三輪の山里(三寺尾の合戦その1の続き)
- カテゴリ:自作小説
- 2017/11/09 00:53:50
しばらくすると三郎左衛門の来訪に、奥から現れた木部家付家老の増尾新兵衛尉は答えた。
「如何いたした、三郎」
「それがな新兵衛、小幡の話なのだが……」
三郎左衛門と新兵衛尉は、それぞれ譜代の家臣の家に生まれ、幼いころより共に育ってきた。お互い木部十騎に数えられて主範次に仕えていたが、新兵衛尉の方が少し高い地位にあった。
しかし木部家が小領主という事もあって、二人の時はあまり上下関係など気にせずに親しく語っている。
「北条と武田の密約と小幡の話か」
「さよう、ご家老は如何にお考えじゃ?」
少し待てとばかりに、右手で制し顎を上げて話す新兵衛
「なんだ、かような時だけ家老か」
「まあそこは、--神社の市で聴いた噂が気になってな」
「三郎、噂とは小幡が武田とどうかした話か、--それを結んで家を保とうとするは是非も無い事ではないか」
この当時台頭してきた戦国大名に挟まれた、領国の境目にある小領主達は、重大な選択を強いられている。国峯の小幡氏やここ山名郷の木部氏にとっても同じことである。もうすぐそこに、北条や武田が迫ってきているのだから。
こうした事態になると、小領主たちはあちらにもこちらにも、よしみを通じるため手立てを講じるのは当たり前だった。二股も三股もかけた風見鶏と言われようが、所領を守り家を保つためなら、如何様な事もやってのけるのだ。
「ならば、我らも立場を示さねばいずれ滅ぼされよう、--であろう新兵衛」
身を乗り出して同意を求める三郎左衛門に、意を決して頷き腕組みをする新兵衛
「確かに、--実は大殿もその事で、頭を抱えておられる、--付いてまいれ」
先年の川越合戦の大敗から武蔵や上野の上杉領国では、調略と言う戦乱の波が押し寄せて来ていた。求心力を失った関東管領山内上杉家は、家臣どもの内紛が起こり、その情勢悪化に拍車をかけた。
昨年などは、上野一揆衆の箕輪城主長野業政と並び立つ、国峯城主小幡憲重が謀反を起こして、平井城を攻め立てたのである。言葉を交わしながら、ゆるりと回廊を渡り奥主殿へ足を運ぶ二人。
このような憂いを他所に、中庭の桜は尚も咲き誇りて、わずかな風が渡ると一筋の花びらが舞い降りた。
「大殿、来客は三郎左衛門でありました、--殿?」
穏やかな日よりに反し、城主駿河守は書状を傍らに置き、木部家の行く末を慮り桜木の遥か向こうを見据えていた。
「うむ! うっかりしておった、で、如何した新兵衛?」
「はい、三郎左衛門も市で噂を聞きつけ、武田の動きを懸念しておるようで」
「大殿、新兵衛の申す通りです」三郎左衛門は、平服した姿から顔を上げて返事をする。
「そうか、戻るのが遅かったのは、すでに二人で話おうたのじゃろう、申してみよ」
木部家付家老の、増尾新兵衛尉が話すことは、この様である。山内上杉家の直臣である木部家は、他の河西衆と違い苦しい立場にあった。主の上杉憲政が求心力を失った今、家中は乱れ崩壊の危機にある。
名ばかりの管領となれば、木部家は後ろ盾を失った只の草刈り場の『草』に過ぎなくなる。今は箕輪長野家から、嫡子範虎へ業政の娘が嫁いで来ていて、互いの結束を高めている。
しかし北条からも誘われ、更に小幡家を通して武田家からは、調略と言う誘いの手が伸びて来ているのだ。上野へ侵攻の暁には、武田晴信の下に降り木部家のその手を貸してくれと。
同じ源氏の血を受け継ぐもの、氏神である八幡神社は燃やしたくないと文が届いた。新兵衛はそう言った。
続けて二人は、これらを鑑みた上で「武田に応じておいて機を見る他ない」と言上した。
「もっともじゃな、心に留め置くが、他言は無用に、良いな」
「ははっ」 二人は畏まってこれに応じた。そして後に、国峯城へ使いが出された。