ、
日本語すら聞こえないような世界に飛び込んだため、
左脳は、思い出も不必要な凍結状態でした。
取り合えず、それで4年弱です。
ちょうどその頃に、日本で会社法が変わるということを耳にし、
じゃ、そろそろ日本へ帰るかと、
グリーンカードの申請も蹴って帰ってきました。
別にアメリカ人になりたかったわけじゃない。
日本へ帰るにあたって、
今度は、日本に住みたいというアメリカ人が二人、わたしに付いてきました。
Hawaiiにいた時の友人たちです。
そして、彼女たちのために交通の便の良い都心にマンションを買い、
みんなで共同生活をしました。
マンション、あっさり買いすぎだろうって?
だって、わたし不動産業じゃないですか、
マンションの一軒や二軒、簡単に買って、また売りとばしますよ。
え?
前夫と離婚したとき、生活のすべを失ったと言った?
ええ、それまでの私の本業は、ライターです。
不動産業は副業で、会社法の改変で日本に帰らなくてはならなくなったのです。
全部、筋道立てて話そうとすると、ややこしいんだな、これが。
もともと不動産業を副業でやっていたのにも訳があり、
音楽業界では、一時期売れてもすぐ干されるのが常ですから、
前夫が、売れなくなった時のために、
不動産投資をやっていただけのことなんです。
いざという時のために、前夫を助けようと思って始めた仕事でしたが、
結局は、自分の身を助けることになりました。
まあ、話は戻って。
日本へ帰ってきてからの生活ですが、
居候二人がいるので、日常の会話はほとんど英語でした。
あれほど辛かった日本での生活ですが、
居候二人のおかげで、右脳はフル活用です。
不思議なことに景色さえ、違って見えるではありませんか。
前夫とよく行ったデパートも、
居候たちと買い物をしていると英語ですから、
左脳でよみがえる思い出もへったくれもないんです。
みーんな別物の感覚で蘇ってきます。
気持ちがいいくらい、前夫を思い出すことがなくなりました。
わたしにやっと、別の世界ができたように思いましたよー♪
彼女たちが、今度アメリカに帰ってから、
不要になったマンションは、しばらく賃貸に出し、
鈴ちゃんと結婚した後に、欠陥が見つかって大急ぎで売却しましたが、
買った時より高値で売り抜けることができました。
こうして考えると、
確かに、当初は手痛い挫折や敗北も、
乗り越えれば、過去が辛いものではなくなるんですね。
このときは、召喚獣は、まだポケモンのカプセルに入ったままですが、
二度目の挫折の時に…
そうそう、召喚して大暴れさせたんだったわあ。
確かに、挫折なんてひどい経験はしたくはないですが、
前夫との離婚がなければ、鈴ちゃんと結婚することもなかったんだなあ。
今思えば、
挫折したまま這いつくばっていたら、
わたし、どうなっていたでしょう。
きっと、卑屈になって世を恨んでいたかもしれません。
あの頃は、ものすごく辛かったけど、
挫折できて良かったなあ♪
前夫が浮気してくれなかったら、
今頃、わたし、芸能界でいやな黒幕になっていたかもよ~。
二コタで、お友達と交流することもなかったでしょう。
良かったなー♪
さて、じゃ、今度はいよいよ召喚獣を出した2度目の挫折に行くぞっ!
つづく・・・たぶん。
恨みつらみに埋没するより、その挫折に「ありがとう」と言える生き方は、私のポリシーでもあります
だから、はなちゃんが大好きなのです^^
はなこさんの、これまでの人生を聞かせて頂く度に私の甘々な生き方を思い知ります。
これでもか⁉と言う努力もせず、ふわふわと頼りなく生きてるもんだと恥ずかしくなります。
私の前にある躊躇や躓きの原因など小石ほどのものだと気付くのです。
そうか。その気付きを得ることができたのははなこさんの壮絶な経験のおかげですね。はなこさんが意図しなくてもはなこさんの存在は誰かの力にもなっているのですね。はなこさんに出逢えた奇跡に感謝です。
それを上書きして乗り越えるのは並大抵の事ではないと思います。
で、カプセルの中に怪獣を閉じ込め…(ウルトラセブンが召還したカプセル怪獣)
左脳(日本)をシャットアウトして、右脳(米国)の世界にダイブ!!!
もう、変身しちゃうでしょ… 別次元に飛び込んだのだから…
帰ってきたはなこさん。ポケットにはカプセル怪獣…
何で福島かって言うと私の友人が住んでるのと被曝しても別に構わないって言う自暴自棄な感情からです。
震災直後なんて地獄絵図でしたからね色々な意味で。
活動地区は警察や警備員に何度も追い回されたと言う表現で察してください。
どちらにしてもその経験が無ければ今の私は存在してません。
まぁ、10年先20年先は生きてるかも分からんですけどね。
一時期インディーズの方々と関わってましたがあの世界は裏表が激しく私には合わんですね。
世の中知らない方が良いって事ですわ(^^;
ミミズはつまずかない、という言葉があるそうです。
はなこさんは、挫折してもちゃんと自分で起き上がれる素晴らしい人です。
わたしも挫折はありますが、まだまだ足りないのかもなあ(^_^;
つまずいても起き上がる力がありますように・・・
ちくしょう、今すぐにでも挫折したくてしょうがないのに、なかなか挫折できないわー。
鈴ちゃんが何ものか 前夫がどなたか すずきはなこさん がどなたかわかりませんが
人生何が幸いするかわからないのは本当で 良かったですね☆
きっとはなこさんが いい方だから そう思えるわけで....素晴らしいですね(^-^★☽♪
必要なことだったと思うようにしています
刹那の選択の積み重ねで今があると考えるなら
この世に偶然はなく、必然なのでしょうか・・・
・・・なにかありましたか?
追記:召喚獣で私が思い出すのはポケモンよりファイナルファンタジーです(笑)