3.11 あの日から7年。いま 応援できること
- カテゴリ:日記
- 2018/03/10 09:29:58
3.11企画
https://fukko.yahoo.co.jp/pc/
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-3.11-企画 いま応援できること
https://fukko.yahoo.co.jp/
今年もyahooJapan主催で東北復興支援企画が開催されます。
3.11
「○○」は応援になる
↑ここに入るのは 寄付・買う・知る・検索 の4カテゴリ
2018年3月11日に
https://fukko.yahoo.co.jp/
今年もyahooJapan主催で東北復興支援企画が開催されます。
3.11
「○○」は応援になる
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2018年3月11日に
YahooJapanの検索欄で「3月11日」「3.11」と入力し検索すると
1端末につき10円が寄付され、登録している6団体に送られるそうです。
(【検索】の場合)
明日で7年目を迎える今の東北を【知る】ことも大切。
そして行動しやすいのは【検索】すること。
この企画は2014年から始まり今回で5回目。
(【検索】の場合)
明日で7年目を迎える今の東北を【知る】ことも大切。
そして行動しやすいのは【検索】すること。
この企画は2014年から始まり今回で5回目。
どうか、皆様の「いま すぐにできる応援を!!」
よろしくお願い致します。
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そうでしたか・・・。
安否の確認ができるまでは、本当にご心配なさったことでしょうね。
たとえご無事だったとしても、連絡網がパンク状態で連絡が付かなかったりして
とても不安な時間を過ごされた方が多かったはずです。
でも、ご無事で本当になによりでしたね。
うちは、たまたま息子が実家に帰ってきていた時にあの震災があって
本当に間一髪で、直接の被災は免れましたが
下宿先や、大学がどれだけの被害に遭っているのか、
大家さんともなかなか連絡が取れず 本当に心配でした。
親戚や友人らからも「〇〇〇君、大丈夫なの!?」と何本も連絡が入ってきて
「ありがとう。o゜o(´□`*)o゜o゜о大丈夫です!今、ここにいるんです。」と。
本当に運の強い子だったと思います。
暫くは、放射能汚染なども心配でしたし、交通網も遮断されていたし、
大学の授業再開も延期されていたので
被災状況を見るために戻る(福島へ行く)ことも出来ず、
その間に息子は自動車の運転免許を取得しておりました。
(当然、教習所はガラ空き)
震災以降も何度となく福島へは足を運び(たぶん25回以上は行っています)
募金だけでなく、できるだけ観光をして物品を購入して応援を続けています。
少しづつ、街も人々の暮らしも、また元の環境に戻りつつありますが
かつての観光地として栄えていた震災前の、あの頃と比べると
まだまだ大型の観光バスや修学旅行生の姿は少ないなぁ...と感じています。
社長はひたちなか市におりましたので
連絡が取れなかず2日後ようやく安否を確認できホッしました
小さな頃に住んでいた街がなくなったのを聞いたときは
なんとも言えない気持ちでした。。。
小さなことですができること参加したいです
(●´Д`人´Д`●)ありがとうございます!!
そうですよね。
こういう情報は、できるだけ多くの方に知っていただきたいので
拡散、ありがとうございます♪(〃▽〃人)
「募金」や「寄付」をするということだけでなく
「今の現状を知る」ことや
頑張っている人たちへの「支援」や「協力」をする
それが大切なことだと思います。
(´;ω;`)本当に、怖かったですよね。
押し寄せる巨大な津波に、次々とのみ込まれ、押し流されてゆく家屋や車・・・
取り残され、必死にしがみつく人やペットたち・・・
観ていて心が張り裂けそうな程、痛ましい光景でした。
あれから7年。
次々と仮設住宅が減り、巨大な防波堤や 新しい駅や街づくり 防災拠点など
色々なものが出来てはきましたが、昔の懐かしい故郷の海や山
自然の風景、そして 住む人々の大切な命と財産は、決して戻っては来ないのです。
忘れるのではなく、さらに強く心に刻んで
この日の教訓を明日へと活かしたいですよね。
この情報は、できるだけ拡散したほうがいいと思いまして。
あの日は病気で伏していて、動きがとれませんでした(*´Д`*)
それからすぐにこちらでも富士山の近くで地震があり棚の本が落ちてくるし、断水するなど
怖くて寝付けない日々を過ごしたことを忘れません!
あの日のことは絶対日本人なら忘れてはいけないことです!
本当に、そうですね。
2011年(平成23年)3月11日に発生した「東日本大震災」
あれから、明日で7年が経とうとしています。
ちょうどその時、息子は福島で1人暮らしをしていました。
大学に入学して2年目。たまたま春休み中で実家に帰省していて難を逃れました。
もしも、あの時 下宿先に居たら・・・
そう思うと本当に怖くて堪りませんでした。
大切な人の命と、大切なものをすべて失うこととなった、あの悲惨な出来事を
決して忘れることなく
反省を活かし
今ある幸せに感謝しつつ、
これからも真の復興に向けて、支援を続けましょう。
あの日のことを忘れない!
あの時の想いを、決して無駄にはしない!
いま、できる応援を していきましょうね。
これをみて思い出すのも社会の役に立っていると思う