ゴタぴょんの日記 2014年2月8日 Ⅳ
- カテゴリ:日記
- 2017/12/19 04:08:54
12月8日 (土))Ⅳ
Ⅲからつづく
【三十三間堂】
本町通を七条で、右折(つまり、東へ)して、
すぐに、三十三間堂があります。
~堂、という名前ですが、パン屋さんではありません。
お寺です。
お寺の中のひとつの、建物が~堂と呼ばれたりします。
もともと、仏道修行は、
洞窟で禅定する習わしだったためでしょうか。
お寺の建物は、~堂という名称が
よく使われます。
こちら、柱間が33あるので、
「三十三間堂」
と呼ばれます。
蓮華王院というお寺のお堂です。
ただし、実際に、柱間を数えてみると、
35ありますのや。
「なんでやねん。33と、ちゃうんか。」
と、言いたくなるが、
この柱間の33というのは、内陣のことなのだそうで、
建物の外観は、35。
1164年、後白河上皇が、
平清盛に建てさせたこのお堂、。
上皇の邸宅の敷地内のお堂です。
邸宅は、「法住寺殿」と呼ばれていました。
創建当初は、五重塔もある、大寺院だったそうですが、
1249年の火災で、
焼失したのだそうです。
桃山時代に、敷地は、
秀吉の建てた「方広寺」接収されます。
秀吉は、この三十三間堂を保護し、
築地塀や、南門などを増築しました。
後白河上皇の前世は、蓮華坊というお坊様でした。
そのお坊様のドクロが川底に沈んで
いました。その中を魚が泳ぎ回り、
また、柳の木が、
頭の中や、目玉を通り抜けていました。
なので、上皇は、いつも、
頭痛にうなされていたのだそうです。
w川・o・川w
ある日、上皇は、熊野詣をします。
そのとき、権現さんに、お告げをいただいたのです。
「 汝、ゆきて、
洛陽因幡堂の薬師如来に祈りを捧げるべし。」
そう言われたので、その薬師様にお祈りをしました。
そしたら、そう言われたのでした。
「 あんたの、頭痛は、柳の木のせいよ。
早く、川底のあんたのドクロなんとかしなさい。」
そして、ドクロを救い出し、
洗って、弔い、納骨したところ、
上皇の頭痛は治ったのだそうです。
「蓮華王院」の名は、上皇の前世の名、
「蓮華坊」
の名から取ったものだという。
(*^ー^)ノ
【タクシーで、祇園へ】
きょうは土曜日。
「花見小路へ、お願いします。」
と言ったら、
「きょうは、競馬開催日なので、通行禁止です。」
「(競馬は中止せよ。) (そんな、無茶な。)」
自問自答の結果、白川に行ってもらうことに。
みなさん : No maiko ? No geiko ? Oh, no.
舞妓はんは? 芸姑はんは?
いてへんやんか!いや~ん。
ゴタ : Oh you are the substitution of maiko.
Please stand on the Tatsumi bridge.
じゃ、あなたがたが、
舞妓さんの代わりをしてください。
その巽橋に立って!
このあと、歩いて、花見小路へ行きました。
この雪の日に、舞妓はんは、出歩かないと思うが、
ひと目だけでも、見せてあげたい、と願う気持ちもあり、
「技芸学校(女紅場)」
(てる子の看板で、東に入ったところ)
に行った。
【結論】 いないものは、いない。
仕方ない。こんなときは・・・
めし食いに行こうぜ~レストラン
東山通を東へ渡ります。
洛中においては、東といえば、
山が近くに見える方向のことである。
その山を東山という。
東山山麓、長楽寺(建礼門院ゆかりの寺)のおとなり。
ここに、
我らが、食事場所、「東観荘」はある。
Ⅴにつづく
ゴタぴょん