想いを言の葉に乗せて(その4)
- カテゴリ:小説/詩
- 2017/09/30 19:07:00
●言葉の終わりと最後の場面(望まれる結末と言葉)
このテーマは、(その3)のところで話そうと思ったが、長くなりそうなんで分けた。
体言止めと、映画のラストシーンとの関連性、とでも言えばいいかもしれない。
ググると、「光る星」「青い空」の用例と、体言止めでなければ、「星が光る」「空が青い」と解説がある。
前者では、「光る星」がどうしたのかな?後者では、「星が光る」そうなんだと納得してしまう。
では有名な映画のラストシーン、
「遥かなる呼び声を背に、あかね空の彼方へ立ち去るシェーン」
この結末は、世界に知れるところです。
シーンを詳しく分析すると、結末の欠片が映っているそうですが、解釈は色々。
どうも望む結末を、視聴者自身の手で上映して欲しかったようです。
私は、悲しい方を選択してしまいました。
話を体言止めに戻します。
相方がいたとします。
「空が青い」
「ああ、秋だしね」
ところが
「青い空」
「……え!続かないの、どうしたの?」
「白い雲」
「……独り言かな、はっきり言ってくんない?」
相方の心と、空気の読めない私がそこにいました。
読める男
「青い空」
「そうだね、散歩にでも行こうか」
「白い雲」
「たまには、のんびりしないとね」
こうして二人は充実した一日を過ごしました。
このたとえは、話し手が望む結末を、聞き手に求めている。
映画シェーンでは、作り手が望まれる結末を、視聴者に選択させている。
吉猫の抽象的な表現として、こんなのもありかなと思う。
最後に、体言止めとは関係ないけど、書かなくても容易に想像できる言葉は、省いた方が奥行きがあると思う。
「想いを言の葉に乗せて」シリーズは、これでいったんお終い。
読んでくださった方、ありがとうございました。吉猫