Nicotto世界から、のんびり革命?
- カテゴリ:ニコッとタウン全般
- 2008/12/26 09:03:44
昨晩はマワリもみなお疲れ。
で… XマスPは、ナント今日に!(^o^)
詩蘭のマワリは、のんびり者が多いのでした。
ま、その筆頭は詩蘭だけどね~
地球って、特に日本って、忙しくて、ヤ、だわさ
「忙しそうですね~」って
誉め言葉、ってか、お世辞の決まり文句、で、つい使いますよね。
でも、それって、異常だよねぇ!
ブッシュのアホ政治のオカゲで、ますますミンナ厳しくなっちゃうし!
Nicotto世界から、のんびり革命、できるかなあ?
まあしかし、ここのせいで、よけい時間使ってるとなると(^^;
ただ、あの敬愛していたロワゾーが、あまりに奇妙な発言や振る舞いをすることに、
ひどく当惑させられた。
しかも、その知性を大したものと思っていた、そしてネコちゃんも愛しているロワゾーが、
これほど単純な問いかけに、なぜ応じられないのか?
まさに 異質な他者の、しかし悪い方へ異質性が発揮されてしまっていることへの当惑が
この展開を暗く彩っています。
その当惑が、限度に達し、昨夜からの一連の強い要求にもなりました。
しかし、善き可能性としてのロワちゃんの 素敵な応対を待っていますし、今も信じています。
第一に、分かってないことに対し、分かってないくせに幼稚な評価を繰り返した点を、謝罪すること。
第二に、分かっていないのなら、最初から、分からなかった点について質問すればよかっただけのこと。
それゆえ、どの論点に関し、どの文が、どのように分からなかったのか、
一つづつでかまいませんから、…というより、一つづつやること、それこそが要点なのだから、
具体的に、提示してください。
気力がないとか フザケたことは許しません!
その原因も、こちらの何度も繰り返した問や、
膨大な時間を費やしたコメントへの君の無視! によるのですから。
迷惑をかけられたのは、へんなイイカガリをつけられたコチラなのですからね!
それでもなお、アホの「ロワゾー」でなく、可能性の<ロワゾー>に今もまだ期待しています。
ネコちゃんの大切な友だちでもあり、
そして ネコちゃんも大いに心配し、
今日のこの夕方も、その一時間以上の時間を ふたりして君のために使っているのですから!
それだけの責任が 君にはあります!
しっかりとオトナの対応をする責任が 君にはあります。
事の発端は、そこでも繰り返した、君の
「理解していないのに行う他者を尊重しない幼稚な評価」 こそが全ての根っこにあるのですから。
その謝罪と、その時の論点以降の、個々の論点への、
幼稚な評価に陥らない、内容への見解や疑問の提示、
最低限、以上の二点に応答されなければ、
当方としては、今回の問題を幕引くわけにはいきません。
互いのためにも。
自分のことを棚に上げるその態度を、まず変えて、
その上で、個々の問題について、分からなければ、
ココがわかりません、ココはこう思いますがどうでしょう、と訊けば良い!
ただそれだけのこと。
直前のコメントでも、ただ 「単純な誤解があるよう…」というだけで、その内容はまた言わない!
それから、「穏やかなトーン」というのも、詩蘭こそが君に求めていたものです!
それを破ったのは、君の「言い古されたことを空疎な煩雑さでくりかえしている。」
「そのアプローチでは影響力がない旨」という発言じゃないですか!
そのことへの 応答を何度も求めているのに、それは口を拭ったまま。
引っ込むのであっても、そこの責任をまず 取りなさい!
あなたの態度は、当て逃げにすぎません!
ロワさんへの何百行も費やした詩蘭の発言のウチの、どの話題の、どの点についてなのか?
それを提示してください。
(最初から、くだらないマウントをするのでなく、それを提示してくれれば、実りのある会話になったのだから)
そして、それほど何も理解していなかったのならば、
下のコメの冒頭で引用した、失礼極まる勝手な判定を撤回し、
相手の矮小化と不遜な態度での評定を繰り返したその振る舞いを 謝罪してください!
最初の、AI芸術の問題について ロワさんの提言に応じて答えた、
美術史におけるテクネーのポジションについては、
コチラの板でも 現代美術と交響曲について、反復しました。
また、ソシュールの話を君が持ちだしたから、
そこらの君の知識は前提した上で、構造論的な観点の相対性の話も何度も繰り返しました。
あのあたりの議論がついてこれないようだったら、
冒頭の「言い古された云々」など言えようわけがない。
三宅本の話を上げるくらいなのだから、
コチラは、デリダについてもメルロ=ポンティについても、その基礎教養くらいはあるものと前提して
全ての話を展開しました。
それについてこれないのであれば、
三宅本に関するあのヤリトリも、ごく一面的で表面的な理解の範囲だったと想定せざるをえない。
君からの、デリダやポスト構造論系の 規範の相対性についての見解は何も出されていないのですし。
以上、二点。
まず、理解しもせず マウンティング語法で他者を中傷した点への謝罪。
ときおり 反省していただけたのかと思って、一安心し、こちらも言い過ぎかと反省する間もなく、
次のコメントでは、今日の昼のコメントのように、すぐにまた自己中心的な語法をにじませて、
肝心のこちらが求めた、会話の実質内容に入らないのですから!
相手を尊重しつつ会話するのが好きです。
あれにはいちおう特殊な事情がありました。
ご回答で気力が減衰し、一フレーズ一フレーズ認識を一致させようと引用訂正する気がおこりません。
(否定にはわたしは強いつもりです。実際この間、感情を荒立てたシーンは一切ありませんでした)
わたしは幼稚で拙速で相手にするにたりない相手だったということで、
ご認識に首肯しますので、もうおつきあいをやめましょう。
あなたの応答に対しての見解応答を述べる気力がどうしても湧かないのが、
我ながら残念ですが、それもまた相性と時期と諸々かと思います。
これまで楽しい時間をありがとうございました。
今後こちら、じゅうぶんな時間がたつまで拝見しません。
下記2コメントで、あなたは敬するに足る論客、すばらしい思想家であるとわたしは認識しました。
それは今後も変わりません。
それでは。
自分の問題を回避して、また同じことを繰り返している。。
「言い古されたことを空疎な煩雑さでくりかえしている。」
「そのアプローチでは影響力がない旨」
など、勝手に自分の立場を絶対化した上で、他者の発言はその枠の中に矮小化し、
相手の発言を きちんと理解しようとする努力もせず、勝手な判定を繰り返す!
それが、以前、他のニコ友たちの何人かにも、悲しい思いをさせたことも、気づいてないのですか。
「一文を縮めて、WEB読書向けに段落あけに配慮していただけないか」
とかいう程度に、何も理解していなかったのならば、
まず、上で引用した、詩蘭に対する失礼極まる発言を撤回し、
その拙速で幼稚な暴言を謝罪しなさい!
AIと意識の問題を、カトリーヌ板から引き継いだ当初のヤリトリ部分で、
何か不明な点があったのならば、
「言い古されたことを空疎な煩雑さでくりかえしている。」などと偉そうに御託を言う余地もなかったわけで、
単に、
「それは どうしてですか? 私はその件については、こう思うだけど、どうかな?」
などと、ごく率直に、誰もができる応対をすれば、
その問に則して、コチラの見解を展開し、
その問の焦点が分かりにくければこちらも確認したり、
くだらないマウンティング・ゴッコなどすることなく、いくらでも会話出来たじゃないですか!
楽しさがベースだということだって、詩蘭が何度も君に提示していて、
だから、具体的に、「この問題は、こうは考えられないか?」とか「その文の真意をもう少し教えて」とか
フツウに訊けば良いじゃないか。
「ふつうにしている努力」が、まず、相手に対し、
「その見解は空疎だ、煩雑だ、影響力がない」などと、
内容について自分なりの見解を提出することもなく、自己中に決めつける態度がフツウなら、
ヤンキーやネトウヨ・オヤジらの罵倒ゴッコと一緒の 幼稚なフツウです。
ロワさんは、豊かな教養があるのに、なぜか、それを全然うまく活用できない。
「「敬意と義務感」では、動機としては弱すぎる。」
ということだって、詩蘭が君にずっと示唆していたこと。
その解決法は、簡単極まる!
マウンティング語法を止め、何度も繰り返したように
当初の話題の、疑問点や転回点に、フツウに君の見解を出せばそれでよい。
そんな サルでも分かる簡単なことと、
自分が起こした混乱を反省しなさい
ロワゾー、単純に、
「もし対話を続けていただけるのであれば、もしよかったら、
一文を縮めて、WEB読書向けに段落あけに配慮していただけないか」
と、じつは下記で言っているのです。
わたしは、誰に対しても、ふつうにしている努力で、過剰要求でもないと考えている。
言われたら即座に応じるレベルのものです。実際言われて、そうか、とやっている。
我々は対等であり、ただ対話刺激が互いに
「楽しいか」「楽しくないか」「自分の注力に足るか」「足らないか」
が、関係の基盤だと考えている。
いま、貴重なお休みの時間をあなたからいただいて、
わたしもやりたい仕事を脇に置いて消費するだけの享楽が、
おっしゃるように残念ながら、ないかもしれない。
少しやはり、時間をおかせていただけませんか。
わたしもあなたも仕事でこれをおこなっているわけではない。
「楽しみ」がまずなくてはならず、「敬意と義務感」では、動機としては弱すぎる。
失礼します。よいお正月を。
自己の幻想の枠組みから自己中心的に他者の語りを矮小化して、その都合の良い像の中で他者を評定する
その幼稚な態度を反省し、
他者の語りを自己像で決めつける前に、そこで語られている主題の核心が何であるかを捉え返してください。
その主題について、相手の判断と異なる判断があるのなら、
幼稚で性急な評定をするのでなく! その主題についての自分なりの解釈や探求を提示し、
そうして、相手の異質な見解との交差する場所を開拓する!
日常対話にも、学的探求にも、そして政治的議論にも不可欠な、そうした過程を踏みなさい!
そんなこともできずに、「言い古されたことを空疎な煩雑さでくりかえしている。」などと語るなど、笑止千万!
その、「言い古されたこと」が、何をどう言っている点を指しているのか、
自分の言葉で言い換えてご覧なさい!
そもそも、詩蘭は、君がそう言った段階のコメントで、
そんな話題なと、サワリ以上の何も展開しちゃいないのですよ。
デリダのシュプルマンの論理が、意識の問題とどう関わるか、君は答えられるのですか?
そして、デリダ的ロジックでさえ、意識という問題の特異性に関しては、ある一面しか捉え得ないこと、
それを、君がデリダを超えて解明し、ここにその成果を提示できるのですか?
あるいは、AIが創る今の未熟な表現が、それでも人々のある種の快楽を喚起している時、
そのAI絵画が、人々の欲望の対象として、どのように構成されているかを、語れますか?
その 特殊な欲望の対象の生成が、AIという新たなテクノロジーを育む
今日の文化と社会の歴史的ポジションにおいて、
近代が育んだ、美的感受性の共通感覚と、どのような関係を持っているか
君はどのように語ってくれるのですか?
そうした諸問題その他無数の奥行きが、君が幼稚な断定をした詩蘭のコメントにあるだけでなく、
他のどんな人の発話にだって、それぞれの複雑な背景がある。
だからこそ、誰の発言だって、君のような判定を先行させることは、
世界と他者の複雑性に対する幼稚な冒涜にすぎないことになる。
幼稚な評定でなく、会話の主題の一つ一つを 自分なりの観点から捉え返して、
自分なりの解釈や見解を(評定でなく!)提示してみてください。
その努力をした上での「説明要求」なら、いくらでも喜んで受けます
たとえば、カントでもヘーゲルでも、ハイゼンベルクでも、道元でもドストエフスキーでもデリダでも、
彼らは、あなたに適した文体など、配慮したりしていない!
誰の文体も、それぞれ独特で、その難解さは、それぞれの探求の個性に応じた難解さだ。
そしてしかし、難解だからこそ、簡単に自分の今までの趣味に 楽に応じないからこそ、
異質な文体と異質の論理と異質の語法ゆえにこそ、
読者を、自分の今までの考えや感じ方と異質の光景を開いてくれる。
それは、難しい言葉を使っているから…なんてことではなく、
異質の人間の発話 だからこそであり、
ゆえに、それは理論的文章に限らず、文学だって 逆に簡明な日常の会話だって、
自分と異なった感性や知性であるなら 異質ゆえの抵抗感があるからこそ、
異質の世界の入口がそこにある。
これは、読書の、そして他者との交流の、もっとも基本のシーンです。
それが分からないようであれば、君の今までの世界への対し方は、
誤っているとか以前に、単に 幼稚なガキの自己中心主義にすぎません!
そうした子供に教育やカウンセリングするヒマはないので、
内容を、自分なりに咀嚼し、内容を展開する、そうした対話でなければ、
もはやコレ以上、時間と労力を費やすことは、
貴重な人生時間の浪費でしか無いので、残念ながら いっさいの対話を停止します。
クリスマス板では、美術史におけるテクネーのポジションについて、
他者という存在の対話内でのポジションについて、
その他、多くのテーマを、あなたの問に応じて、第一段の応答をしています。
それらの どれ一つにも、あなたからの応答はありません!
それでは、対話が進むわけがない!
カーリーマさんでも誰でも、それぞれの仕方で 相手との会話を楽しむ努力をしている。
相手を、一方的に断罪するなんて、そんな幼稚な振る舞いはしていないからこそ、
詩蘭も 彼らとのやりとりで開かれる世界を、それぞれに楽しみ、彼らを愛している。
自分の趣味に相手が合わせてくれない! と相手に責任を押し付けるのは、
甘ったれた承認要求を隠ぺいする 自己防衛の振る舞いに過ぎません!
せっかく 一歩を踏み出したのに、また 同じ穴に落ち、それに気づかない。
それは、どうも 思考すること、文章を読むこと、他者に応じること
などの根本的な所に関わる弱点のようですね。
「あなたの 「ふだんの」 話法」…とか、また言っている。
君は、まだ 詩蘭の 「ふだんの話法」なんて 知りもしないのに、
またもや、自分でいつの間にか作り上げたイメージに、自分でそれと自覚せず嵌り込み、
その内部で、他者を枠付け、染め上げている。
しかも、肝心の 相手の発話の、主題やそれについての記述に関し、何も言及せず、
しようとする努力さえしないままに、
自分が投影した幻想像の他者に対して、それを断定的に評価している。
そうしたことが、思考や読書には何よりの障碍で、かつ、他者との交流に最悪の道だ、
ということを、何度も繰り返し、
やっと脱したと思い、
対話の土俵について、対話の内容に入れるな…と思ったのに、また、もとの振り出しに戻っている!
がんばっているうちに休み終わりそうだな…
いちおうご相談のかたちです。
傍から見るとすでにコントだと思える内容です。
が、どうも回避できない核心的なところです。
何度も貴コメントを読み返していますが、
ロワゾーは、あなたの「ふだんの」話法
(下記感銘をうけた2コメントおよび時代の色彩論関連2コメント以外)が、
たいへん読みづらく、読むにあたってストレスフルに感じています。
主義主張・姿勢というより、文体の問題です。
ケミストリの合わない文体の小説を読むような困難です。
しかし、当然、これを自分向けに変えてくださいと希望することはできません。
わたしの通常の行動様式であれば、読みづらく、その要請は無論せず、
そっと何も言わず、フェイドアウトさせていただくところです。
努力していますが、これはわたしにとって一種の苦行であり、
あなたへの義務・義理・敬意以外に、わたしがあなたの「ふだんの」話法に
対峙するモチベーションはありません。
現状、わたしはあなたの真摯な注力への敬意と、
下記2コメントの一片の光輝により、着席している状態です。
じき、わたしにとってただの苦行となるでしょう。ほんとうにコントですが。。。
そうした状況で、よろしいでしょうか。
笑ってしまっておりますが。
ほんとうに申し訳ありません。
なるほど 宴会から帰宅したばかりで、まだ 頭が お寿司と宴会騒ぎで散らかったままw
了解! その点も、AI問題に絡められるかもしれない
しっかし ロワちゃん そのロワBとの対決は それはそれでタイヘンそうだな~w。(^o^)。
単純にすみません。短くポイントだけ申し上げます。
下記は、ロワゾーがロワゾーに対したとき、こう語るであろう、こう語られたら、
ロワゾーはすぐに「この方は礼を示すにふさわしく、すぐに剣を引き、敬礼した」という例です。
同時に現在の、わたしの、他者への話法であり、アプローチのしかたです。
端的に、対話という相互行為、対話という相互主観行為における
対話の内容を、その複数の異質な当事者たちの間で紡ぎ合うための、
超越論的な条件と、経験的な条件、その基本形式についての 確認、というだけのことです。
この問題は、かつて、デリダとサール、その後、デリダとハーバーマスとの間で、
それ自体、高度な哲学的論争として展開された、そして今も係争中の
哲学的問題の核心につながる問題で、
教育的配慮などとまるで別次元の先端課題を
ココでの問題のコアに関わるものとして、召喚しただけのこと。
そして、この異質な他者との相互関係という問題こそ、また同時に
現在の人間にとっての、新たな異質な他者(の可能性)としての人工知能と 人間との
未知のコミュニケーション という根源的問題に、そのまま繋がる事態であって、
これまた、教育的配慮など無縁の 先端的イシューの核心です。
それこそが、そして AI美学問題の核心でもあるのですから。
で、先のコメントに続く、AI美学の問題については、明日以降に。
取り急ぎ、下のロワさんのコメで、ちょっと気になった部分、理解が及ばない部分について。
「てっとりばやい方法で、私淑に足る相手かどうか、わたしの反応を見る」 とありますが、
これは、単純に誤解です。
詩蘭は、どんな相手と語り合う時にも、相手との上下関係などは、まるっきり配慮しません。
それゆえに、日本的な村社会的位階序列への作法を、暗黙の規範とする世俗政治において、
暗黙の権威に頓着しない詩蘭の発言は、慣習的権威に居直っている連中に反感を買ったようで
業界内政治での出世や陣取り合戦に、とても不利となる振る舞いをやっていた…と、
これは最近になって、いろいろ伝え聞いてようやく知った次第w
逆に、若い人たちでは詩蘭を いつも彼らと同じ地平で対話し合うと、喜んでくれるらしい。
詩蘭に抵抗感を示す人は、他者への承認欲求が強い傾向がある、と、
これは、他の方々に拠る詩蘭についての分析…だそうです。
自分の意図、ではなく、自分がやっていることの効果…は、他者の観点から教えていただくのみですからね。
ロワさんが、詩蘭に、教育的語法を感じるとしたら、ロワさんの無意識が、詩蘭に指導的意図を投入されているのかもしれないし、その傾向性に詩蘭の語法が、うまく/まずく共振しちゃったのかもしれません。
ともあれ、意図としては、教育的指導や政治的教導などというメンドウは、
超メンドウクサガリの詩蘭には 少なくとも意図の範囲ではまるでありませんので、ご心配なく。^^
指導するなら、ギャラがもらわなくちゃイヤですw
一講義 一万円くらいいただけるなら、ロワ相手にも、喜んで指導いたしますよ。。それ、やりたいw
下記、直接関与しませんが、
あなたの話法への個人的な非常な違和感(読みにくさ、困惑点)
を一度解決しないといけないな、と思って、議論がとまったあたりから用意していたものです。
じつは、下記の話法であれば、わたしはあなたに、最初の段階ですぐさま私淑しました。
少しは見るべきものとして、見ていただけるでしょうか。
ロワゾーのような無礼な口をきいてくる、
あなたが多用する語で言えば「マウンティング」姿勢である、
しかしこちらへの期待感を感じ取れる、そういう若者がいるとします。
わたしはその発言に、今は、このように対応します。
(実際そのとき感情が安定して、相手の最大益、共益となるであろう
下記アプローチができるかどうかは情けなくもわかりませんが)
◆
「自分の回答が空疎で煩雑でつまらないとのことだが、なるほど、
既知のことがらを迂遠にペダンティックに要領をえず、「教授」されたように感じるのですね。
うんざりなさったのかもしれない。申し訳なかった。
1:multiのオーディエンスにしても、1:1の対話にしても、自分の発話表現についての課題のひとつかと思う。
だがあなたの問いに対して、自分は自分なりに熟慮し、真摯な姿勢で回答を開始した。
序論さえ終了していない状況でその発言は基本的な礼節にてらして問題であることと、
建設的でないことは一致いただけるのではないか。
あなたのことだから、おそらくてっとりばやい方法で、私淑に足る相手かどうか、わたしの反応を見たのだろう。
(わたしにはいいが、できれば他の方にはやってほしくないな。あなたと、その対話者のために)
質問と回答形式であるにしろ、議論にしろ、
現状、おたがいの前提条件の認識差異が顕著であるようだから、まずそこをつめてみないか。
拙速の断定から入る。
自分の現状の見地をファイナルとし、逸脱したように見えた相手の言葉尻をピックアップして、即時否定からはじまる。
これが生産的ではない、建設的ではない、…というのは、わたしが敬するあなたと一致できるのではないかと考えている。
あなたがわたしに期待してくれているのと同様に、あなたに期待したい。
相手が未熟であり、愚かであり、欠けている、指導してやらねば、
というところから入ることは、わたしも重々控え、自制するところだ。
わたしにも足りないところがあり、同じ真理探求の知的な喜びへと向かう、旅程の途にある、仲間なのだから。
まずともに高みをめざす共益を前提として、議論を修正しないか。
対話回復の道が広がってよかった。^^
ここでも、言葉というメディアの 難しさと可能性 ということも、
自己言及的に示されましたね。
ほんっと メンドウだw でも、そのメンドウが 人間特有の楽しさも誘ってくれる。
そして、このことが、
芸術や技術など、他のテクネーにも 直接つながっている。
人の営みは、どれほど孤独な営みでも、他者と連関する。
この他者とは、未来の自分や、過去の自分
…数秒後や数秒前の自分も、またメタの自分やサブの自分も含め…
との関係も含む。
そして、詩蘭の AIに関する関心も、そのコアは、AIという新たな特殊な他者との関係が開く問題です。
その際に、美的経験や芸術的経験という 特異な経験が、
その新たな他者との関係において、どのような面を示すか、
その生物的人間とは異質の他者が、どのように他者としての相貌を示すか、
それらが、翻って人間の従来の美的経験や芸術的経験に どのような別の光景を示唆するか…
といったことが、関心のコアにあります。
今のところ、レンブラント様式やベートーヴェン様式の再生とか
例の、風景の中に犬の顔がやたら反復されるような絵画とか、
あのレベルの創作は、従来の人間的美学の内部でのヴァリアントにすぎない。
その範囲内で、レンブラント様式のAI絵画は、十分に高度なものとなっているし
(美術の専門家筋はバカにしている人が多いのだけどw)
グーグル絵画も「ゲテモノ」の範囲とは言え、いわゆる悪趣味美学の面白い例ではあるけれど、
何より今の限界は、
プログラマーたちの初期設定が、あの範囲にAIの創造性を限定していること。
つまり、AI君にとっての 親や教師であるプログラマーたち
(AIにとっての母や父という他者 ラカン語法で言う 想像的他者と象徴的他者など)の美的素養が、
AI君の制約になっている…。
以下、今日は、これから深夜までまったく時間が取れないので、明日以降に。^^
少し無駄話をします。
わたしはここでは、誰に対しても、
「一瞬で失う可能性がある相手」
「失って損傷を受けないよう備えるべき相手」
「詮索せざるべき相手」
と認識することを鉄則としています。
それは時に他害に働くかもしれませんが、わたしなりのフェアネスであり、
わたしはそれを前提として、時には明言しておつきあいをします。
(繊細な感受性を見受ける方相手にはじゅうぶんな前置きをしますが、
言わねばならないシーンがときにあります)
ご指摘の部分は、
詮索意思はなく、できればニコッと内で関係を完結させる気である、という良識提示のアナウンスです。
わたしは、おそらくですが、下記ふたつのコメントに際して、初めて非常な感銘を受けています。
話法を最大限、ロワゾーにあわせて工夫いただきました。
響くのが遅くて申し訳ありませんが、対話の席に戻らせていただきます。
高貴で洗練された言説にこうべを垂れます。
貴コメントすべてを読み返し、ご質問に回答し、
わたしの本来の疑問点へ、トピックを持っていく努力をします。
先に提示しますが、要点はこのようなものです。
現時点で先にお答えくださってもけっこうですし、わたしの回答をお待ちくださってもけっこうです。
AIにおいて、
「あなたは大衆相手の、素人相手のひきだし役を、このさき企図なさっているのか」
「それとも、自分野ベースの新理論を展開なさろうとしているのか」
AIやその美学などに関し、テクネーがまるで無関与とも、専門テクネーを無視して良いなどとも
ヒトコトも言っていません。
ただ、たとえば、絵画の美的享受に関して、その美的享受の経験には、
創作過程のテクネーの知は、十分条件でないどころか必要条件でもない!と言っただけのことです。
たとえば、現代美術では、インスタレーションというスタイルがあります。
様々な事物を空間に配したり、自然の情景に何かの操作を加える、その技法も主題も、非限定的なもの。
そのインスタレーションは、今ではあちらこちらのアートイヴェントで、千差万別の展開がされている。
しかし、それを実現するテクネーもまた、それこそ千差万別。
庭師のような手法から、彫刻の変異形、あるいは建築的技法から、さらにハイテクな光学的手法、
そこに身体パフォーマンスも絡めたり、場合によっては、フツウの絵画や音楽や映画も絡む。
それを、味わったり、それを、美術史や美学や文化論など様々な観点から批評したり、
そうした経験や行為にとって、その千差万別のテクネーに精通するなど不可能なのは当然、
美術家たち自身でさえ、互いに、異質なインスタレーションのテクネーなど、入り込みえません。
あるいは、古典的芸術でも、交響曲の鑑賞にも評価にも、奏法や音楽学の専門知など不必要。
それがあれば、「それを持った観点」からの鑑賞や批評という、それも一つの個性的経験ができる、
というだけのことです。
詩蘭が、今、AIの美的展開に関わっているのは、
AIの創作や表現が、美学的・芸術哲学学的観点から、どのように新たな興味深い問題を示すか?
そして、そうした創作や表現者たちのパラダイムに、美学的・芸術哲学学的観点から、
その不足点や欠落を指摘し補い、
他方、こちらは、彼らの試みから当たらな素材を提供され、
そこから 新たな知見を展開する
そうした 当初から何も限界を与えない それゆえ、相手の欠落は、難じるのではなく補完しあう
そうした役割なのです。
ここでも、互いのマウンティングこそ 最悪手です。
まず、「お気にさわらないと…」とわざわざ自分で書いている部分 こそ、典型的。
「あなたのご正体に関心はありません。FBも拝見しないと思います。」
このような語りこそ、自分では攻撃的なつもりでなくとも、
まだ、その相手の内容を対して知りもしないのに、 そしてもし十分な交流を経て深く親しんだならなおのこと
相手に対する敬意をまったく欠落させた それゆえ 相手に対して不快感を与えるマウンティング語法です。
そうした表現が、他者を害し、結果、遡及的に自分自身を傷つける、
そうした言語行為のポリティクスへの感度が、ロワさんはあまりに弱すぎる!
自分でそのつもりがなくとも、その行為は 自分の意識を裏切った行為を発揮してしまう。
ちなみに、ラカンの精神分析学の核心は、この意味での「無意識」の活動の解明にあります。
(ソーカルらのラカン批判が、…その衒学性への批判は一面の正しさがあっても…届いていない点です)
★
永井など読む前に、内田樹の『呪いの時代』あたりを しっかりと読んでみてください。
かつて、日本のポストモダン・シーンを牽引した浅田彰や柄谷行人といった人々が、
自らの知的優位性とその権威によって、自分たちの気に入らない他者を即座に評定し、
そのことで、結果、彼らは、日本のポストモダン文化の広がりを、
彼らの知的グループの村的共同性に閉じてしまったその発話様式を、呪いの言説と捉え返しています。
(その際、その内田の言説自体が、もう一段、メタな呪いとしても機能してしまう点が、
発話行為というものの、他者への働きかけのもっとも難しい問題ですが…。
発話行為論などの思弁が、リアルに切実な現実に関わる場面ですね)
★
そしてさらに、「ロワゾーのような未熟者が…云々」の箇所、これなども
詩蘭のことを気にかける以前に、君自身の弱点が、ハッキリと露呈しています。
詩蘭は、そんな風に開き直る「ロワゾー」など どうでもいい。勝手にどこかに行ってしまえ!
で、オシマイです。 どこかの穴ぼこの中に埋もれてしまえ! です。
詩蘭が これほどの長時間と労力をかけたのは、そして今もかけているのは、
それではない 別の<ロワゾー>の潜在的可能性を、今までの付き合いで感じているからです!
現時点でおこなえる最大限真摯な姿勢だったのですが、困惑しています。
以下もシンプルにまとめようとしただけで、わたしは好戦性を発露した気はありません。
勝ち負けなんて不毛ですし興味もない。
有益な対話というものにあたって、相手に上からあたらない、
ということはわたしは大事にしていますし、
当初のは突然剣をつきつけてみるような悪ふざけですし、
下記そう解釈されるとなると、頭をかかえます。
今も、困ったな、合わないな、といった感慨をいだいています。
わたしはどうも知的にも精神的にもご期待にそえる人間ではないようです。
今はあなたの評論を見返してじっくりとお答えする意思が湧きません。
たいへん申し訳ありません。重ねて、ご指導ありがとうございました。
日本でめぼしい人工知能芸術関連の学術誌を探している途中、
あなたの携わっているであろう研究機関を発見はしましたが、
あなたのご正体に関心はありません。FBも拝見しないと思います。
この表現がお気にさわらないといいのですが…
ご心配くださってありがとうございました。
次にロワゾーのような未熟者が現れた際、お気がかりでご指導をされたく思われた際、
そのアプローチでは影響力がない旨、データベースに蓄積いただけるとさいわいです。
追い払うには効果的です。
いつかわたしがあなたにとってましな感じになったとき、
またご挨拶にあがることもあるかもしれません。
お時間ありがとうございました。いかようにでも非難いただいてかまいません。妥当です。
しかし、内容は、こちらと重複していたので、申し訳ありませんが、削除させていただきました。
ロワちゃんが言うように、前板でのヤリトリ 初めの方は、コチラでも これで通じないのなら…
と、論題も、語法も様々に変えて、様々な方向から問いかけました
(その過程で、ネコちゃんが指摘した語法も、ある一つの段階での、同意要請語法として使いましたが、
それは 失敗だったようですね。
そのように、失敗があれば、また、別の角度から…と、様々に努力しました。
今月の ネット上で費やした時間と労力は、間違いなく ロワちゃんに対するものが群を抜いています。
それだけ、ロわちゃんのことが気がかりで、良いコミュニケーションを築きたいと試みていた…
という その意志だけは、受け止めてください。
で、繰り返せば、どっちが勝つか負けるか、そんな対話をしたいのでは 全くない!
もし、君が、それを求めているなら、そんな対話は、そもそも「対-話」ではないので、詩蘭は降ります。
美術でもビジネスでも、そうした対人関係は大っ嫌いです。
詩蘭は、負けん気は強いですが、それは あくまで互いに楽しめるゲームである限り!
負けても、その負けが スカッとする、そうした舞台での勝負は大好きです。
そして、そうしたところでの良い負けは、とても次の挑戦への励みにもなるし、
そうした舞台で、素敵な勝ちも負けも、色々経験しました。
しかし、対話というゲームでは、話題についての 真偽を問う…というような舞台がしっかり設えられない限り、
その楽しさは 出現しない。
それが整う前の段階での 相手に対する断定的な評定 は、
何度も繰り返したように 他者を拒絶することとなり、他者とのゲームである対話ゲームが作れませんものね。
以上、何度も言ったことを、もう一度、別の形で再確認します。
その上で、後で (明日以降になるかも) 内容に、
下でロワちゃんが言った そして 前のコメレスですでに詩蘭は一つの応えを出した
芸術的な経験と、そのテクネーの問題について、ロワちゃんの誤解と思える点も含め、お応えします。
そういう手合は、美術界でも他の領域…君の言うビジネス系でも よく見ました。
そして、若い頃は、その手の相手で、
かつ 何より権威主義(ジャンルや学統や名士やら依拠対象が何であれ)的な振る舞いは、容赦しなかった。
今ではしかし、すでに詩蘭の正体を知っているのなら、FBでいただくコメにもあるように、
特殊な相手以外には、とても寛容ということで通っていますw
これは、自慢でも何でもなく、その方が、何より自分自身にとって楽しい…
という自己愛に基づく寛容の倫理です。
ロワちゃんに何より気がかりなのは、この意味で、君の態度が、自己否定的であることです。
君の その まずマウンティングは外さない!という態度は、他者の反感を買うのは当然として、
結果、君自身に対する相手の否定的な態度を 強く呼び覚ましてしまう。
何しろ、温厚で知られる詩蘭にさえ、困ったもんだ と思わせるのだからwすごい。
フェイスブックで先日、元新聞記者というジイさんを一人、打擲しました。
彼は、多くのFB友の投稿に対し、それが自分の見解に近いにもかかわらず、ある種のズレを認めると、
まず、内容を問いかけたりせず、「オマエのその意見はXXだ!」と一方的に決めつける。
あまりに度を越していたので、そして大人しい友人はそれで萎縮してしまっていたので、打擲しました。
その他、ここ数年の間、数人のネトウヨちゃんは叱り飛ばしたり、懐柔し、
その内の一人のオネエサンは、今では永井哲学の読書会に出たり、憲法改正反対署名するほど
改心してくれましたが、彼女とは、出会った時の闘争は、もうすでに楽しい昔話。
そうしたエピソードはともあれ、詩蘭がロワちゃんに最初から求めていたのは、
アナタが、詩蘭の最初の ごくわずかな応答から、詩蘭のAIに対する態度や考えを決めつけていたこと、
そして、下のコメでも、それが少しも変わっていないこと、
加えて、こちらが求めた問いには、応えてくれず、
下のように、まだ、問題の内容への見解を ふたりとも出していないのに、
賛否を要求すること…
以上です。
賛否や是非は、十分に互いの考えやセンスを提示し合い、
その背景も含めて 確認し合った上でなければ 不毛です。
その点を、何度も繰り返しているのです。
論旨については足つっこんだ責任ということで資料化させていただきましょうか。
今多忙ですので、週一ペースくらいになるのはお許しいただけますか。
◆ わたしはあなたに、全分野専門家になるべき、とはそもそも言っていない。
◆ 異分野同士の否定から入らない問いかけ合いの交流については大変賛同する。
◆ さきの態度は大御所を試す若造の何かっぽいものである。(げんこつどうぞ)
というところは、まずシェアしていただきたい。
わたしの側だけじゃなく誤解があるのではないかな、と思うのですよ。
そして、わたしにとってあなたの話法は率直に、要点がちらかっているシーンもあってストレスフルです。
ビジネス界でこういうやつはけっこう多いのじゃないかと思います。
わたしと似た(けれどわたしより口悪いしわたしにも容赦しない)AI現場のプロマネに見せて、
あんまり好評じゃありませんでした。哲学も好きなやつです。
ここは、わたしに説教するついでに、少し考えていただけると、一ファンとしてはうれしいです。
わたしの最初の一投二投のまずさについても、よく承知しています。
謝罪コメントでも書かせていただきました。
もう何だか覚悟しましたので、年明けに週一ベースでも丁寧にお話させていただきたいと思います。
ここでのレスは、年を越してからになっちゃうかもしれません。
一点、先に言えば、下のロワちゃんもコメも、
先の 意識問題で AI問題が出た当初からの、詩蘭の考えに対する一方的な誤解です。
詩蘭は、そのようなことを言っているのではないのです。
ロワちゃんが なぜ誤解するのは、不思議なのですが、そこも含め、レスは後で。
ゆっくり言葉を選びながら、それでも礼を失していないか悩みつつのメッセージになりますが。
あなたのご主張も、そのベースも、承知しています。
さらにいえば、わたしは貴分野でいえば、絵筆を握ってみつつ美学哲学考察をするタイプです。
先に「これは不要」ということはいっさいしない。
さわってみて、これとこれとこれを深めるとこういう論ができる、というアプローチをします。
ビジネスで言えば、あなたは高度分業とエキスパートチーム制の思想。
わたしはエキスパートメンバーが実際何をしているか勘とイメージを形成しようとする。
より融合的に、話を早くするために、それぞれのを少しは理解しようとしつつ、
当然自身を有効に最大に機能させるべく、フィールドワークする。
好みの違いだと思いますよ。そのご姿勢もよいかと思います。
われらのうちいずれのルートでも、ただ実績で評価されればよいのですから。
同時に、わたしは、対等な論友として話をするには
この方は説き聞かせ姿勢だな、では退いておこうか、と思う。
師事して拝聴する姿勢をおこなうには、あなたに対して、
獣が獣を認めるような、ナチュラルな敬意が、まだわかない。
罵りと嘲りの言葉を発した時点で、あなたはわたしと同レベルであり、
わたしが仰ぐ師としたい、モデルケースでは、なくなってしまった。
わたしはあの期間寝不足にはなりませんでした。ただ静かでした。
ゆっくりと見守っています。ご活躍を心から祈っています。きっとご活躍される方でしょう。
あはは…リノッチちゃんといっしょのトコへw
というわけなんです(^^;
お嫁さんって書いてもらっちゃったからw これは言っておかないと と……
そっかミナコさんこそ お嫁さんだったんですね^^
「けどここでは…」ってw そうなんですよねw
サブキャラで♂バージョンもいるのだけどw
ニコで 彼女探し してるわけじゃないし
コッチの方が 友だちたちも気楽に付き合ってくれて、
ガールズトークにも混ぜてくれるからwww
でも 逆にそのせいで、去年は おっかない女の争い ? にも巻き込まれてしまったのですけど(^^;
ここのコメ、マイ奥さんのネコちゃんと 信頼できるリノッチちゃんだけしか書いてないので、
ミナコさんがかまわなければ、残しておいてもよいのですが、
削除した方がよければ、このヤリトリだけ、明日にでも削除いたします。
こちらこそ よろしく(^^♪
写真見ました!本人?!と思って、思わずじぃぃーーーっと見ちゃったワ。
でもやっぱりそうみたいですね!(@_@;)ウツクシ。。
まだまだ初対面のminaに大事なこと教えてくれてありがとう♪
またブログ時間のあるときにじっくり読みますね!
minaもニコタブログでは公表してないですが、実は既婚者ですw
けどここではあえて最初から言わない方が色んな人とかかわれるかなぁと思って
あえてふせてます。(*´-`*)
年齢層幅広いし色んな人と話すのは、なによりも有益だと思ってるので。
その中で仲良くなって深くお話できた人にはちゃんと言ってるんだけどね^^
なので、このコメントは読んだら削除してください(*- -)(*_ _)ペコリ
これからもどうぞよろしく♪^^
あはは…ごめんなさ~いm(__)m ここ 一瞬 最新ブログかと思って どき~っ❣っとしたwww
モロに言われちゃってるからw でも ここなら大丈夫ですね♫
下に書いているネコ衛門ちゃんが 詩蘭のパートナーさんですからw
で、「女の子の考えとは掛け離れているなぁ」ってw そうそう
別に分かる人には分かってもかまわないし~って思ってブログも書いていたのだけど、
ほとんどの人は 「そんな女の人もいるのだろう…」って好意的に(?w)思ってくれたようでw
ハッキリ見破ったらしいのは、今まで一人だけのようでした(^^♪
7号wね~w 身長は167~8あるのだけど、
同じもん食べてると自分だけデブっちゃうだろ! って 奥様に叱られてます(^^;
肉 つかないんだよ~;; 子供時代はチビだったし、ずーっとコンプレックスでしたw
ともあれ 失礼者はボクの方ですので(普段の一人称w) お気にされないでくださいm(__)m
こちらこそ これからも よろしく仲良くしていただけるよう お願いいたします❤
こちらへ、失礼します^^
(読まれた後、消されても結構ですー><)
ブログへのメッセージ、ありがとうございました!
本当に今まで女性と思っていましたよ!!!
しかも、あの写真べっぴんさんだったので・・・(;´▽`A``
たまに、ブログを拝見して、女の子の考えとは掛け離れているなぁ。
でも、そんな女性もいるし・・・とは、思っていました^^;
勘違いしていて、ごめんなさいm(_ _ )m
貴重なお話をして頂き、ありがとうございました。
思い込み・勘違いの失礼者ですが、これからも、よろしくお願いしますねo(〃^▽^〃)o
追伸 : 服のサイズ7号が入るとはっΣ(゚д゚;) 羨ましいなぁ~と思いながら、読ませてもらいましたww
やることありそうななさそうな微妙なバランスがいいよね
あんまりいろんなことできすぎると
全部やらなきゃって忙しいし…
そこのバランスを手探りしてる感じが
とてもいい♡