Nicotto Town


今年は感想を書く訓練なのだ


花しょうぶ

宗祇法師集(00294)
かくてたに-みのりにとほき-みをしれは
      -なほすみそめの-そてそぬれそふ

 菖蒲湯に浸かる習慣は江戸時代からと言われているが、室町時代に遡るとも考えられている。武士が出陣前に武運長久を願い、これに浸かったのだそうだ。また、これに用いた菖蒲はアヤメやカキツバタとは違う、サトイモ科の植物でありアヤメに似た花しょうぶとも違うのだ。


春すぎて
 いまだ開かぬ
  花しょうぶ

 みのほど知りて
  そでぞ濡れそふ

わかっちゃあいるんだ俺だって、だけど夢の一つも見てみたいじゃあないか。
元歌とニュアンスは似てると思うんだけどなあ……

アバター
2018/04/24 00:29
>かくてたに-みのりにとほき-みをしれは
       -なほすみそめの-そてそぬれそふ

解説がないので自分なりに考えてみると
このようにしていまだに、実りの遠い(大成していない)身を知れば
 なおいっそう墨染めの衣(坊さんの着物)の袖が濡れそぼる(空しい、悲しい)

ちょいと大人ぶると「身の程を知る」のは、社会人としてのエチケットなのでしょう。
しかし、大志を抱こうと考えたなら「身の程」は大きく持たなければいけないですよね。
あのお方の自虐ぶりがあまりにも素晴らしいので、そういう歌も詠んでみたかったのです。
半分本音ですけど……
アバター
2018/04/23 22:07
「菖蒲湯」は「勝負」にかけているのでしょうね。

「すみそめのーそてそぬれそふ」とは、何とももの悲しい響きを奏でていらっしゃいます。
法師さまが、何を憂いて詠まれたのか気になるところです。

そして、吉春さんの歌ですが。
そんなに嘆くことはないのですよ。
「身の程を知る」には、まだ早いでしょう^^
世を捨てたわけでもありませんし(多分?)。



Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.