ゴタぴょんの日記 2015年1月13日(火)Ⅶ
- カテゴリ:日記
- 2018/08/31 06:18:34
1月13日(火)Ⅶ
Ⅵからつづく
【水道橋組と、方丈見学組に分かれる】
水道橋は、ガイドブックでは、
「水路閣」
の名で紹介されている。
南禅寺方丈の南側にある煉瓦のアーチが
この「水路閣」です。
1885年着工、
5年後に完成したという琵琶湖疎水の一部をなしている。
【方丈】
大方丈は、天正年間(1573年~1592年)
豊臣秀吉が寄進した宮中の清涼殿を、
慶長16年(1611年)に移したもの。
清涼殿は元来、長方形の建物。
こちら、南禅寺方丈は、正方形。
なんででしょ?
それは、長方形の清涼殿の背面に、別の建物をつけたして、
正方形にした。
その別の建物とは、何か?
それは、何と、伏見城の小書院。
これにより、正面9間
側面12間という、ちょっと、へんてこな、正方形になった。
一応、これで、方丈(正方形)という名前のメンツは、保たれた。
そして、寺では、元、清涼殿側を大方丈と呼び、
伏見城小書院側を小方丈と呼んでいる。
この方丈、さすがに、別格五山の貫禄があり、
襖絵は、歴代狩野派絵画で横溢されています。
狩野元信 ( 柳の間、麝香の間、鶴の間 )、
狩野永徳 ( 御昼の間、西の間、鳴滝の間 )、
狩野探幽 ( 虎の間 )
などなど。
とくに、小方丈の 「虎の間」 の虎の群雄図は、有名で、
なかんずく、「水呑みの虎」 は秀作とされている。
ここの虎と二条城の虎は、同じ生みの親、狩野探幽である。
では、狩野探幽は、虎だったのか?いいえ、人間ですが、
この人のすごいのは、虎を実際に、見たこともないのに、
想像だけで、描きあげたこと。
見事に描きあげられた虎は、夜中に、絵の中から、飛び出して、
徘徊するのだそうです。
絵画にいたずらされる事件があってから、残念なことに、
各部屋は、入室禁止になった。
【大方丈庭園】
南禅寺で、もうひとつ、拝見必須の場所、それが、方丈庭園。
「虎の子渡し」という。
江戸時代初期、小堀遠州の作庭といわれる。
親虎に相当する大きな石。それにつき従う小さな石が愛らしい。
(-^□^-)
【哲学の小径】
車に戻って、鹿ケ谷通りを進みます。
哲学の小径は、南端の若王子橋から、北端、銀閣寺橋までの2km
の、疎水沿いの遊歩道のことです。
春は、橋本関雪の妻、米子夫人が植えたという関雪桜、初夏には、
飛び交うホタル、秋は紅葉と四季おりおりの魅力がある。
何? 冬は?
そうでんねんがな。何もおまへん。
全道程を歩くことは、あまりありません。山田、
ガイドに転身して以来、40分の全道のりを
お客様と踏破したのは、1回限り。
たいていは、途中から、もしくは、途中まで。
立寄りのおすすめ地は、
1: 若王子神社
2: 大豊神社
3: 霊鑑寺
4: 安楽寺
5: 法然院
と、書いてはみたものの、山田が、これまで実際に
ガイドしたのは、若王子神社と法然院だけ。
哲学の小径で、写真タイム。
(この分はすべて、お客様のカメラで写したので、
ご披露できる写真は、冒頭の3枚のみ。あしからず。)
【ランチは、木屋町二条の「がんこ」がいいかな?】
哲学の径でランチを、とのご要望でしたが、
若王子神社周辺には、なーんにもありません。
ゴタ、「がんこ」で、お寿司がいいかな、と思い、
木屋町二条に移動。
Ⅷにつづく
ゴタぴょん