花しょうぶ
- カテゴリ:小説/詩
- 2018/04/23 18:05:01
宗祇法師集(00294)
かくてたに-みのりにとほき-みをしれは
-なほすみそめの-そてそぬれそふ
菖蒲湯に浸かる習慣は江戸時代からと言われているが、室町時代に遡るとも考えられている。武士が出陣前に武運長久を願い、これに浸かったのだそうだ。また、これに用いた菖蒲はアヤメやカキツバタとは違う、サトイモ科の植物でありアヤメに似た花しょうぶとも違うのだ。
春すぎて
いまだ開かぬ
花しょうぶ
みのほど知りて
そでぞ濡れそふ
わかっちゃあいるんだ俺だって、だけど夢の一つも見てみたいじゃあないか。
元歌とニュアンスは似てると思うんだけどなあ……
-なほすみそめの-そてそぬれそふ
解説がないので自分なりに考えてみると
このようにしていまだに、実りの遠い(大成していない)身を知れば
なおいっそう墨染めの衣(坊さんの着物)の袖が濡れそぼる(空しい、悲しい)
ちょいと大人ぶると「身の程を知る」のは、社会人としてのエチケットなのでしょう。
しかし、大志を抱こうと考えたなら「身の程」は大きく持たなければいけないですよね。
あのお方の自虐ぶりがあまりにも素晴らしいので、そういう歌も詠んでみたかったのです。
半分本音ですけど……
「すみそめのーそてそぬれそふ」とは、何とももの悲しい響きを奏でていらっしゃいます。
法師さまが、何を憂いて詠まれたのか気になるところです。
そして、吉春さんの歌ですが。
そんなに嘆くことはないのですよ。
「身の程を知る」には、まだ早いでしょう^^
世を捨てたわけでもありませんし(多分?)。