私の若い時はヒッピー世代で・・・。
- カテゴリ:日記
- 2018/10/09 16:35:18
私の若い時はヒッピー世代で結婚と言う形に拘らないで
自分を解き放つと言うので裸で生活をしていて、
菜食主義も在って、人それぞれだったけど
彼らは其れでも有色人種の人達は差別していた。
宗教的な違いも在って彼らはヒッピーを理解できないとかで。
色々な考えの人が居たけど男女数人がセックスがしたく成れば誰とでもすると言う感じ。
影で男に取って「都合のいい女」になって、何の責任も男はとらなくてよくて
子供を産む、産まないも女が決めてと言っていた。
だけど、現実は子供を命が在って育って行く過程でお金がかかって
働かないと生活費は出無くて、現実が其れを潰して崩壊させた。
結局女は劣悪な状態の中で子供を持て余し気味にギリギリの生活で破綻して行った。
男からすれば自ら選んだ選択なのに、後で違っていたと言う割れても話が違うじゃないかとなった。
そう言うの見て来ているから。
だけど古典的な男が主導権を握るのを否定する意見も私は良いと思うけど
其れで現実に其の女は子供を産んでどうなったのかと言うと首をかしげる本当に其の職業を自ら選んだのか、それとも選ばざる得なかったのかと思う。
ほっとかれた子供は近所だからと押し付けられても学校の規則で家に帰さなければならないし、学童保育を奨めても規則で縛るような所と言っても私は其の考えは在っても良いけど、向こうが言う当然助け合う中の私をどう助けてくれるのかが帰ってこない。
自分の考えは解るけど・・・。理解はするけど、それと私の生き方に入り込まれるのは別。
BLSTも理解はするけど、だからと言って女が裸になって私を抱いてと言われても私は女の性欲を満たす為に奮闘する気はない。
詰りBLSTを理解するのと私は自分が居る所で男が裸になって着替えをして貴女も一緒に着替えましょうと言われても私が感じる不快感を無視されたくない。
私は何とも思っていない興味ない男の陰部を見たくない。
痴漢にコートの前を開いて陰部を見せられて気分になる。
其れを否定されたら不快な感情を感じた事は私の感情の中に確かに在るのだから
其れを主張する。
女同士だと普通に銭湯のお風呂に入れるけど私は自ら進んでヌーディスト欲情に行きたくない。
混浴はババァでも嫌なタイプだ。
此れは私が生きてきた過程で持った感情で、其れを差別主義者と言われたら私は其れと闘っても自分の感情はそうだから、其れを何とも思わない感情と何ら変わらないと思う。
其れならお互いに否定し合うよりしょうがないと思う。
別に男同士が前立腺を使った性行為をしあっている事を態々見つけに行って強引に引っ剥がすと言う事はしないけど、勝手にやってれば良いと思うけど。
其れに私の事を巻き込まないで欲しいと言う感情は在る。
詰り両方が認め合うと言う事はそう言う事では無いかなと私は思う。