江戸時代のキャンディ屋さん
- カテゴリ:コーデ広場
- 2018/11/05 09:29:11
11月のキャンディ屋さん
今はどこを見てもコンビニがある。
少なくとも、都市部ではそんな感じですよね。
だから、行商人としてのキャンディ屋さんは、いないと思います。
しかし、江戸時代には実に様々な行商人がいました。
たとえば、お総菜や、炊いたご飯(白いご飯ですよ)ですら、
行商人が長屋まで売りに来ていたんだそうです。
長屋のおかみさんが、井戸端会議に夢中になるのもわかりますね~。
家事と言えば掃除と洗濯くらいしかなかったのかもしれないから。
そのなかで、「飴屋」さんがちょっと特別だったのです。
絵でみると、幾つかの業種は凄く派手な過酷をして、
道行く人にアピールしていました。
たとえば唐辛子売りは、ほとんどそれ着ぐるみだろ、みたいな格好をしていたりしました。
そして、飴は笛太鼓を演奏したり、
面白おかしい話術で子供を魅了しながら、飴を売っていたわけなんです。
たとえば、紙芝居屋さんなんかもそうですね。
昭和の頃までこれは残っていたはずですが、
あれは紙芝居で子供を集めて、廉い飴を売る、飴屋さんだったのです。
そんな中で最も異彩を放っていたのが、
「唐人飴売り」です!
この人たちはどんな格好をしていたんでしょうか。
絵でみますと、唐人(支那人)というより、朝鮮人(当時)に似ています。
実際、朝鮮飴売り、とも言ったみたいです。
東アジアの人はまあまあ似ていることもありますし、
江戸時代にはなんといっても、接する事のできる外国人はとても少なかったのです。
長崎などに出入りできる外国人は、支那人(唐人)とオランダ人だけでした。
これは歴史で習いますよね。
あともうひとつありました。
「朝鮮通信使」というのが、それです。
これらの外国人は、将軍に拝謁するために、長崎から江戸まで行列していきました。
この行列は大名行列や勅使の行列とは違って、町人が見物するのは全くの自由だったわけです。
その中で最も「見世物」になっていたのが、朝鮮通信使だったらしいんですね。
朝鮮といえば、支那により近いところにあり、支那の文物を伝えてくれた国、という認識が「知識人だけ」にあったんですが……。
実際の朝鮮通信使の行状がなかなか、よろしくなかったようです。
しかも、将軍が即位するたびに来た、という事で、オランダ商館などに比べるとかなり頻繁だったのでしょう。その分……
悪い評判が広がったというか、
たいした人たちではない、という認識があったんじゃないのかなあ、とも思えます。
うん……。
鶏泥棒をしたとか、
ええと……厠を使わない……とかはねえ……。
そりゃ、「大した人たちではない」と思うでしょう。
なので、滑稽な人々、というところから、一種の道化師のようにみなされたのでしゃないでしょうか。
唐人(朝鮮人を含む当時の用語)飴売り、というものはそこから出たのだろうと思います。
唐人の格好をして、面白おかしい事をしながら、
子供を集めて飴を売る、という行商人がいたのでした。
江戸時代のキャンディ屋さんは、だいたいこんな感じでした。
そうですね!
私が歴史を知っているというのではなく、まあ、
教科書に書かれている以外の事がなかなか楽しいよという感じでしょうか。
日本史、日本の歴史って長いですから、
あまり細かな事まではやってくれなかったりもします。
一応「なんたら文化」みたいな事は昇階されていても、
その詳細まではあんまし……。
ここらへんが実は面白かったりします~。
歴史を知るって楽しいですね!
飴細工ですね~!
あれは、白人の子を連れていくと凄く喜びます。
リクエストすれば大抵のものは作ってもらえますしね~。
私もあれを見物しているのは凄く好きです。
知らなかったです・・
飴売りというのは、日本伝統のはさみで切りながら動物を作ったり
して売っているのは、昔からあるのかなと思っていました。
それとは、またちがうのですね(;´・ω・)
そうですね~!
割れた茶碗を継いで、そこに金粉などを飾ったりして風合いを楽しむ、というのはお茶の世界に残っているみたいですけれども、日用の瀬戸物ではなくなっちゃいましたね。
私も、お気に入りの茶碗などが割れてしまった時に、継いでくれる職人さんがいればなあ、と思ったのを思い出します。
江戸時代は鎖国していた事もあって、ものはほんとに大事にしていたそうですね~。
おおっ。そんなシーンがあったんですか~。
どこかで見られないかな……。ちょっと見てみたいです。
確かに、巻き藁のようなものや、菅笠(?)などに飴を差して売っている飴売りもいたのを憶えています。
その本の挿絵ももしかしたら杉浦さんだったような……違ったかな><
そうらしいですね~。
今のデパートのメインの売場が女性向けファッションであるのもむべなるかな、です。
江戸の頃の方が分別ごみも進んでいたとか。
割れた茶碗なども継ぎはぎ屋がきてなおしてたとか。
杉浦日向子の「一日江戸人」という本では飴売りに限らずこの手の奇抜な格好をしておひねりをもらう大道芸的な人が結構いたらしいです。
三越の前身である越後屋が量販店のさきがけだったそうです。
ありがとです!
私の手元には、江戸時代の職業事典があって、そこには幾つか挿絵も載っているのです。
そこに唐人飴売りと唐辛子売りがありました。
ありえねーだろというような、コスプレイヤーでしたw
できるものなら、本物を見てみたいですね~。
翔さんが歴史に通じておられることが良くわかります!今回も勉強させていただきました〜m(__)m