秋の夕暮れ
- カテゴリ:小説/詩
- 2018/04/28 01:10:52
武家歌合(ぶけうたあわせ)康正三年(1457年)の
初めの歌のテーマは
心なき 身にもあはれは 知られけり
鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮れ (西行法師)
のような気がします。
◆武家歌合(00004)
あきかせは-みにしむものか-をやまたの
-ゆふへのきりに-しきのたつこゑ
秋風は 身に染むものか を山田の
夕べの霧に 鴫の立つ声
私の勘違いなのだろうか、渡り鳥の鴨や鴫は秋に帰って行くイメージがあったが
実はシベリヤから越冬のために日本へやって来るのだそうだ。
と言う事は、霧の夕ぐれ時に鴫の鳴く声がした
風がやけに身に染みるのは、いよいよ秋になったのだなあ、つう事なのだろう。
この歌もやはり、出陣した武士たちが野営している様子を想像してしまいます。
武士に限らずこの頃の人たちは、薄着で冬を越しているように思われます。
私なら一晩で凍え死んでしまいますね。
◆武家歌合(00007)
あくるまて-かくやももはを-やすめつつ
-くるるさはたに-しきのふすらむ
明けるまで 掻くや百羽を 休めつつ
暮れる沢谷 鴫の伏すらむ
夜明けまでと羽をかきつくろって休めながら、暮れて行く沢谷に鴫が伏している。
兜を脱いで武具の手入れをし終えて、明日に備えるお侍さんたちを想像。
ここで詠まれている歌は、実際に目の当たりにしている景色でなく
普段目にしてきた鴫の様子を基に、己の体験談を重ねているように思える。
まあ!私の妄想的想像で、
それは武士の心根を探りたい一心からなのですが……
コメントありがとう
>なぜかアフリカ系タイプで江戸時代の人とまるで違う体型
一般的に平均身長は160㎝前後と言われていますよね。
その事は、鎧兜の寸法がそれを証明する一つとも言われています。
軍用馬も肩までの高さが135㎝前後が名馬で、125cm位のサイズを常用していたようです。
股下が125cmもある人が居るわけもないので、これで十分なのだそうです。
>10人生まれて1人が生き残ったと言われています。
厳しい時代だったんでしょうね、特に戦国期は厳しい飢饉があちこちで起こり
言わば食料を確保するために、隣国へ押し入っての略奪が横行していたのです。
武田信玄や上杉謙信と言えども、盗賊の大親玉でしかない一面があったのです。
それ故生き残ることは至難の業、力の有る者しか存在が許されなかったのでしょう。
コンパクトな分、さむさには強かったようです
頭の形は
なぜかアフリカ系タイプで江戸時代の人とまるで違う体型
10人生まれて1人が生き残ったと言われています
老化との戦いと重なりますが。
創作への渇望は脳を活性化させます。
太宰治の『お伽草紙』が青空文庫に上がっていたので読んでみました。
はじめの瘤取り爺さんは読了しましたが、浦島さんは長すぎて途中で断念しました。
この浦島さん物語を読んでいると、良いとこの若旦那をたぶらかして客引きする
ポン引きか太鼓持ちのように思え、その饒舌ときたら全くの絶品で気を遣られました。
おおよそ小説でも映画でも、その基となる荒筋なり脚本は語りつくされていると評されます。
それ故に今ある物からその本質を抜き出して、作者が表現を練り直す。
それは基にした物語の思惟に沿っていたり、そうでなかったりするのだと思うが
いずれにせよ、世の中に受け入れられるなら芸術と評され、そうでないなら作者は
時代に合わなかったと思うほかない。ただの駄作であったとしても。
これは、どっかに書いてあった受け売りなんですけどね。
話は変わって件の小説を書くにあたって、教訓めいた小話を集めて
物語の中に流し込もうと考え、少しばかり引き出しが埋まっております。
太宰先生のように、ちょいと洒落た解釈にするのも一興ですね。
ありがとうございました
慣れるまで頑張ります。もう、後戻りできない。
今後ともよろしくお願いいたします。
ようこそおいでくださいました。
>戦国という男社会で名を遺した女性も
それはそれで興味がある。
私もこれには大変興味があります。
城攻めや川を挟んでの対陣が男の戦場なら、
嫁ぎ先と実家を繋ぎとめるのが女の戦。
嫁ぎ先のお家繁栄を一義とするが、産んだ子を育てて
実家と連携するよう解き明かすのも戦。
武家に生まれた息女たちにも、武家の意地があったと思います。
男子の絶えた家では、世継ぎをもらい受けるまで奮闘する女武者の話は多いですね。
こんな話が上野国にあります
長野業政に12人の息女あり
周辺領主に嫁いで結束を図る
戦国にあって男子も女子も共に戦場へ赴いておったのです。
↓武士を個人と見るか、集団と見るかって話しが面白いと
思いました。歴史に名の残る武将たちとて、けして一人で
そこまでの偉業を成し遂げたわけでは無く、生い立ちとか
部下というバックヤードがあってこそだと思いますもの。
自分が女性ですから、母だったㇼ姉妹だったり嫁や娘、
はたまた伯母や叔母と言った歴史に名の出てこない人たちの
動向も知りたいし、戦国という男社会で名を遺した女性も
それはそれで興味がある。
>新資料が発見されて、見方が変わってくる不安
確かにこの手の不安がありますが、
それよりも資料がない事の方がたいへんなのです。
まあ!逆に想像力を発揮させる隙があるという見方もできます。
しかし、いろいろ想像するのは楽しいけれど、文章にするのはアカンです。
武術の秘儀に関しては、私も興味があります。
知る人ぞ知る剣聖上泉伊勢の守とご先祖様は、いわば同僚だったわけですから。
長野十六槍として数えられていて、道場では同じ釜の飯を食っていたはずです。
ただ、イメージとしては、鎧を着た武者を相手にした剣技なので、なにか違う気がします。
この辺りの、戦場における集団の中の個人戦は、これから学ばねばなりません。
意外と知られていないことに上泉家は、小笠原流兵法(集団戦のやり方?)を
お家芸としているのですね。いわば今風に言うと軍師・作戦参謀てきな位置でしょうか。
話が長くなりましてすみません。
こうやって、つらつらと話をしている方が私にはあっていると思うこの頃です。
の解釈で雌雄を決するのもいいですが、資料の場合、不意に新資料が
発見されて、見方が変わってくる不安もありますが、武人の勃興期と
いうのは面白いですね。しかも、地方の乱に纏わるエピソードなど
刺激的ですね。是非とも、和歌に込められた戦乱の神経戦というか
謀略の秘技を開拓して欲しいです。忍者が生れてきた由来を、忍びの
集団が出現してきた土壌を、また武術の秘技を創造して下さい。期待しています。
仕事中であるにもかかわらず、ネット出来る環境にあるので幸せです。
>諸個人の欲求と希望は那辺にあったのだろうかと探っていくのは面白い。興味がある。
私の思う所もまさにこれと言って良いでしょう。
1.信長・秀吉・家康が登場する戦国終末期の話は飽きてきている
2.地元の戦国時代が見たい、知りたい。
3.大名クラスの大局的な話でなく、一家臣一領民の視点から歴史を見たい。
以上が私の語りたい戦国ドラマの理由付けですね
ドラマの構想があって、後から理由を付けた感じなんですけど。
なぜこのような展開になったかと言うと、一つに家系図ですね
明治初期までは戸籍をたどれて、それは上州箕輪城下につながる。
そこから先は、地元の歴史本に登場する箕輪長野氏の家臣団に名を連ねておりました。
驚くことに県内の古文書には、我が氏族の系図が残されておるのを知りました。
私たちの御先祖様は、武田に城を焼かれて滅ぼされたのです。
しかし、将棋の例にある様に一駒に過ぎない御先祖様たちは武田(内藤昌豊)に使えました。
その後は、織田(滝川一益)・北条(氏邦)・徳川(井伊直政)と主を変えていったのです。
これらの歴史は一大名や国衆では語れないですよね、そこで数百石クラスの侍が適当と思うのです。
私の祖先がちょうどこの位の小領主であったと思われますので都合がよいですね。
何を思いどうやって生き延びて来たのか、それを忍んで見ようと言う私の想いなのです。
武を個人(一人の武士)として把握するのとでは物語の視点が違ってくる。武芸者の
視点で見ていくのか。それとも、武をもって主君に仕える武人集団として見るのか。
君と仰がれる人は我が身の安全、警護のために武人集団を配下にしている。ところが、
この武人集団の秩序が乱れて、戦国時代になっていく。時代の流れを複雑にしていく
諸個人の欲求と希望は那辺にあったのだろうかと探っていくのは面白い。興味がある。