人の度量というもの
- カテゴリ:日記
- 2017/12/11 20:53:40
いまからもう20年以上も前のこと(まったくもって信じられないが、20数年後の私は、すでに70才くらいのはずだ)。
ある、女の子がいた。ここでは仮に、彼女の名前をRとしておく。実は本名は知らない。彼女とは色々とあって親しくしていたが、私の知る彼女の名前は芸名だけだ。
彼女は学校の同級生ではない。
幼馴染でもない。
都内の某ストリップ劇場に籍を置くダンサー、つまりストリッパーだった。
いまどきストリップなど見たことがある人のほうが少ない、というか同世代以下では殆ど皆無に違いないと思うが、私は色々と理由があって、その昔は関東一円はもちろん関西など地方のストリップ劇場にまで足を運んでいた。
どうして仲良くしていたのかは話せば長くなるので割愛する。割愛するが、その理由は先述の「色々と理由があって」に由来する、とだけ言っておくことにする。
彼女の踊りは、抜群に上手かった。そして抜群の演出だった。
初めて渋谷で彼女の舞台を見たとき、自分がストリップ劇場に来ていることを忘れた。もしも裸にならなければ、それこそナントカ芸術劇場とか、そんなようなところで披露されてもおかしくないようなものだった。子供のころにフィギュアをやっていただけあって、とにかく体の芯が全くぶれない。体幹で踊れるというのは、まさにああいうことだろう。しかもストリップだから、裸で踊る、目の前で、まるで前衛ダンスかのような踊りを。その迫力と強烈な肉体の存在感は、言葉で語るにはあまりにも質的なものに過ぎるが、裸で踊るという原初の祝祭の姿は、本質的に問答無用だ。それでもってあまりに感動して、勢い余って大学祭に彼女を呼んで躍らせてしまった私もどうかと思うが、まあそんな話はどうでもいい。
それで、彼女の最終学歴はマサチューセッツ工科大学となっている。冗談ではない。本当だ。ただし、おそらく中退のはずだ。それにしても世界の工学系大学の最高峰、MIT。よりよって専攻はたしか宇宙工学。母親は看護師で、その影響もあってもともと本人は医者になるつもりだったらしいが、それがどうしてまたMITなのか。
彼女には、父親がいないらしい。いない、と言う表現には二通りの可能性がある。一つは、亡くなっているという可能性。もう一つは、生きてはいるが所在不明、つまり失踪だとか蒸発。根掘り葉掘り聞いたことがないので事の詳細は不明だが、ただ一つ言えることは、いずれにせよ彼女の父親は大きな負債を抱えたまま彼女の前から消え、そしてありふれた女子高生だった彼女は借金の方に暴力団に連れ去られ、関西でホステスをすることになった、ということ。親の借金の方に娘が暴力団に売り飛ばされ、水商売に身を沈めるという小説や映画ではおなじみの図式だが、それが現実に目の前に現れたことがある人も、そうはいまい。もちろん私も初めてのことだった。
もともと頭の良い娘だった。別に彼女の学力を確認できるようなテストの点数を見たわけではないが、話をしていればわかること。実際のところ京都のホステス時代は、その賢さと天性の明るさと人懐っこい笑顔で人気があったようで、お客だった某有名国立大学の教授からは裏口入学の話までされたらしい。だが、そうこうしているうちに「おまえ、あしたから東京に行ってストリップな」とお達しが出て、本当にその翌日からいきなり舞台に立たされたらしい。
ストリッパーというのは、当たり前だが夕方から深夜に働き、朝から昼にかけて寝ている。一つの劇場で踊る期間は大体10日単位。普通は巡業のルートを仕切る人がついていて、日本全国をそのとおりに移動する。もちろん新しい出し物(踊り)の構想を練ったり、音楽を作ったり(自分でやるのだ)、練習したりという時間も必要で、端的に勉強をしている時間などほとんどないはずだ。
では、彼女はいつ勉強していたのか。話は単純で、劇場が跳ねた後に睡眠時間を削って独学で勉強していたということだ。相当な酒好きだったので(とてもじゃないが同じペースでは飲めない…)、勉強ばかりしていたわけではないと思うが。
ただ最初に書いたとおりの生い立ちなので、彼女は高卒の資格を持っていなかった。ということは、国内の大学を受験するためには、まず大検の資格を取らなければならない。そこで彼女は大検を受け、それにはめでたく合格した。合格したが、その途端に大学受験というのも精神的にハードルが高かったので、海外の大学でも受けてみようとMIT受験の運びとなった。ハードルが高いから前哨戦でMITというのも滅茶苦茶な話だが、それで受かってしまうのだからどうしようもない。
しかし渡米して通ってみれば日本の大学と違い、行きはよいよい帰りは恐い。少しでも滞ればあっという間に留年、退学。彼女なりに頑張っていたが、最後に会った時は2回目の留年に危険信号が灯り始めていて、退学も覚悟し始めていた。それがすでに15年以上も前の話。
それ以来は彼女には会っていないのだが、相当に前の風の噂では結婚したということなので、まあMITは素直に中退して、ほんとうに結婚したのだろう。でも最後に会ったときは、留年したら退学してオーストラリアでダイビングのお店やるからいいの、とニコニコとしながら言っていたので、本当にそうしているんじゃなかろうかと思う。彼女に連絡を取ることは簡単だが、別に今更むかしの諸事情で付き合いのあった人間に連絡をもらっても迷惑なばかりだろう。いまごろ大好きなタイ料理でも頬張りながら、昔とかわらずカラカラと笑って過ごしているに違いない。
私は彼女のことを思い出すと、自分との人間としてのポテンシャルの違いに未だにうなだれる。度量の違いとはこういう事なのだろう。
頭がいいだけじゃなくてすごく努力家で、
人生を現実を投げ出さない人なんだなあ・・・