脳活日誌1085号
- カテゴリ:日記
- 2018/04/28 13:39:58
朝から災難です。
居候の出勤が朝の5時というので私は4時に起きて、寝不足気味であった。それでも元気よくコーヒーを淹れて、仏壇、神棚の水を新しくした。しばらくして、庭先に出たのである。理由は八重桜が散って、花弁が庭木の葉っぱに落下し、こびり付いているので見苦しいから、掃除をしようと思った。付着しているものを取り除くというのは手間がかかる。それでハサミを持ってきて、葉っぱと小枝を切り始めた。たぶん寝不足からくる動作の鈍さだろう。葉っぱを着るつもりが指と爪を切ってしまった。
掌が鮮血で染まるほど深傷(ふかで)を負った。傷口を水で洗い流して、消毒剤をつけ、カット面に粉の止血剤を含ませて一息つくまでは、大変だった。救急箱が二階だったか、一階に移したのか、駆けまわって、やっと食器棚の上に赤い箱を見つけたものの、包帯はどこだっけ、とまた探し回る。この連休は出だしが最悪になりましたよ。これから先、どうなることやら。不安不安の心境です。同情はいりませんよ。励ましの言葉も、見舞いもいりません。なぜなら、齢を取っていけば、想定外のことが目の前に突然、出現してくるものなのです。一つ一つにビックリしていたら、際限がないからです。そうかといって、どうとでもなれと、己を投げ出すわけにもいかないところに、虚しさがありますね。
まあ、命の在り方に納得して生きていくしかないようです。不安と言っても20代30代の時の不安とは違いますね。若い時は追い求めていくエネルギーがありましたね。夢のエネルギーも燃えていましたから、煙が少々、上がって危機を警告していても意に介せずという熱意が、すべて解消してくれました。失敗しても、またやればいいという余裕がありましたが、年齢を重ねると、コーナーいっぱい、ギリギリに走っている自分というものが感じられます。もう、伸びしろがなくなっているのです。弾力のなくなったゴムひもです。伸びなくなって緩くなったパンツの腰回りや、ずり落ちてくる靴下といったところでしょうか。物品は買い替えできるが、命の買い替えは不可能です。以上、連休の体験談となりました。これ現代風昔話になりませんか。
私、若い頃は(いえいえ、まだ十分若いですけれど(笑))、「わからないことはやってみよう」という考え方だったんです。
失敗するかもしれないけれど、でも、「ああ、このやり方はダメだったのね。」って結論が出るだけ前進じゃない、って。
でも最近、「わからないからやめときましょ。」って考え方になってきて。
もちろん、どちらがいい、悪いではないと思います。
「わからないからやめておく」方が失敗は少ないです。
でも、気持ちが守りに入ってきていることは確かですよね。
20代の頃の、あの頃の気持ちをもう一度取り戻したいな、って思います。
自宅庭園の手入れに、まさに血のにじむ努力をされたわけですね。
確かに若い時と違って、少しづつ何かが欠け落ちて行くのを感じますね。
最近眼鏡を外さないと、読書が出来なくなり困っております。
昔は自然科学系の本でしたが、最近は歴史・文学系にシフトしてきております。
おそらくこんな話をリアルですると「まだ若いくせに何を言っとるか」
などと叱咤激励が飛んでくるのですが、最近その数を減らしてきております。
まだまだこれから、靴下の意地を見せつける時です