夜霧の巷(2)
- カテゴリ:自作小説
- 2018/03/27 12:19:10
昨夜、店の掃除をしてから美佐はタクシーでマンションに帰った。午前三時頃であった。店のオーナーは植村雪枝といったが、美佐よりも15歳年上であった。2週間前であった。開店準備をしていた雪枝がお腹のあたりに激痛を訴えた。それ以来、ママは入院した状態が続いている。オーナーが倒れたこともあって、36歳になったばかりの美佐が店の切り盛りを任されることになった。時々、背中に激痛が走ることがあって、「膵臓癌なら1年以内かもしれないね。」と雪枝は自虐的に笑ったことがあった。病で倒れることに悔し涙が渦になっていたことだろう。気性の激しい雪枝は、病魔を感じていたのか、必死で接客していた。
「私ね。鉄砲玉をお腹にかかえているのよ。」と、しつこく絡む客に対して応戦したことを美佐は覚えている。たぶん、あの瞬間、雪枝の背中に耐え難い痛みが走っていたのかもしれない。
昼のニュースを必ず美佐は見ることにしていた。時事の出来事を知っておくことも客あしらいの手段であった。社会の出来事を話題にして酒を飲む人間が多いということだろう。テレビに港の風景が出て、レポーターが桟橋の近くに立っていた。
「死体が浮いていたのはこのあたりのようです。」
若いレポーターが指さす方角を美佐は何げなく見ていたが、地元で発生した事件であることに関心が湧いた。身元不明の死体が浮かんでいるのが発見された。60歳前後の男性で外傷はなく、警察では昨夜の雨で転落し、港の沖合まで流されてきた可能性があるとの見解を示してしているようであった。携帯電話などの所持品から身元を割り出し、詳しく調べて確認中であるとレポーターは実況していた。
昨夜、傘を持ってレジャービルの玄関口へ出て来た時、夜霧に包まれて姿の見えなくなった信太盛太郎のことが、ふと美佐の心に浮かんだ。
「まさか。」と声を出して否定すると、美佐はベットから降り、冷蔵庫から炭酸水を出して飲んだ。
「ふらついた歩き方をしていたが、足早に地下鉄の方角に歩いて行った。」
美佐は再び自分を納得させるように想い起こした。一人暮らしだから、美佐の独り言に応えてくれる男はいなかった。美佐の日課は決まっていた。入院しているママの見舞いである。身寄りのない雪枝なので、美佐は毎日、病院に寄って、雪枝の顔を見てから、仕事にかかるようにしていた。見舞いというより雪枝の介護に近かった。それはお互いに一人暮らしという共通観念が心に流れていたからだろう。
あの~ユンケルって、なんだろね。