『眠れる森の美女』を見てきました。
- カテゴリ:アート/デザイン
- 2018/06/19 18:35:13
先日、新国立劇場で、
バレエ『眠れる森の美女』を見てきました。
これでチャイコフスキーの三大バレエは、
(他は『白鳥の湖』『くるみ割り人形』)
すべて見たことになります。
『眠れる森の美女』、その第2幕は、
真実の愛を求めている王子様が出てきて、
妖精によってこの森に眠る王女様の幻影を見せられて、
森の中に、王女を探し求めていくのですが…、
意地悪な魔女の血筋を引く安寿は、
「幻影のままの方がいいのよ。
起こしちゃうと幻滅するのよ。
王女の方も目覚めない方がいいのよ。
100年と言わず、200年、300年と眠り続け、
そのまま即身成仏してしまうのがいいのよ。」
と、ステージを眺めながら、
身も蓋もないことを考えてしまうのでした。
王女の目が覚め、
森に覆われた王宮の呪いが解け、
それ婚約だ、結婚式だ、王権を二人に移譲し、平成が終わると、
今までの長き眠りが何もなかったかのように、
また宮廷の大騒ぎが始まるのが、
なんか嫌だったのです。
それならば、深い森に覆われたまま、
静かに眠り続けていた方が、
ずっと増しなような気がしたのです。
ところが、チャイコフスキーは、やってくれますね。
私の予想を見事に裏切ってくれたのでした。
2幕の後半ラストは、
王女が目を覚ました後の場面になりますが、
いきなり祝宴の場になるのではなく、
まだ夢現心地の二人が、
夢現の気分のまま、
ペアで踊る場面を入れていたのでした。
しかもその場面は、
ヴァイオリンがソロで、
切ないセレナーデを演奏するのです。
あああ~、この展開なら納得できます。
2幕が終わり、
休憩を挟んだ後の
3幕になって、
ようやく祝宴が始まりますが、
この場面はストーリー的には大したことはなく、
むしろ、これでもか、これでもかと、
プリンシパルたちが超絶技巧の離れ業を見せつけて、
劇場全体を大いに盛り上げていくことになります。
私が怖れていたのは、
夢から醒めて、
いきなり祝宴が始まってしまうという、
100年の眠りなど、何もなかったかのような展開でした。
でも、夢から醒めても、
まだ夢現の幻想の中にいるかのようなシーンがあることで、
展開に無理がないし、
眠っていた長い時間が
大切な意味を持つように思います。
長き眠りなど何もなかったかのように
物事が進行していくのではなく、
眠りから覚めたばかりの微睡みを丁寧に描いているため、
眠りもまた、無駄ではなく、
時満ちるまでの必要な時間だったのだと
思えたからかもしれません。
バレエ音楽は、
各シーンのねらいや
物語の展開が意識されているし、
音楽がテンポ良く進むので、
私は好きです。
次は『コッペリア』を見たいなあと思っていますが、
さて、いつになることやら。