脳活日誌1071号
- カテゴリ:日記
- 2018/03/28 13:54:55
人は関係の中で生きる。
人というのは、何らかの人間関係の中で生まれてくる。この一定の関係に基づいて生活していくことになる。人同士が関係しなければ、人間という生命は生まれない。関係と言っても、この関係性は無数にある。どういった関係でなければならないという制限はないが、人類は歴史的に自らの経験と体験に基づいて、どうした関係がよりベターなものであるかということを、見つけて生活している。しかし、人は賢明ではない。知能優秀な人でも、思い余って誤りを犯すこともあるから、人間関係においても、法律を制定して一定の秩序通りに行われているのかという監視をしている。
法だけでなく宗教的な道徳制限もある。何れにしても、社会のルールを決めることによって無制限な奔放さを規制しているのである。関係といっても、男女関係だけではない。働くにしても雇用関係がある。先生と生徒という社会関係もある。政治の世界では政党の関係もある。おおよそ無関係で物事が進行していくということはないだろう。私の知らない内に決められている、ということだってあるではないか。事実、あるかもしれない。無関係だと主張しても、レッテルを貼られて、お前も同類だろうとみなされる場合も出てくる。こうしたことは無関係の関係性というのだろう。ただ単に相談に与らなかっただけである。意見を言う機会がなかっただけのことである。
群衆も一人一人がバラバラであっても、抽象的な方向について無意識のうちに同意をして突き進む人が多数になれば、群衆となって流れを作り出す。ひとたびエネルギーが凝縮されれば、暴動となる。政治はこうした動きを一番に嫌う。無秩序、暴力を嫌って、治安力で統制しようとする。こうした政治的関係は歴史が流れる時に必ず発生してきたが、何も大きなことを例に出すこともないだろう。卑近な関係にもっと目を向けるべきだろう。親子関係とか友達関係とか金銭関係とかである。カラオケ仲間も人間関係だ。老人会、町内会、隣同士とか関係は常にある。こうした関係性に対して嫌悪感を抱いている人もいるだろう。何にも関係したくないといっても、コンビニに買い物に行けば、そこに売買関係が成立することになる。要するに、どこに行っても人との関係性からは逃れられない。
サザンオールスターズの「いとしのエリー」ではないが、
お互いに寄り添わないと! 人間関係もあったもんだはない。と思う。
叱咤激励や、反面教師ばかりだ。