3.11 もう8年目に突入します
- カテゴリ:日記
- 2018/03/11 00:58:28
拡散ブログはあちこちに出ていますが……
興味のある方は、私の過去ブログ
http://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=180002&aid=61585400
をご一読いただけると、いいかなと思います。
給与20%、30%カットされても、奉仕を続けた被災企業の社員さん、ご家族さん、
ガンバりましたよね (っω`-。)
あれから丸7年、みなさまに平穏な日々が訪れていますように。
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実は、公務員がすげー大変だったんですよー。
自分だって被災者で、でも自宅に帰れず、助ける側に回らなきゃいかん。
市職員とか県職員だけじゃなく……
ウチの近くの小学校の先生なんか、2週間自宅に帰れなかったそうです。
小学校が避難所になった !! という理由で。
被災者が助けて助けて…と手を求める先の人間も、当たり前だけど、被災者で。
ここが意外と盲点だった、ということに、震災を経験して初めて知りました。
確かに近くで見ている人と遠方から見ている人の意識は違うだろうなと思います。
某放送局で震災の話しをしていた時に、遠方の人はもう7年、けど被災者の方はまだ7年と感じているのだろうと遠方の人からのお頼りがあったけど、実際その場に居た被災者の方は口を揃えてもう7年と感じると言ってました。
心や体に負った傷はなかなか癒えないですが、人は前を向いて生きていなかければならないのですよね。
それは東北だけでなく被災地ならどこも同じだと思います。
避難する夢を見て、高層マンションに住んでいたんだがなんだか突然3〜4階程度の低いマンションに引っ越したくなって、引っ越したらすぐに震災が来た。
丁度仕事の切れ目で自宅に居て昼間ぐらっと来た。
長かったが、家族も全員何事も無く、外出しているものはいなかった。
どこになにが起こるかはわからなくてもカモメがなにか言ってる夢は地震の前触れかもしれない
だって全員被災者だもん(´∀`;)
むしろ、沿岸部で我が町だけ津波被害が異常に軽度だった為、「地震被害だけなのに、津波にあった人の事を思えば比べ物にならない」って思ってる人がほとんどでした。
でもライフラインが2週間とか止まったのはやっぱりかなりのストレスで、「あれだけの大地震にあっただけでも凄く酷い目にあったんだ」という事を、「津波にあってないから軽度被災」じゃなくてちゃんと認識しないと駄目、と言う話もありましたね。
知人などが心配で訪ねて行きたいけど、「もうお風呂に10日も入ってない、こんな汚い身体で訪ねて行けない」と思ってた人が大勢いたけど、「大丈夫、みんな風呂に入れてなかったからみんな汚い」という笑い話が好きでした。
泣きながらでも前に進むしかなかったですよね、あのとき。
私は横浜なので、被害は最小限でした。
会社の近所で天井が崩落して亡くなった方もいましたが
それはごくごくわずかでしたので
人の死と隣り合わせだった東北の方々とは違う。
それでも電気が止まって、電車が止まって、物流が止まって
ガソリンが買えなくなり、生活は一変しました。
親戚が石巻に3家族いて、その安否を確かめるのに2週間くらいかかった。
幸運なことに全員生きていて、家や車を津波で流されても
生きていてくれて良かったと思った。
でも実はここからが生きるために泣きながらでも前に進むしかない
苦労の始まりだったように思います。
親戚のひとりはストレスによる病気で亡くなりました。
私達関東の親戚たちはいまでも金銭的な支援を続けています。
3.11は忘れてもらっちゃ困るし ワンクリックで募金ができるブログの拡散など
いいことだとは思いますが 東北の人たちの気持ちに添えているのかな。
いつも遊んでた人が突然被災地の人になって
今はもうニコッとやってない人もいます
別に自分や家族が事故にあったわけじゃないけど
環境が変わってなんとなく気持ちが離れていった
遠くに住む私にはわからない空気感を抱えていた
学校を卒業して、就職して忙しくなったのだとも思うけど
我々離れた地域の人にはわからない被災地の空気ってあるし尊重したいと思いました
もう会えないけど3.11には思い出します
大震災後の裏話を読んで。。。そうだったんだ~と思いました。
今でも。。。その日ゎ信じられない衝撃で忘れられません。
心身ともに傷を負い大変な日々を過ごされてこられたのですね。
でも。。皆で力を合わせて乗り越えられて。。。
今の和さんや被災地域の方がいらっしゃるのですね。凄いです。
私の友達も被災したので応援しています。
早く。。。復興が急ピッチでされますように。。。
そして。。二度とこのような災害が起こらないことを願います。
4月に入って実家(都内)近くの大学病院で、
津波に飲まれ片足膝下がとんでもない状況になった高齢の女性と同室に。
泥水や波に飲まれた木々に水を沢山飲んだこと…
亡くなられた方と一緒に土に埋もれ立てずにいたところ偶然にも知人に見つけてもらえたこと、
…涙が止まりませんでした。
その後ヘルニアは手術で切り、自宅療養中にニコタを知ります。
7年経ちますが、この方のお顔は忘れることはできません。
東北だけでなく震災等で大きな被害に遭われた方は、
それぞれの形で大きな痛みを抱えたんだろなと窺い知ることしかできません。
和.comさんもそのうちのお一人でらしたんですね(´;ω;`)
被害は大小あれど、覚えなくていい痛みを知ってしまったのなら早く消えて欲しいものです。
過去ブログにも書かせていただきましたが
いろいろな形で大きな被害を受けた方たちの傷は
何年経っても癒えるものではないと思いますが
和さんの被害がそれほど大きくなかったのは
本当によかったです