ゴタぴょんの日記 2013年12月23日 Ⅲ
- カテゴリ:日記
- 2017/10/26 05:57:37
12月23日(月) Ⅲ
Ⅱからつづく
えーい、めんどうだ。
そしたら、ランチセットをもうひとつじゃ。
店員さん : ランチセットを追加ですね。
ゴタ : そういうことですね。
その結果、
先に、注文した単品のポタージュスープが、邪魔者となった。
(邪魔者は消せ。と思いはしたが、
今更、いらぬ、とは言えず、テーブルの上で立ち往生)
もう、しゃあないなあ、と思い、
ゴタ : I'll pay the wrong soup.
このポタージュ、私が支払いします。
アブルさん: That's OK Mr. Gota. I'll pay rightly.
いいんだよ、ゴタはん。
私がちゃんと、支払います。
(‐^▽^‐)
きょうのツアー、スタート時間が
午後1寺30分だった上、
ランチタイムに、30分も使ったため、
現在時刻、午後2時10分。
二条城と金閣寺はどうしても、行きたいという。
さらに、清水寺も
行けたら、行きたいという。
ゴタ : We have no time to loose.
Let's take a cruising taxi.
もう、時間おまへんで。タクシー、拾いまひょ。
ヾ(@^▽^@)ノ
川端通を渡り、出雲の阿国像前で、タクシーを拾い、
二条城へ、すっとんで行った。
【二条城】
1603年(慶長8年)、
天下を征した徳川家康ではあったが、
やはり、君主は天皇であり、
家康は、あくまでも、臣下であった。
家康にとって、天皇が、他の勢力と結びつくことだは、
避けたいと思うのは、当然であった。
二条城造営に当たり、家康は、
御所周辺に目を配る必要があった。
さらには、
まだ豊臣家には、力が残っていた時期でもあり、
京都の地には、監督府としての
城が必要であった。
完成は、1603年と書かれているが、そのころはまだ、
二の丸周辺のみ。
家光の時代になって、
ようやく、拡張工事がおこなわれる。
唐門、石垣、濠などすべて、
家康の没後に整えられている。
家康は、1615年の大阪城落城後、
豊臣家が壊滅したのを見届けてから、
その翌年、世を去った。
豊臣家なきあとは、
もはや、徳川家は、天下安泰であり、
城の用もなくなってしまった。
家光以後、将軍が訪れることは、幕末、
1863年の家茂(いえもち)
(14代将軍)のときまでなく、わずか、その4年後、
15代将軍慶喜によって、大政奉還が行われた。
つまり、二条城に将軍が入ったのは、
初代、二代、三代目、
それから幕末、14代、15代の各将軍のみ。
【式台】
ゴタ : This is the room called
Shikidai no ma where a minister
and a feudal load met.
One of the important places
that maintain the original design.
ここは、式台の間、いいましてな。
大名と家老が対面した部屋です。
アブルさん: The painting, Is that a replica ?
絵は、模造ですか?
ゴタ : Until recently the painting was a real one.
But to avoid fading,
they moved it to a museum.
最近まで、本物だったのですが、
色あせを防ぐため、資料館に移されました。
(=⌒▽⌒=)
Ⅳにつづく
ゴタぴょん