想いを言の葉に乗せて(その1)
- カテゴリ:小説/詩
- 2017/09/29 19:22:21
●想い描く事(写実的に伝える)
ものを書く、それが小説などの物語であったとする
それは読み手の心のカンバスに、絵を描くのに似ている
小説というのは、一人の人間の生き方を表現するともいえる
筆使いや絵具の色でもって、巧みに連続した情景を映しだす
ただ、作者は描くに必要な画材と手順をまとめて、わかり易く文字にする。
読み手はそれをもとに、自身のカンバスに描き始める
そして物語が上映され、クライマックスに差し掛かる
そこに作者の想いが浮かび上がり、読み手とシンクロした時に感動が生まれる
だがそれは、作者の意図しないものであったりもするが、それは読み手による
そんな他愛もない事を考え、「小説とか無理だは」と西の茜空を想い描くのであった
以上のこれは、数年前にブログに挙げたテーマである。
>作者は描くに必要な画材と手順をまとめて、わかり易く文字にする。
これはたとえ話をしているわけであるが、小説の一場面を絵画に例えて説明しようとしている。
さらに説明を加えると、まず作者の思い浮かべた場面を一度写真に撮る。
これを分析して写真と違わぬ絵を、読み手に描かせるための手順書を作るようなものだと。
小説においても、これを写実主義とでも分類するのであろうか。
以前はこれを目指していた。
>そこに作者の想いが浮かび上がり、読み手とシンクロした時に感動が生まれる
これは読者が感動するプロセスを例えたものである。
だがどうだろう、書き手が思い浮かべた場面が必ずしも読者の心と共鳴するとは限らない。
なぜだろう、書き手の執筆力の問題もあろうが、あまりに鮮明過ぎるから制限が厳しいのだと思う。
逆にあいまいさを持つ場面では、読み手が自身のデータベースにアクセスする。
そのさい、書き手に好意を抱き同調するように補正がかかると、うまく共鳴へと導かれる。
今はこのように、写実的表現より抽象的な表現を目指すようになった。
小説すら書いたことがない、作家希望を自称する吉猫でした。
£ゆうなさんの呟きや、ブログに記載された内容。
沢山触れたわけではありませんが、抽象的な感じがします。
他の方の多くは、主題がどこにあるのか、分からなくなるほど文字数の多いもの。
まるで、歌謡曲の歌詞を気取っているかのように、言の葉の並びに注力だけしてるもの。
悪口のように聞こえるかもですが、それはそれで書き手の自由ですから否定はしません。
長すぎて読む気にならない、私には意をくみ取る力が続かないからです。
長すぎましたね
£ゆうなさんの呟きは、適度な長さで主題がよく出ていると思います。
もうすでに、£ゆうなさんへの補正がかなり入ってますけど。
もっと短くいうと 素晴らしいです 吉猫
Ps
>私の呟きが、その人の作品になるという
>面白い現象が起きることも稀にありまる。
>そういう時は、新しい作品を読んでいるようで
>心が躍ります。
最近の吉猫の場合、完全にそれを狙ている節があります
きっと気づいてると思うけど (^o^
基本的には読み手の描くものに任せます。
私の手を離れた瞬間から、読み手の生きてきた
キャンバスに描かれるものになります。
けれども「言の葉」にも描いた通り
「葉は葉であり、花や実ではないのです」と
思うことも、稀にあるのです。
そんな中でも
「花や実」として受け止めてくれた人の
「何故そう思ったのか」を読むことで
私の呟きが、その人の作品になるという
面白い現象が起きることも稀にありまる。
そういう時は、新しい作品を読んでいるようで
心が躍ります。