Nicotto Town


今年は感想を書く訓練なのだ


三輪の山里(三寺尾の合戦その3)

3.国衆の生きる道

先発の原加賀守、同隼人助父子は、市河氏と協力して南牧と西牧の街道沿いへ新たに駐屯・補給のための急ごしらえに城を築いた。
原加賀守は西牧にて待機し、子を国峯城下に陣城作るため向かわせると、主晴信へ出陣するよう連絡の使者を立てた。
すると、信濃佐久郡から上信国境の峠を越えて侵入する武田搦手勢(先手部隊)は、ぞくぞくと進み備えの城とした西牧城へ集結して来た。
一方、晴信率いる大手勢(主力部隊)は、小幡信貞と合流して戸沢の城に進軍して来た。

幸隆は戸沢の城へ晴信を迎えると、小幡信貞を従えて評定の席へまかりこした。

「お館様、これに控えるは小幡の嫡子にございます」

すると、促されて信貞は挨拶をする。

「わたしが小幡尾張守が嫡子、信貞にございます。--援軍を率いての来訪、恐悦至極に存じます」

「なに、この晴信に従うとあらば当然の事よ、不慣れな上野ゆえ道案内頼むぞ」

「ははっ」

幸隆は西上野の情勢について話し始める。
南牧谷からの上の侵入は小幡が従えば容易いが、ゆくゆく信濃を従えた際には碓氷峠を越える道筋も確保せねばならない。
すると、峠を越えた先にある諏訪城(松井田)に籠もる、安中氏も武田側に取り込む必要がある。
このため、今回は人見原へ軍勢を進めて相手の動きを見るのが良いと進言した。

すると、信貞は
「恐れながら、我が叔父図書介は家中の不穏分子に担がれており、その居城宮崎を越えて向かうのは危険です」

「さようか、なら如何いたそう」晴信の問いに幸隆は

「西牧の先手とこちらで、城を囲んで使者を立てるがよろしいかと」

「なるほど、それで上手くいくのか」すると信貞はおそるおそる進言した。

「はい、叔父図書介はその屈強な姿と裏腹に、意外と突然の出来事に狼狽える性質があります」

補足するように幸隆が応えるには

「降伏しろではなく、国峯へ同道してくれと頼むのです。囲まれてぎょっとした所へこの様に申せば、助かったとばかりに同意する事と成るでしょう」

「従わぬ時はいかがいたすのか、幸隆?」

「攻め滅ぼすまで」

「初めから攻めれば良かろう」

「お館様、此度は小手調べにございますれば」

「わかった、ならば早々に西牧へ使いを出せ」

「ははっ」

やがて宮崎城は囲まれると、幸隆の言う通り図書介は臣従してきた。
すると予定通り、先手衆を諏訪攻めのため人見原へ向かわせると、晴信たちは国峯へ向かった。
子の原隼人助たちは、国峯城下の八幡山へ陣城を築き主晴信を迎え入れた。
晴信は陣幕の内で、諏訪(松井田)攻めの近況を携えてくる、ムカデ衆を待つばかりである。
八木連まで進軍して、郷土谷津の砦を占領した報告を受けたものの、上杉勢の動きが見られない。
諏訪城に籠もる安中氏は静まり返り、そればかりか和田や倉賀野など、上杉家中もなりを潜めている。
するとそこへ、三郎左衛門を従えた木部駿河守の嫡子範虎がやって来た。

小幡尾張守は、範虎等を連れて晴信の御前へ平伏すると

「これなるが、先の書状に託しました木部駿河守の嫡子範虎とその家臣であります」

「父駿河守が嫡男、範虎にございます、これに土産を持てご挨拶に参じました、三郎左衛門前へ」

山名郷士の萩原三郎左衛門は、絹の反物を広げて差し出すと礼を取って後ろへ下がる。

「ほほう、これが仁田山の絹と並んで称される日野絹なるか」

「はい、川を挟んで南にある日野より桑や蚕を戴き、我が里でもこれを広めてござる」

「ところで、そのほうの室は長野の娘と聴くが、この晴信をどう思うておるのかのう?」

「はい、義父はなかなか腰が重く、なかなか安易に動けぬようですが、いずれは使者を立てて来るでしょう」

「さようか、まずは御父上に悪いようにはせぬとお伝えあれ」

「はい、かしこまりました」

こうして、範虎達は山名郷へ向かって帰って行った。
しかし武田家へ好を通じたことにより、当然のごとく上杉家中での立場は悪くなり騒動の火種は絶えない。
この後に郷土谷津の砦に在陣する武田の先手勢から「以前として安中氏の動きが全く見られなく、指示を仰ぐ」と伝令が入った。
そこで晴信は「ならば、郷土谷津の砦に守兵を残し、先手の矛先を平井に向けよ」と平井城下に火をかけ分捕りをする命を下したのだ。

そして先手勢は八幡山陣城に集結し、本体と合流し東へ向けて出陣した。
武田勢は、平井口に当たる鏑川の南岸一里ほどの小高い丘に築かれた、小串城を攻略すると八幡山から本陣をそこへ移した。
武田勢はそこを起点として鎌倉街道沿いに暴れまわり南下した。
さらに神流川まで達すると、川沿いに鬼面方面へ進出して乱暴狼藉の限りを尽くしたのである。
すると、流石に上杉勢も業を煮やしたと見え、小串城本陣の晴信の所へ「安中・和田・倉賀野の諸氏が手を組み軍勢を三寺尾方面へ繰り出してきた」との知らせが入る。

「木部へ使いを出し、質をここへ入れるよう伝えよ」と晴信は指図した。

三寺尾と信玄の本陣がある小串城の間には、山名城や木部城が挟まれており、いよいよ風見鶏の頭はどちらを突くのか決めねばならぬ仕儀となった。
このように、否応なく木部氏と山名郷は戦乱の真只中に巻き込まれて行くのである。




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