脳活日誌1121号
- カテゴリ:日記
- 2018/06/16 15:10:59
延命治療については。
終活の範囲に「延命治療」に関する見解を書き残しておくことが必要と喧しく催促されている。人間、いつ倒れるか、先のことは分からない。だから、高齢になると終末の生命維持について、いらないなら、いらないと文書で残しておきなさい、というのである。植物人間になっても、呼吸を続けるつもりか。この生命の尊厳、この問題は大切であるが、ベッドで身動きできなくなった時、どうするつもりなのか。
安らかな涅槃に入りたいのは人類共通だろう。苦しまず、安らかに永眠したい。これは永遠の願いだろう。それを前もって想定しておけ!と言われているが、こうした運動をしている人がいて、尊厳死について模範的な文書もできている。考えるのが面倒であるならば、見本の文章をコピーして、それに自筆でサインをしておく。こうした方法もある。ところで、この見本の文案になじめない。自分のことだから、借りてきたものをコピーして、氏名だけを自筆で書くという事務的な操作に納得できない。いい文章が浮かべば、書くつもりである。さて・・・・・点々よ!永遠なれ!!!
難しいですよね。
自分ならまだしも、判断能力のなくなった家族の場合は・・・?
実は父が晩年認知症で、施設に出たり入ったりということがあったのですけれど、そこでも書類にそのような欄があって。
ご家族の方が書いてください、っていわれても・・・
たまたま、父が元気な頃に「意識が戻らないんだったら、延命はしないでほしいよな。」っていっていたので「希望しない」の欄に「○」をつけることができたのですけれど。
そうでなければ記入できません。
でも、記入しなければ受け入れてもらえないわけで。
なら、「希望する」に「○」せざるを得なくなります。
そもそも、脳死にしたって「生物学的な脳死」と「社会通念的な脳死」って違います。
生物学的には脳幹死をもって個体の死と思いますけれど、社会的にはそう簡単に割り切れるものではない・・・
日本は全脳死を脳死と定義していますけれど、それだって受け入れられない人もいます。
そして、私は「脳死を受け入れられない」という考えも、また正しいと思います。
正解はないのかもしれません。
>いらないなら、いらないと文書で残しておきなさい、というのである。
遠い将来とは言えない、重い話題ですね。
戦国期に限らず時世を詠む習わしはあったようですね。
勘違いしちゃあいけないのは、直前に詠むものではなく準備が肝要とのこと。
私が侍であったならこうかな
花のみは明日の曲輪に散りぬれど
またも結ばめ三輪の山里
延命に関してなら、ちょっと濁して
色もなくただ繋がれて仰ぎ見る
浮かべる心無くて悲しむ
ちょっと汲み取っておくんなさいって感じで