三輪の山里(峰法寺口の合戦 その2)
- カテゴリ:自作小説
- 2017/10/21 22:49:53
3.正念場の攻防
いの一番に名乗り出たのが、長野家でも勇猛と評判の赤石豊前守盛時その人である。
すると、鳴りを潜めていた箕輪武士たちも、我も我もと名乗り出でた。
これを聞いた業政は、「これぞ我が箕輪武士よ」と大いに喜び、檜扇の馬印を従えて箕輪城へ帰城して行った。
若田原は南の碓氷川と北の烏川に挟まれた、河岸段丘の上にあり、十間ほどの比高があった。
此処を下り箕輪城へ向かうための街道は限られていて、その一つを正念場と決めていた。
そして赤石等は追撃してくる武田勢を、備えられた切所に誘い込み寄せ手の足を止める作戦に打って出たのである。
「ここが我ら箕輪衆の見せ場所だ、心してかかろうぞ」
この剛勇を効かせた男の掛け声に「おう」と答える箕輪衆は、槍の柄を握り直した。
崖を切り通すようにして坂を作り街道を伸ばしてあり、その途中に木戸を設けて守っていた。
少数でも守りに安いが相手は大勢、死力を尽くして守るも長くは持たず焦りが見えだした頃、
「おい、殿の馬印が川を越えたぞ」
見張りについていた者は、主君信濃守が烏川を無事に渡るのを知らせ、それが一同を救った。
待ってましたとばかりに、時を合わせて遮二無二敵を押し返し、瞬間出来たすき間を見て合図する。
「今だ、仕掛けを外せ」
すると間髪入れずに用意された石や材木などが、雪崩れ込んできて通路を塞いだ。
こうして出来た猶予を逃さず、赤石豊前守達は箕輪へ向かって退いて行った。
4.峰法寺口と皂莢(さいかち)の木
意気揚々と引き上げてくる赤石達であったが、武田勢とて諦めたわけではない。
早々に切所を迂回して追撃してくるのは明白である。
あくまで殿を務める赤石が、箕輪城の南方にある峰法寺口辺りまでやって来た。
すると、どうしたわけか茜の吹き流しの指し物が、街道の端に生えていた、さいかちの木の枝にからまった。
赤石は枝から指し物を取り離そうとしたが、枝葉がしげり棘もあってなかなか外すことができない。
ここにもう一人、若輩ながら剛勇で知られる土肥三郎兵衛実吉は、赤石が付いて来ないのに気付き足を止めて振り返った。
これを見た赤石は、指し物を捨てたまま引きあげるのは恥辱と思ったのか
「俺の運もこれで尽きたらしい、こんな事になってしまった。
この指し物を取らないでは箕輪には帰れないので、取れるまで見届けてほしい。」
これに対し実吉は、「なるほどそれは口惜しかろう、--心得た」と言って踏みとどまった。
実吉は馬から降りて、
「この上は太刀で伐採するほかない、もし敵が来たらそれこそ最後だ」
と言うと、二人は乗って来た馬の尻を槍の柄でたたいて、味方の方へ走らせた。
すると、この馬と入れ違えるように一人の武者が戻って来た。
「赤石殿、何をなさっておるのですか?」
「おお!小三郎か良い所へ来た、--手伝え! 指し物を取られてな」
「なんと、はた迷惑なさいかちの木でありますな、赤石殿」
「これは上手いことを申すのう……」
小三郎は諱を吉春と言い、同じように尻を叩いて馬を城へ返した。
これで落ち着いてやれると、三人は例の木を街道の真ん中に押し倒した。
赤石はようやく指し物を取り戻し、足を投げ出して仰向けに寝そべり休憩し始めた。
「婿殿は、武田相手になかなかの手柄じゃったな」
「はい、従兄弟は一族の誉れです」
吉春はこう答えたところへ、街道の向こうから蹄の音がする。
赤石らが休むそこに、敵勢が「逃がさん」と叫んで追いついてきたのだ。
「うかつにも、また仕事を増やしてしまったな」
実吉は少しも騒がず、槍を取って待ちうけた。
「おっと、これはすまなかった、殿も楽には終わらんのう」
赤石も身構えた。
「吉春がその証を立てます故、ご安心下され」
「生きて帰れたらの頼み置きで」
敵が駆け寄ってこちらを見ると、三人の前に切り倒された大木を指し、
容易に近づこうとはして来なかった。
少し前、箕輪城まで三人が逃がした馬が、一直線に戻ってきたのを見た味方は、不思議に思った。
そして、まだ実吉と赤名等が後ろに残っていると考えた。
「三人はしっかりしているので租忽の死はないと思うが、何かあったのだろう。
戻って見届けよう。」
と十騎ばかりが引き返して、例の場所に着くとまさにその時その場面。すると武田勢は、
「やはり、策があったのだ。夕陽も傾いたので、引き取ろう。」
と互いに引っ張るように引きあげた。この三名は危ういところで命を全うし、箕輪城に帰って来たのである。
赤石豊前守は箕輪落城の後に、その武勇を称えられて武田家に高禄にて召し抱えられた。