日本の伝統芸能についてブログを書いてみよう♪
- カテゴリ:東京江戸ウィーク2017コラボ
- 2017/09/30 09:07:50
こうしてみるといろんな伝統芸能があるもんですね。
私は(鑑賞歴はまだ浅いですが)落語を軸にして、寄席で見られる各種演芸に触れることができました。
流れで小唄や端唄もいいなと思ったりして、スマホの呼び出し音は小唄にしています。
釣りをやっていた時代には常に和竿を意識させられたし、墨田区住まいのときは和竿工房を見つけて妙に興奮しておりました。
全ての伝統芸能に意識して触れたわけではありませんけど、上に挙げたもの以外にも、いくつかのものは私の生活の場面場面にちらほら登場してはうっすらと積もっていき、いつしか小さくない存在感を放つようになりました。
それは平成の景色であり、また昭和の景色でもあります。さらに元をただせば江戸の景色だったり、それよりはるか昔の景色だったりもするわけです。
伝統芸能に触れるということは、この国土に住んできた人々の遺伝子を受け継いだ一人として、そのような何千年という時の流れや、その原点と進化の様、そして己の遺伝子を思わされることであるなと、この歳になって当たり前のことに気付かされたものです。
実際のところは、落語を鑑賞するときはひたすら師匠方の芸に引きずり込まれております。ただただ笑います。
小唄鑑賞のときは、演奏の芸と声、そしてかすかに漂う色気に引きずり込まれます。
和竿を見るときは、その仕上げに引きずり込まれて感心し(見たことがあるだけですがw)、使う姿を想像できない自分を笑います。
そして素直に、その道の高みに至ったということは、おそらくそのために過ごしたであろう忍耐、己との闘いの時なども想像しつつ、凄いものだなと思うのです。
高みに至った方々、あるいは途上の方々を誇りに思います。
同じような観点から、他国でもその道の高みに至ろうと進んでいる方々はやはり凄いなと思わされます。
伝統芸能は自国の誇りであると同時に、人の凄さ、素晴らしさを学ぶのに格好の教材でもあると思います。伝統芸能を大切にすることによって学んだものが、地球全体に及べばいいんだろうなあ、と漠然と思いながら、今日も志ん朝師匠のDVDを見る福助なのでした。
ホント着物良いですよね〜、って、ずっと習い事続けておられるとは、スゴイですね。
私インチキ四海波ならできますが、きちんと習ったわけじゃないので人前では・・・w
細く長く、良いじゃないですか。時間をかけた分の積み重ねは確実にあることと想像します。
私もそんな感じで続けられるものに出会いたいです☆
キモノ、いいですよねー。
肝心の習い事の方は10年たちますがサボってばかりなので一向に上達しません。
でも、細く長く続けるつもりです。一緒に習い始めた友だちはみんなやめてしまったので・・・・。
生の小唄は数えるほどしか経験がありませんので、真髄を味わっていると言えるかどうかは「?」です。
何しろおっさんですし、上っ面な関心とはむしろ私の方なのかもしれません。
DVD、そうですね。良いか悪いかは別にしてネットでも見つけられたりしますしね。ただしそれらはあくまでも2次元。
空気感、表現の奥行き、観客の反応との相乗効果など、ライブでしか味わえないものは確かにありますよね。
私が寄席に行くのも、それを求めてのことかもって思わされました。
着物というと子供の頃の浴衣がせいぜいで、実際に着たことがないのです。
退職したら着物で生活も良いなと思っています。
芸者さんの芸って、未だ見たことがないんですよね〜。
浅草あたりですと、廉価でお座敷遊びが体験できる企画もあるようですので、
いずれそこで見てみたいものだなあと。
そんなわけで小唄は寄席で俗曲師の方が演じるもののみ・・・あ、その方が
以前ライブで当地にいらした際に、至近距離で見ました。独特の空気感はありましたっけ。
次は芸者さんのライブに興味津々です。
よくわからないけど、かっこいいなとおもっていることを、しっかりと味わっているのですね。
上っ面の関心のわたしとは、段違い。
今はDVDがあって、時代になりましたね。
それでも、生のその場でしか表現されないことがあるのも、また魅力的ですね。
江戸・元禄の文化は粋なものやはんなりしたものが多いですね^^
初めてプロの芸者さんの小唄を聞いた時は、その粋な色気?にため息をつきました。
普通の色気と違って洗練されているというか、一般社会ではもうなくなってしまった
色気かもですね^^;
学生時代住んでいたアパートの前にお住いの方が三味線をやってらして
たまに聞こえてくると、その空間が何とも言えず、いい雰囲気でした^^
よい伝統は残っていってほしいものですね^^