それはないな
- カテゴリ:日記
- 2017/12/16 03:52:03
また固い話なので、読まなくて結構です。すみません。。。
先日、NHKの受診料の支払いに義務はあるのか否かを裁く最高裁の判決が出ました。結果は、事実上の義務であるとし、さらに未支払い分は契約の義務が発生した時点に遡って支払わねばならないとの判決でした。
冗談でしょう?
しかも驚いたことに、この判決を15人の裁判官のうち14人が支持したと。。。
NHKとは何か、という議論を始めると切りなく論議が広がってしまうので、それはここではしません。ごく個人的な所感だけを言っておくならば、個別の不祥事やら親方日の丸の国営放送化されていくような不穏な状況などにあえて言及しないとすれば、やはり私にとってNHKの存在は大きいし、実際のところ私のTV視聴時間の半分以上は確実にNHKのはずなので、放送法がどうあれ視聴料金を払うことそのものには特に疑問はありません。
ただ、先代のバカ理事長が「政府が右というものを左とは言えない」と言うような発言をしてしまった時点で、すでにNHKが民間公共放送として国民から視聴料金を皆徴収できるだけの根拠は担保されていないし、それは先代の事ですからという言い訳も通じないでしょう。言ってしまった事実は消すことは出来ないのです。組織のトップが、この組織はそういう組織だと明言した以上は、そうではないという明確な訂正の総括もないままに、民間公共放送なので金を全員よこせとは、恥知らずにもほどがある。
と、ここまではNHKの問題であり、原則論としてNHKは中立的な公共性を保つために強制的に視聴料金を徴収しても良い、という判断自体は、先述の通り理解します。しかし「政府が右というものを左とは言えない」という件の話や、現実問題として公然と政府がNHKに圧力をかけ、NHKがその圧力に流される状況が丸見えになっている中で、それら問題に対してなんらの要求もないままに、事実上の義務として視聴料金を支払うべきという裁判所の判断は、端的に公平性を欠いているとしか言えません。
しかし問題の本丸はそこではありません。未支払い分は契約の義務が発生した時点に遡って支払わねばならない、という部分です。放送法では、視聴料金の支払いを国民の義務とはしておらず、払って欲しいな~という希望的なものとして定義されています。故に、その料金の支払い義務がいつ、どういう状況で、誰に発生するのかということが殆ど定義されていません。受信設備のある家は払えというものの、その義務の主体は家屋なのか世帯なのか、世帯だとしてそれは世帯の誰なのか、などなど。。。 この規定を明確に定めることを求めないままに、支払い義務が生じた段階まで過去に遡って払えという事になると、こんなことが理屈上は起きることになります。
例えば50年前にTVを買い、その買ったときから一回も視聴料を払っていない家があったとします。すでに50年前にTVをかった当人は亡くなり、その子もなくなり、さらにその子、つまり孫が家屋を相続して住み続けていたとしたら、NHKは孫に50年前に遡り視聴料を全額支払えと言えることになるわけです。
例えばある家が売りに出され、電化製品や家具などが残った状態の居抜きで誰かが買ったとします。モデルルームを展示用の家財道具つきで販売することも良くありますよね。もし前のオーナーやモデルルーム時代の所有会社が視聴料金を支払っていなかったら、その家を買った人にNHKはそこまで遡って金を払えと言って良いことになります。つまり今回の判決は、NHKが何を言って金をとっても構わないという、料金徴収に関する事実上の白紙委任を最高裁がNHKに渡したことになるわけです。
おどろくべき判決だと言わざるを得ないでしょう。民法の規定としても、あきらかにおかしい。これが我が国の三権の一翼を担う司法の最高機関なのかと、愕然とします。そして最もいやらしいのは、この判決を出した最高裁としては、まさかNHKはそんな無茶はしないから常識的な範囲で上手いことやってくれるだろうという馴れ合いのような打算が働いてるとしか思えないことです。先述のような批判が出ないとは、よもや最高裁も思っていないはずです。それを分かっていながら、NHKが優位に立てるような白紙委任を打算的に出したとしか考えられません。
確かに判決上は、NHKが一方的に徴収せず、合意の努力が必要だとなっていますが、裁判で勝てば強制徴収しても良い事にもなっています。最高裁で支払いは義務とした時点で、これに続く裁判で視聴者側が勝てる可能性は、現実論として考え辛い。ですから、裁判で勝てば、というクッションは事実上は無意味でしょう。公平性を保ちましたと言うための言葉の遊びのようなポーズでしかありません。なぜそんな判決になってしまったのか? もちろん、NHKは日の丸の元の国営放送だと思っているからです。
ただ、払わなくても良いとなった途端、NHKはその存在自体が危機的な状況になることも十分に想定できます。不払いが山のように発生する気はします。仮にそうなったとして、そのことそこのもをNHKの身から出た錆と言いきってしまうのも無理を感じます。それは、払わなくてもいいなら払わないという、むしろ国民の意識の問題と言えます。そういう意味で捉えるならば、最高裁の判決もやむなしという考え方も、なくはない。とは言え、強制で払えと言うには余りにもおそまつなNHKを巡る状況に、何の注文も付けないような判決は、いくら何でも納得できるものとは言い難いでしょう。
いままで、最高裁の裁判官の国民審査については、正直そんなに真面目に考えてはいませんでした。しかし次回ばかりはそうもいかない。15人の中で唯一まともな判断で判決を支持しなかった木内裁判官を除いた全員に、私は不適格の烙印を押さざるを得ません。