Nicotto Town


五飯田八宝菜の語学学習日記


ゴタぴょんの日記 2013年12月23日 Ⅲ

12月23日(月) Ⅲ

Ⅱからつづく  


  えーい、めんどうだ。
  そしたら、ランチセットをもうひとつじゃ。



店員さん  : ランチセットを追加ですね。


ゴタ    : そういうことですね。


    その結果、
    先に、注文した単品のポタージュスープが、邪魔者となった。

   (邪魔者は消せ。と思いはしたが、
    今更、いらぬ、とは言えず、テーブルの上で立ち往生)


  もう、しゃあないなあ、と思い、


ゴタ   : I'll pay the wrong soup.
       このポタージュ、私が支払いします。


アブルさん: That's OK Mr. Gota. I'll pay rightly.
        いいんだよ、ゴタはん。
        私がちゃんと、支払います。


       (‐^▽^‐)

    きょうのツアー、スタート時間が
    午後1寺30分だった上、
    ランチタイムに、30分も使ったため、
    現在時刻、午後2時10分。

    二条城と金閣寺はどうしても、行きたいという。
    さらに、清水寺も
    行けたら、行きたいという。


ゴタ   : We have no time to loose.
       Let's take a cruising taxi.
       もう、時間おまへんで。タクシー、拾いまひょ。

    ヾ(@^▽^@)ノ
        

    川端通を渡り、出雲の阿国像前で、タクシーを拾い、
    二条城へ、すっとんで行った。


 
     【二条城】

    1603年(慶長8年)、
    天下を征した徳川家康ではあったが、
    やはり、君主は天皇であり、
    家康は、あくまでも、臣下であった。

    家康にとって、天皇が、他の勢力と結びつくことだは、
    避けたいと思うのは、当然であった。


    二条城造営に当たり、家康は、
    御所周辺に目を配る必要があった。
    さらには、
    まだ豊臣家には、力が残っていた時期でもあり、
    京都の地には、監督府としての
    城が必要であった。

    完成は、1603年と書かれているが、そのころはまだ、
    二の丸周辺のみ。

    家光の時代になって、
    ようやく、拡張工事がおこなわれる。
    唐門、石垣、濠などすべて、
    家康の没後に整えられている。

    家康は、1615年の大阪城落城後、
    豊臣家が壊滅したのを見届けてから、
    その翌年、世を去った。

    豊臣家なきあとは、
    もはや、徳川家は、天下安泰であり、
    城の用もなくなってしまった。 


    家光以後、将軍が訪れることは、幕末、
    1863年の家茂(いえもち)
    (14代将軍)のときまでなく、わずか、その4年後、
    15代将軍慶喜によって、大政奉還が行われた。

    つまり、二条城に将軍が入ったのは、
    初代、二代、三代目、
    それから幕末、14代、15代の各将軍のみ。


     【式台】

ゴタ : This is the room called
     Shikidai no ma where a minister
      and a feudal load met.
     One of the important places
     that maintain the original design.

     ここは、式台の間、いいましてな。
     大名と家老が対面した部屋です。


アブルさん: The painting, Is that a replica ?
       絵は、模造ですか?


ゴタ   : Until recently the painting was a real one.
        But to avoid fading,
       they moved it to a museum.
       最近まで、本物だったのですが、
       色あせを防ぐため、資料館に移されました。


   (=⌒▽⌒=)
   
Ⅳにつづく
ゴタぴょん




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