ゴタぴょんの日記 2013年11月10日 Ⅴ
- カテゴリ:日記
- 2017/10/02 19:13:14
11月10日 (日) Ⅴ
Ⅳからつづく
【金閣寺へ】
拝観受付の近くには、菩提樹があったはずなのに、
ありません。
最後に見たのは、昭和58年。
あれから30年の年月が流れました。
昭和58年に、何があったか?その年は、
ゴタが、タクシーの免許(二種免許)を
取った年。すぐさま、帝産京都自動車(株)に入社。
タクシー運転手になった年である。
当時は、初乗りが、420円の時代。
あの頃はよかった。お客は、どこにでもあった。
どこにでもあるのを、ユビキタスというそうだが、
この言葉の使い方が、よくわからんので、
ここで、使っておこう。
お客は、ユビキタスであった。
つまり、あくせく、働かなくても、いくらでも、
あとで、がんばれば、遅れは取り返せた。
あの頃は、よかった。ジュリーも言ってくれた。
「あんたの時代はよかった。」
金閣寺には、菩提樹があった。
その木の下に、仏様が座っていそうでした。
たとえば、梅の木にうぐいすがいそうなように。
柳の木の下には、お化けがいそうなように。
(お化けは、こわいので、いらない。)
うらめしや~(いらんっちゅうねん)
何の話やったかな?そう、金閣寺に来ました。
ゴタ : Please stand with the golden
pavilion for background.
金閣寺を背景に写しますね。どうぞ。
カシャ
ゴタ : I'll e-mail this to you later.
Eメールで、送りますわ。
そのあとで、気づいたことだが、
ゴタカメラ、SDカードをまた入れ忘れていた。
わははは・・・笑うな! 二度目じゃ、
これで。 ばっかも~ん。
ゴタ : In 1394, Ashikaga Yoshimitsu
retired from the shogun government.
1394年に政界を引退しましてね。
足利義満さん。
Then, in 1397, he built the villa,
the golden pavilion.
Exactly speaking, he repaired the villa
where an aristocrat lived whose name was
Saionji Kintsune. He was the very man
from whom Yoshimitsu gained the land
and the villa.
1397年にこの山荘を建てます。
正確に言えば、山荘は、もともとあったもので、
そこには、西園寺公経という貴族
が住んでいたのです。
彼こそが、義満にこの土地を譲った人物なのです。
Yoshimitsu spent roughly
60.000.000.000 yen (シックスティ ビリオン~ ポヨヨ~ン)
for gaining the land because
he hand over his own land in
Kidai province to him.
Thanks for that trade, Saionji family
after long ruin, revived.
義満は、この地を得るのに、足利家の畿内の領地を、
西園寺公経に譲り渡します。
(めっちゃ、贅沢なおっさんやで。
600億円やで。あほやん。ゴタも贅沢したい~)
(早よ、訳せ。ゴタのおっさん。)
このおかげで、没落していた西園寺家は、復興を遂げます。
【夕佳亭】
せっかてい、と読みます。
佳の意味は、1 姿形が整って美しい。
「佳境・佳景・佳人・佳麗/絶佳」
夕方に美しい、というのが、夕佳。
亭は、あづまや、の義。
なので、夕日の映える山小屋、
というほどの意味でしょうね。
1661年、後水尾天皇、行幸に向けて、
茶人、金森宗和に建てさせたもの。
ただし、1874年に建替えている。
ガイドは、必ず、ここで、
萩の棚と南天の床柱を説明しなければならない。
何?
説明しなければ、ならないだって、? 誰が決めた?
ゴタが決めた。文句jのあるやつは、誰だ!
おれだ。
ごめんなさい。
萩は、英語で、 bush clover
大学の先生をガイドするときは、
Lespedeza thunbergii やで。
ってか。虎の巻、山田のおっさん、
それ見ながら、何書いてんのん?
みなさーん。ゴタのおっさんなあ、
萩も知らんと、きのう、ガイドしとってんてえ。
BUSH CLOVER ぐらい、覚えとけ。
何、LESP・・・ラテン語で、ごまかしとんねん。
Ⅵにつづく
ゴタぴょん