吉春と語らう伝言板その2
- カテゴリ:伝言板
- 2018/10/14 00:08:53
龍田山からの便りがあった。
言の葉を、留め置く場所を確保せよ
とのお告げである。
区分け
・戦国に関すること
・犬和歌に関すること
・吉春へのいちゃもん(もう来るな、など)
・その他徒然なるままに
突然巡業の旅に出て、そのまま戻らぬことも
その際は、お許し下され
あれから一年が過ぎた。まだニコットに居る事が奇跡だ。
龍田山からの便りがあった。
言の葉を、留め置く場所を確保せよ
とのお告げである。
区分け
・戦国に関すること
・犬和歌に関すること
・吉春へのいちゃもん(もう来るな、など)
・その他徒然なるままに
突然巡業の旅に出て、そのまま戻らぬことも
その際は、お許し下され
あれから一年が過ぎた。まだニコットに居る事が奇跡だ。
「もみぢ」にコメントを有難う御座います。
一般にもみぢ(イロハモミジ・楓)は5-7に葉が分かれております。
其れを赤子の手に見立ててお話をして下さいました現代国語の先生がいらっしゃいました。
テストの答案に「紅葉」と書く処を
「赤子手」と書いて提出致しました同級生が居ます。
先生は大変喜びまして、
「惜しいね『赤子の手の如く(赤子如手と思われます)』と書いて居たら
〇をあげていたよ」と。
今でも想い出深いお話です。
もみぢの形は、何処と無く幼子の手に似ていると思います。
>完全に歌になっている。まあ、そのつもりなのでしょうね。
余り深くは考えておりませんよ^^
「彼岸花」にコメントを有難う御座います。
「行き詰る」状態に為りましたら、無理を為さらず
気分転換をされると良いかと思います。
何時か又、続きを作り、又作り直す事も人生ですから^^
彼岸花の想い出と致しましては
特にマイナスなものは有りませんでした。
学校へ持って行きましたら花瓶に飾られましたし
家に持ち帰りましても飾って戴きましたし
庭にも彼岸花は咲いておりました。
私の中の「彼岸花」は、此岸と彼岸の渡し船の様な物でして
心を解す一種の理かと思います。
手を取りて君を忘れぬ渡し船彼岸の花の川のほとりに
「くち」にコメントを有難う御座います。
中の方は出たいのでしょうか
出たくないのでしょうか
吉春さんは「出たい」のですね^^
~~~~~~~~~~~~~~
↓のコメントも書かせて戴きます。
私も歌詞を書きたいものですが、「此の言葉に曲を作りたいと思いました」等と
コメントを戴いた事は有りません笑
白馬の王子様を待つ気分です^^
自分で曲を作りましたら良いのですが、
時間を取れませんし、機材を揃える事も出来ませんので
諦めております。
又、私の綴ります言葉でしたら「童謡が良いのではないですか?」とも
言われた事が有ります。
Tの方でも「活躍」等しておりませんよ笑
>ネタ探し
其の通りです。
他の方からの刺激による、自発的呼吸を致しております。
最近は少々疲れておりまして、余り読む余裕が御座いませんが汗汗
>私はこの調子が一番心地良いものですから
考えてみれば詩を綴るのには、歌詞の形が一番心に残りますよね。
よくわかんないけど、詞ってのは元々曲に乗せるために作られた歌詩ってありますね。
良い曲に乗せた良い詩は、好く歌われて心に残りますよね。
なんか自分の思いを伝えたくて頑張ってる雨宮さんとかうらやましいな。
私も歌詞を作りたくなってきた。
話がそれてしまったが、Tの方でのゆうなさんの活躍は確かに意外な一面がありますね。
何所がって聞かれても困るんですが、しいて言えば類ともつうか私がニコットでやっていることをゆうなさんはTでやっているようなところが見受けられます。平たくゆうとネタ探しであり、また自己表現の修練つうか武者修行かな。人様の呟きを自身の心に移して表現する。歌の返歌のように詩で返すみたいな、禅問答の様であったりかな。あまり時間をかけてコメントしても良いものが返せてるとは限らないですよね。私の場合ですよ。また返歌の類といっても会話なんだから、間を開けたらだめで自分なりに意を汲み取ってコメントしなければならない。相手にとって頓珍漢であっても適時返答は大事だと思います。
ごめんなさい、かなり長文になってしまいました。
>流行りなんですかね
如何なのでしょう。
私はこの調子が一番心地良いものですから
自由詩拠り此方に偏りがちに為って仕舞います。
Tの方では、かなり奔放にやっておりますが笑
>比喩や隠喩にうつしに対比
余り考えておりません汗汗
>月明り透けて見えるは小賢しさ、永遠の契りもしんかいの淵
月を背に立つ君のごと表裏晒す顔なく何ぞちぎれる
口語調も良いと思います^^
>「その言葉思い浮かべて呟けば、これまで生きた心をうつす」
其の通りかと思います。
其れで良いかと思います。
私の見ました情景を、他の方に押し付ける事は致しません。
又、他の方が感じられました情景が私の言葉とイコールとも思いません。
其々に見える情景が有るかと思います。
ただ、否定はしないで戴きたい、其れだけなのです^^
「君が背に続く径にて立ち居たり我の径とは異なる物を」
お粗末様でした^^
>想いを知る時、「をとめ」はどうなるのでしょうね^^
天の川に架かるユニゾンの橋を渡るのでしょうか?
そしてをとこは、近づいて来る織女の足音を迎える夢を見る。
>伝える為に・・・届く・届かないが有ります。
本当は近くにいて上げられたら良いのにね。
「何よりも背なをくすぐる温もりは、独りじゃないと心やすらぐ」
そっと背中をさすってあげたり・・・
此の様な状況ですとなかなかお見舞いも難しいのでしょうね。
早く、安心して拝顔できる状況に為ります様に。
「をとめ」にコメントを有り難う御座います。
「をとめ(乙女)」の対義語は「をとこ(男)」で合っています^^
「をとめ」は純粋・純潔で有りますから
「をとこ」の存在を知らないのでしょう。
「をとこ」から致しましたら、「をとめ」は神々しく触れる事を躊躇わせる
存在なのでしょうか。
想いを知る時、「をとめ」はどうなるのでしょうね^^
「伝える為に」にコメントを有り難う御座います。
吉春さんが其の様に受け止める事は
吉春さんの中で其の様に信じたいとの思いがあるからでしょう^^
私が何を思い、何を伝えたいかは二の次ですが、概ね同様の想いと思います。
「花よりも言の葉よりも君の背の近くに在りし心をば知る」
幾ら飾り立てました言葉も、受取手に拠りまして
届く・届かないが有ります。
必要な時、必要な方に届く言葉を紡げましたらと願っております。
私の母は膝を痛めていて、自活できないので施設に入っております。
残りの時間を平穏に過ごせることを祈るばかりです。
お気遣いありがとうございます。
私がすべきことを、代わりにやって下さる方々に感謝です。
ゆうなさんにも、良き日々が賜りますように。
「願い」にコメントを有り難う御座います。
吉春さんの想いが永遠に続きます様に。
穏やかな日々が訪れます様に。
「偲びつつ」にコメントを有り難う御座います。
お母様は入院されていらっしゃるのですね。
心惑うばかりの日々でしょう。
心置きなく面会出来ます日が早く訪れます様に。
美しく想像して戴き有難う御座います。
私の想い拠りも更に美しく彩られまして、嬉しく思います。
花の「色」も変わりましたら、
五感も全て働く事でしょう。
ですから「にほい」でも突っ込みませんよ^^
紫陽花の季節
花の色を見ましたら
過去の景色が映ります。
其の時の、風の温度、湿り気の香り、さわめく音
凡て、詠み人の「紫陽花」です^^
>色では字足らず
では、「色香」でも良かったのでしょう^^
其れでも「にほい」と歌に為りましたから、良いと思います。
新春の歌にも為りそうですね^^
>詠み人は「異なるものを」望んでいる様に感じて
毎年見ておりました様々な花を今年は愛でる事が出来ませんでした。
花を見る際、毎年同じ心持ちとは限りませんから
今年見られる花と私の心が刻めない事は淋しいものです。
来年は、気持ち良く花を愛でられるでしょうか。
来年も、今年と同じく憂鬱な気持ちに為らなければ良いのですが。
「雨粒」にコメントを有り難う御座います。
お褒めの言葉、嬉しく思います。
珠の輝くとき、珠は感じているのでしょうか?
きっと、自らは気が付かないものでしょう。
吉春さんも、きっとそうですよ。
御自身の輝きを見逃しているだけでは無いでしょうか^^
「どこどこ」は方言では有りませんが
きっと吉春さんの心の何処かに
>青い鳥も何処に飛んでるのと、沢山(どこどこ)飛んでいる
「幸せは沢山世の中に在って欲しい」との願いが重なっていらっしゃるのでしょう。
>川がごうごう(どこどこ)と流れているのと、何処へ行くのだろうかと掛けているように感じました
此方も、面白いです。
私の言い方でしたら「どぉごどぉご」でしょうから「どこどこ」=「ごうごう」も
当てはまるかと思います^^
然し乍ら、其れも吉春さんの感性から受け取りました思いです^^
>童話「青い鳥」と似た感がありますが
全く以って、その通りで御座います苦笑
>わたしの魂はどこどこ行くのでしょうか・・・
吉春さんの魂は、しっかりと行くべき道を進んでいらっしゃるでしょう。
其れが、紆余曲折しておりましても
須らく、吉春さんの心の恵みになるかと思います
「梅衣」にコメントを有り難う御座います。
近所の大きな公園では、既に「梅祭り」が行われております。
私はずっと「蝋梅」が好きでしたが、梅では無いのですね。
梅の目覚めは2月から。
梅を詠まれていらっしゃいましたのは、奈良時代の頃でしょうか。
未だなお桜に負けぬ梅の香よ華やがずとも「我此処に在り」
「どこどこ」は方言では有りませんが
きっと吉春さんの心の何処かに
>青い鳥も何処に飛んでるのと、沢山(どこどこ)飛んでいる
「幸せは沢山世の中に在って欲しい」との願いが重なっていらっしゃるのでしょう。
>川がごうごう(どこどこ)と流れているのと、何処へ行くのだろうかと掛けているように感じました
此方も、面白いです。
私の言い方でしたら「どぉごどぉご」でしょうから「どこどこ」=「ごうごう」も
当てはまるかと思います^^
然し乍ら、其れも吉春さんの感性から受け取りました思いです^^
>童話「青い鳥」と似た感がありますが
全く以って、その通りで御座います苦笑
>わたしの魂はどこどこ行くのでしょうか・・・
吉春さんの魂は、しっかりと行くべき道を進んでいらっしゃるでしょう。
其れが、紆余曲折しておりましても
須らく、吉春さんの心の恵みになるかと思います
「椿」
>ポトリと落ちる花弁からのイメージは、桜のそれより強い。
この辺りの感覚は吉春さんと良く似通っていると思います^^
潔さと、強さと、勇気と。
>落ち椿こち吹く空に時を知り、別れを告げる色ぞ麗し
成程です。「こち吹く風」でしたら重なってしまうのですね。
東風と「こっち」と掛けて読ませて戴きましたが
無理が有りましたか苦笑
また、「凍える」との意味合いも考えてみましたが
「東風」は北風に対しまして暖かい風ですので、却下させて戴きました笑
赤椿として考えますけれども、本当に素敵な女性からの別れの様ですね。
私も古い人間ですよ苦笑
息子の同人即売会用に短編を書かせて戴きましたが
今時の若者は「お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ」を
知らないのですね汗
驚きました。
息子には「歳がばれるよ」と言われて仕舞いました笑
「雪」
>手を延べし天より下る純白は、留まりもせず夢の悲しさ
其の通りです。
此の世は夢、人の生き様は儚く、憂いばかりに気を取られてしまいます。
寒い日々、少々私も弱っております苦笑
嫌な「ワスレモノ」には私も触れたくは有りませんが
そうでは有りません「僅かながらの想い」の忘れ物は
創作物の中で触れる感情の様な物かと思います。
其の様な中でも、矢張り辛くなります「ワスレモノ」は
存在致しますね。
「ワスレモノ」は気付いた人にだけ感じられるものと思います。
吉春さんの元に感じたく無い「ワスレモノ」が届きません様に。
「黒」とは心の澱みでしょうか。
常に平静で居られる程には、私は強くありませんので苦笑
「春を待ち」にコメントを有り難う御座います。
>「凍てついた無垢な心のうつろうは、春の日差しに癒されてこそ」
「うつろう」は「虚ろ」と「移ろう」を掛けたものと思っております。
花咲きてなおうつろいの悲しみに 春はいずこと彷徨うが我
私もウィンタースポーツは苦手でして汗
そもそも、「雪が降る中、外出」等は以ての外でして笑
>降り積もった雪に圧迫された心は、身動きがとれぬほどで焦燥感を伴う。
云い得て妙ですね^^
季節の春は待つ事で訪れますが、心の春は難しいものです
出来るだけワスレモノには触れたくないですね。
自分自身の心が闇に覆われて引き込まれてしまいそうです。
もちろんそんなワスレモノばかりじゃあないんだけれど、それを引いてしまった時のことを思うと・・・想像したくありませんね。出来れば前もって知るすべがあれば幸いです。
どうやらゆうなさんのいう黒が、うまく感じ取れなくて残念です。
それゆえただ祈るばかりの吉春です。
ありがとうございました。
失格等と言う事は有りません汗
「ワスレモノ」は忘れた方、気付かれた方に拠りまして
様々な「想い」に変化されるかと思います。
吉春さんもきっと、様々な「ワスレモノ」に囲まれていらっしゃると思います。
「手紙」にもコメントを有り難う御座います。
「今は昔」と言える日々が何時か来るのでしょうか。
其の時の「黒」は何時の日か「今は昔」でしょうけれども
きっと、そう思っています際にも「黒」は増殖するかと思います。
人は変わり逝くものなのでしょう。
取り留めのないお返事で申し訳有りません。
「初春」は毎年ですが、きっと「心の中の初春」は
毎年異なるのですよ^^
毎年の抱負を持ち、「こころあらたに」節目はある方が生き易いのでしょう。
人生はリセット出来ませんが、疑似思考なのかも知れませんね^^
吉春さんの歌の「有無もなく」、ついつい「有為も無く」と読んでしまいました汗
「静けさの宵」にもコメントを有り難う御座います。
「降る鐘」との表現に感銘を受けました^^
諸行無常とは人の世の事。
「久方の」と歌われます様に、天地は不変と思われていたのでしょう。
今は「現代科学」の視点からだけでは無く、実際に考えも及びませんでした
季節の崩壊となっております汗汗
私が見ました「帰り花」は高校生の頃でしょうか
酷い台風に見舞われまして、気候がおかしく成ってしまいました。
その際に、何時もは咲きません桜が狂い咲きしたのです。
未だ、感受性の豊かな頃ですから、此の世の終わりかと思いました。
「帰り花」の便りを聞きますと、其の感覚に襲われます苦笑
若かりし昔日を思い出すと共に、あの頃の情熱も思い出し、あの頃の熱も思い出すのです。
私の住まう場所の近くでしたら、広い公園内に寒桜が有ります^^
そろそろ見頃なのでしょうか。
故郷では、1月頃に咲きます寒桜も有りました。
懐かしい思い出です。
吉春さんの消息が分からなくなりまして、もうニコッとタウンにはINされないのかと心配しておりました^^
また、読みに来ていただけますと嬉しく思います。
ところで『帰り花』って調べてみたんですよ、これってキーワードですもんね。
おおかたの意味合いは、季節外れに咲く花。例⇒寒桜(晩秋から初冬にかけて咲く桜)
思い出したように咲く花に、昔の思い出も帰り咲く。
群馬では山波石と冬桜が有名です。時期ですねそろそろ。
ゆうなさん所でも咲いているのですか?
次の作品も楽しみにしております。
昔日の
赤き夕陽に浮き出るは
かえる心の
帰り花かな
「林檎」にコメントを有り難う御座います。
勿論覚えておりますよ^^
忘れるわけが有りません。
青春は一生の思い出にしたいものですね。
又巡り逢い、大切な気持ちを思い出す事も有るものでしょう。
「しのぶれば」にコメントを有り難う御座います。
セカンドさんの歌は初めてですね^^
セカンドさんは前向きな方です。
悲しみも、苦しみも明日に繋がるものと考えていらっしゃる様に
感じます。
私は振り返り、振り返り、泪しながら次の一歩を踏み出します。
>月に向かい「泣いてくださるの?」
心に響く言葉ですね。
一人ぼっちの夜には、月と共に泪したいものです。
13年間共に暮らしました猫様が他界されました。
その悲しみを詠んでみたものです。
「心の中の倉庫」にコメントを有り難う御座いました。
あはは、下水に繋ぎますか。
下水道が詰まってしまいまして、お役所からお叱りを受けそうですね 汗
流してはいけないリスト・・・・個人情報かもしれません!
きっと見つけて下さいね
きっと火種に成るでしょう。
ましろきは
如何にも成れる 焔種
君の心に 言葉揺らめき
ご無沙汰しておりますが、如何お過ごしでしょうか?
本年は犬についての会話など、仲良くしてくださいまして
どうもありがとうございました。
よろしければ、来年もよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えください^^
「届かぬ夜に」にコメントを有り難う御座います。
コメントレスが遅く成り申し訳ありません。
声聞こゆ 我が身にふりし しもつきの 月の清けさ 月の静けさ
呼んでいるのに、呼ばれているのに、迎えには来てくれません。
月の声は時に残酷ですね。
>吉春さん、曲を付けて下さるのですか?笑
それはですね、ご存知かもしれませんが雨宮さんが叶えてくれます。
今風のビートに載せて歌う子狐の恋、ヨウツベで流れるようになったら教えてください。
『あなたへ ~失くした言葉~ 』でも良いと思います^^
私は題名を付けるのが苦手ですので、つい
同じ様な題を付けて仕舞いがちです。
吉春さん、曲を付けて下さるのですか?笑
あてどなく 行く末見えぬ 言の葉の
子狐に降る 想い文かな
色々大変そうですね、そんな中コメント返しありがとうございます。
あれから一年がすでに経ちました。
ニコットで色々活動してきたこと、無駄ではなかったです。
それどころか、自分でも驚くほ文章力が付いた気がします。
それもこれも皆さんのおかげだと感謝しております。
そうこうして居る内に、私の大望である歴史小説の第一章が上がりました。これから推敲を重ねて行かねばなりませんが、今はただ終章に向けてとりあえず書いてみる事だと思っています。先は長いのです、全体を序破急に分けてそれぞれ1~6章位まである感じなので、いま1/18つう所でしょうか。来年一年かけてこれを続けていこうかと思っています。
ちょくちょくこちらを見に参りますので、£ゆうなさんの書き込みが復活するのを気を長くして待とうかと思います。それでは
何方のコメントも嬉しく思いました^^
「此方」の読み方はお任せいたします。
読み方にこだわりの有ります時には仮名を振りますので。
重い荷物は大望の表れなのですね。
でしたら私は見守る事しか出来ません。
若しくは、共に歩む事でしょうか。
それも、彼の人が気付いてくれましたら、というお話ですね。
追体験できる程の文章とは、褒め過ぎですよ苦笑。
それでも、何かを感じて戴けましたら嬉しい限りです^^
「夜空」にコメントを有り難う御座います。
あの歌はチューリップの「夏色のおもいで」なのですね。
youtubeで探してみましたが見つけられませんでしたので
Coverされています音源を聴きました。
吉春さんの中にも「あおき日」が有りますか。
空のあおさも海のあおさも、
悲しみのあおさを吸い取って下さるのかも知れませんね。
「温もり」にコメントを有り難う御座います。
ねこのこになりましたつもりで寝て見ましょう。
夢の中でねこは独りではないのかも知れません。
ただ、現実に戻った時には淋しさを感じているかも知れませんね。
独り寝この子、独り猫の子はでしょうか^^
>心の思いは重なっているものがきっとあるはずです。
>思いの海に浮かぶ愛の花を掬ってみる。
『愛の花』その花はきっと太古の昔、殻を割って這い出して来る我が子。
そのためにひたすら巣を守った恐竜たちですら備えていた、脳髄の根幹部分。
これに養われて開いた花。それは人が人たる所以を、鮮やかに咲き示している。
さて、その漂うばかりの色どりや如何にやあらむ・・・
あ! 詩的な表現を試したみたけど、なんか固いな。
ゆうなさんだったら、もっとこう丸みを帯びていて、
そう、漂うような優美な曲線でもって表現するんだろうな。
早く元気になってくんないかなぁ (方言)
戦国小説を書く努力を再開してみる事にした。
どうかすると喜怒哀楽を瞬間的な感情の起伏に変容している。
これを意識的に修正する。小説では、この喜怒哀楽を歴史空間
の中で捉えることができる。親子の愛情にしても数代前の愛と
現代では現れ方は違っているが、心の思いは重なっているもの
がきっとあるはずです。思いの海に浮かぶ愛の花を掬ってみる。
>ここで出会ったのが、歴史的運命と思って、
>遥かなるご先祖の思いを討ち果たすという想定
文脈からするとかたき討ちのように思えます。
どうでしょう、これはそれで良く使われる設定かと思います。
落としどころが見事本懐を遂げる王道設定と、逆に相手を結果的に窮地から救う設定。
私は後者を臨みます。自身の子や孫に自信をもって語りたいのです。
助ける事により何故遥か昔の御先祖様が、思いをはたせなかったのかを覚える。
物語の中では、世の不浄やそれにとどまらず自身の暗黒部分も必要でしょう。
世の中甘くないことは、世界中の人々の知る所です。
しかしながら、バンジージャンプや恐怖映画の類を求める人々のいる事は理解できます。
戦国時代の日常がそれなのですから、希望を持て救いのある読了としたいものです。
自分という今がある。おそらく弥生時代もご先祖は生きていた。奈良、平安、戦国時代
もご先祖は生きてきて現代の今の自分がある。この時代を生き延びるにあたって、遠い
ご先祖のご苦労、恨みつらみがあったはずだ。ご先祖の思いを、この今の時代に相手も
生きている。ここで出会ったのが、歴史的運命と思って、遥かなるご先祖の思いを討ち
果たすという想定もあるわけです。私はこうした構想に興味があります。千年の思いを果たす。
>切り口を何処にするかに拠りましては、とても生き生きとした
>作品になるのではないでしょうか。
ここ何か月か思い出したように、戦国期の勉強に熱中しております。
ツイッターを始めることにより、プロの先生とか博学のアマチュアの方の呟きに目から鱗を落としております。生きることが精いっぱいの時代に、果たして希望はあったのか?
あの時代に生き生きする様子を見出して、それを表現することは難しいでしょう。とは言え、それでは身もふたもなく、苦難だからこそ夢や希望を失わず道を行くことが生きることを支えるのかもしれない。
◆昔の書き込み
海は死に
山も枯れとて
人もまた
心ならずに
何故に生きよう
私は何を支えに生きていますか?
夢ですか? 希望ですか? それとも愛ですか?
永遠なんてものはありはしない
そういう心なら、とても生きては行けないでしょう。
貴方は生きて行けますか?
今回はちょっと人生哲学っぽくやってみました。
~~苦難を生きるとは、こういう事なのかもしれない~~
私がもし小説なるものを著わすなら、これが主題の一つになるのでしょう。
>私は上杉の家臣のそのまた家臣(陪臣)の生き様
良いと思いますよ。
メジャーな作品は多いですが、満腹感も更なり。
切り口を何処にするかに拠りましては、とても生き生きとした
作品になるのではないでしょうか。
話はずれますが「武士の家計簿」という映画はとても面白かったです。
>時代を視る時、どうしても有名人に気が向きますね。脇役を主人公にできない。
>メジャーに流れてしまいます。
時代を戦国に観るとするなら、織豊徳が主人公であり武田上杉は脇役になってしまう。前にもお話したかもしれませんが、私は上杉の家臣のそのまた家臣(陪臣)の生き様を描いてみようなどと考えています。今思ったんですけど、此れでは掴みが弱いですね。いっその事、家(氏族)そのものを主人公に据えて、日常である合戦を語ろうかなとも思う。
主題はそうだな、『家=生きる』という事、『武士の名=家』かな。
また、『兵(戦)は詭道なり』と『徳・慈愛など』は、相反することが一個人において双方を内包可能なのか。その辺り善悪的な事は、スターウォーズを手本にするのも良いかな。
つまらん独り言でした。
コメントありがとうございます。
>言わば居合抜きにスパッと課題を切り捨てて、読者に切り口を見せつけてくれるような作品
(小説の主題をスパッと居合抜きに立ち割って、読者に切り口を見せつけるような作品)
と言う意味ですよねきっと。
なんか切って捨てる部分が、余分なものとして除くと始め思ってしまった。
珠玉の短編とは、そう言うものであると仰るのですね。納得です。
さて、長編となると主題は作品全体で語るもの。
まずは掴んで引きずり込んで疑問を投げかける。
少しづつヒントを匂わせ、終盤になると答え(主題)を確信させる。
どんでん返しでなるほどの主題を披露する方が話題性があるとは思う。
しかし、どうだろう。私は読み手の望む答えを用意するのが王道であると思う。
その答えは、読み手の人生に照らし合わせないと解読不可能な暗号で記す。
当然読み手により答えは違うのである。
無学な私は、このような物語を手本としたいものです。
ごめんなさい、素人の勝手な持論でした。
小生が参加している読書会では、今年の春ごろから川端康成文学賞の作品を読み続けてきました。先月は水上勉の『寺泊』でした。先々月は和田芳恵の『雪女』、8月は田久保英夫の『辻火』でした。これらの作品は言わば居合抜きにスパッと課題を切り捨てて、読者に切り口を見せつけてくれるような作品だと思います。短編の珠玉と言っていいでしょう。ここにヒントと魅力を私は感じています。読書会の参加者も同じような感想でした。
現在進行形ではなさそうなので安心しました。
>その様な時、何と言えば良いのでしょう。
どうなんだろう、大丈夫とか頑張ってとかそんなに悪い印象を与えるのだろうか
つい出ちゃいますよね。--もしかしたら言葉はいらないのかもしれない
いや、先に気配り(手伝うとか)があれば、言葉に善意が乗るのかもしれない。
なかなか出来ないことです。
色ついて零れおちたる言の葉も
うける袖なく悲しかりけり
こういう事もありうるわけで、それはそれで秋のものうげですね。
「言葉」にコメントを有難う御座います。
「頑張って下さい」と言って怒られた件は、
小学生の頃と、社会人になってからです。
学校から帰宅する際に、見知らぬ先生が植木の世話をしていました。
そこで一言二言話をした後に「頑張って下さいね」と言いました処
「どうしてあんたは『手伝いましょう』の言葉が出ないんだ」と
怒られました 汗
その後、半強制的に手伝わされました 汗 汗
社会人になってからは
「あなたよりも大変な人に向かって、頑張って下さいなんて無責任な言葉よ。
せめて『一緒に頑張りましょう』と言いなさい」と上司に言われました。
一緒に頑張れる土俵に居ませんのに、どうしてそのような言葉が言えるのでしょう・・・。
「大丈夫?」は言って後悔したこともありますし
言葉も出ない状態で「大丈夫?大丈夫?」と訊かれまして
不快に思ったことも有ります。
けれども、私にはそれに代わる言葉が思いつきません。
いつも、心苦しく「大丈夫?」と言ってしまうのです。
私は無知です。
感情を言葉に表すことが苦手です。
その様な時、何と言えば良いのでしょう。
こころをば みてほしからん
きみのきず いやすおもいは こぼれおつのに
上野(群馬)では今、上野三碑が世界の記憶遺産(2017年にはユネスコ世界の記憶)に登録された。 このため高崎市では、この三碑に結構力を入れておるようです。
多胡の古碑には、石上の性が刻まれている。これを現代語訳すと次のようになる。「弁官局からの命令である。上野国の片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新しい郡を作り、羊に支配を任せる。郡の名前は多胡郡とせよ。これは和銅4年3月9日甲寅に宣べられた。左中弁・正五位下多治比真人。太政官・二品穂積親王、左太臣・正二位石上尊、右太臣・正二位藤原尊。」(「箕輪城と長野氏」より)
このうち「正二位石上尊」は長野氏の本姓(石上氏)とされており、石上氏は物部氏の後裔であり金井沢・山の上の碑は物部氏によるものとされている。
これ以前の上野では毛野氏とその後裔である車持氏が繁栄を極めたいた。朝鮮半島へ従軍するヤマト王権の片翼を担っていたとされている。車持の君の娘は藤原不比等の母であり、不比等の幼き頃は上野に居たとかもっともらしい伝承があります。かなり眉唾だけど。
『日本書紀』崇神天皇段には上毛野君・下毛野君の祖として豊城入彦命の記載がある。孫の彦狭島王も都督に任じられたが赴任途上で亡くなっている。東国に赴いたのは御諸別王が最初であり、御諸別王が実質的な毛野氏族の祖といえる。
興味がないわけじゃあないけれど、戦国時代が手いっぱいで古代まで手が回りません。
古代において時々、群馬地方のことが出て来るのですが、
こうしたことに興味をお持ちではないのでしょうか。
案外に古代の大和政権と地方政権との関係が未解明な部分も
多々あるのではないかと思っています。
濡れ落ち葉と聞くと、何かへばりついてお邪魔な存在ですよね。
三輪山の里に軒さえなかりせば
落ちたるみにも末やありなむ
土を肥やし末の芽吹きに備える自然の成り行き。
だがしかし、お邪魔なものはお邪魔。ごもっともです。
素晴らしいと思いました。赤く熟れて屋根瓦に枯れ葉となって
散っていく木の精霊たち。これが樋の雨水を詰まらせるのです。
今日も脚立を立てて掃除しました。紅葉を詰まらせて悲劇あり。
川屋=厠でしょうか 汗
植える気持ちも分かりますね。
昔のお手洗いの消臭剤と言いましたら
金木犀が多かった気がします苦笑
無理に良いイメージにしなくとも良いかと思います。
お手洗いに行くときの、幼い頃の思い出も
大事な思い出です^^
心身共に疲れている時、内に向いたその先に
「放心」というものが待っている事を
最近になって気付きました。
疲れている事さえ許されず
他人と比べては泪して
出来ない自分を責め立てて
出来ない自分を責められて
とうとう、こんな処迄来てしまいました 苦笑
歌を詠みに戻ってらっしゃいませと
お伝えさせて戴きました^^
吉春さんの歌から察しますに
詠いたくなってきたのではありませんか?
筆を舞わせてくださいね^^
秋が来ましたし、葉も垂れて参りました
山々の色付きたります葉を見るにつけ、言の葉が浮かんで来ますね。
このように、紅葉に筆を舞わせて歌を詠んでいきましょう
お待ちしております。
あききたり やすむまもなく いろづきて
こうようにさえ ふでのひとふり
これは素晴らしいですね、色々な物語が紡げます。
上の句は、山頂から麓まで休む間もなく色づく様子が思い浮かびます。
これに対する下の句がこれまた前回につづき秀逸ですね。その感性が羨ましい。
此処からは吉春の空想ですが、色づく紅葉を筆に走らせて、想い人へ文を贈る姿が浮かびます。
すらすらと、ひとふり、またひとふり。
秋たれは山の言の葉いろつきて
こうようにこそ筆の舞ひけれ
ありがとうございました。
ぽっかりと空いた穴は
地に落ちて
他の葉と交わる事で
埋まると良いですね
>かぜのまに すべりおりたる さくらばの
むしのあなさえ あきのものうげ
下の句が秀逸ですね、穴の開いた紅葉を見た時の秋の感傷的な表現にピッタリ!
そこで一首
はらと落つその儚さを手に取れば
むしのあなさえ あきのものうげ
「これって、あたしの心よ!」なんて言っちゃいそう。