吉春と語らう伝言板
- カテゴリ:伝言板
- 2017/09/26 17:59:13
龍田山からの便りがあった。
言の葉を、留め置く場所を確保せよ
とのお告げである。
区分け
・戦国に関すること
・犬和歌に関すること
・吉春へのいちゃもん(もう来るな、など)
・その他徒然なるままに
突然巡業の旅に出て、そのまま戻らぬことも
その際は、お許し下され
龍田山からの便りがあった。
言の葉を、留め置く場所を確保せよ
とのお告げである。
区分け
・戦国に関すること
・犬和歌に関すること
・吉春へのいちゃもん(もう来るな、など)
・その他徒然なるままに
突然巡業の旅に出て、そのまま戻らぬことも
その際は、お許し下され
かぜのまに すべりおりたる さくらばの
むしのあなさえ あきのものうげ
コスモスの花は綺麗でしたか^^
そろそろこの掲示板が一杯になってしまいますが
お次は何処にコメントをさせて戴きましょうか?
吉春さんの涙を誘う事が出来ましたか?
秋は物想いや不安感を駆り立てる季節かと思います。
ひとりとて うみ つき はなを ともにして
ながるるときを すごしいやさん
吉春さんの夢にも出てきましたか。
陽炎は、実は別の次元の世界のものかもしれませんね。
科学的根拠は有るのですが
そう思えてなりません。
私とは異なる世界の侘しさです。
もうすぐですよ、甘い柿が手に入るのは。
どのくらいいらっしゃるでしょう。
けれども、吉春さんのコメントから
「伝わった」と私は感じました。
共感して戴けたことに感謝しています。
磨き続けていた訳では無いのです。
15年前後のブランクを経て
此方にて、言葉を綴る悦びを思い出しました。
私に欠けているもの
神様に補って戴けているのでしたら
これ以上の感謝は有りません。
有難う御座いました^^
>私は私を知って欲しくてこの作品を書きました。
>吉春さんに伝わったことを嬉しく思っています。
ゆうなさんの真意が受け取れたかどうかは、自身がありません。
どうでしょう、ふと考えてみたら自分の考えている事、伝えたい思い、
それをはっきり自覚し、かつ、伝えるすべを知っている人は稀でしょう。
私は思うんです、何かが欠けていたら、神様は何かで補ってくれる。
言い方は失礼かもしれませんが、ゆうなさんにはそれが備わっている。
きっと今までそれを磨き続けてきたのですね。
私にはそんな気がしてならないです。
神様が補ってくれた何かが、私に語り掛けてくる。
優しく磨き上げられた、言霊の輝きで包み込むように何かを……
いつも大げさな吉春でした。
私は私を知って欲しくてこの作品を書きました。
けれども、読み返してみますと
余計に分からなくなる、そういった物でした。
吉春さんに伝わったことを嬉しく思っています。
「ころころと」にコメントを有難う御座います。
届け 勇気!
いまはただ ものおもいにて うたをよむ
ははにいだかれ ふるさとにだかれ
私は舵の無い船に乗っています。
日に拠りまして、心のざわめきも変わりますので
この詩を書いたときには、少し落ち着いていた頃なのでしょう。
今は、心がざわめいておりまして、
自分の書いている文章がまともなのかどうかも分かりません。
「淋しくて」にコメントを有難う御座います。
いえいえ、とても染み入る言葉でした。
夢は手放したくありません。
その夢がの先が悪夢でありましても
今は懐疑的になりつつもオアシスを目指しています。
目もほそむこがれし里の山川に
笑顔まぶしき夏の想い出
何も考えず、あんなにも無邪気になれる事は、もう無いのかもしれない
コメントありがとう
吉春さんにも「あの夏」があったのですね。
もどらぬと おもいこがれし あのなつの
しろさはくもか まぶしさのひか
お調子者又はピエロと言われる方は
淋しさの代わりに、お道化るのでしょう。
心の底には、ゆらりと揺れる底の見えない淵があるのでしょう。
過ぎ去ったときは変わらないものなのですね。
想い出の中にこそ、「変わらぬもの」があるのでしょうか。
「飛び立つしぎ」と喩える処が吉春さんですね。
秋ですね。
秋なのに。
この猛暑は何でしょう 泣
しぎの行く 姿に涙こぼすなら
焼かれてもいい 夏終わらせず
この時期の月にも色々と名前があるようですね
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0135.htm
>屈折した光が虹の羽衣を織ったのでしょうか
きっとそうだと思います。
癒される時はきっと、待つ人からの連絡がある時でしょう。
若しくは新しい恋を・・・?
>人知れず今宵ものぞくまつの景
> せめてそぼ降る月にぞ濡れな
誰にも知られずに今宵も「あの人」を待っている景色を見続けるのですね。
そして、今宵も私はこの世からひとり取り残されているのですね。
せめて雨のように降りかかる月の光に癒されていたいものです。
昔読んだ小説ですが
幼馴染が求婚しているにもかかわらず
承諾をしない女性の話がありました。
きっかけが掴めないのですね。
ある日、桜が満開になった庭を見て
女性は「桜が満開ですよ、貴方も観にいらしては?」と
歌を詠んで送ります。
男性は「私も花盛り、ちょうど良い年頃にもなりましたので
結婚をお受けいたします」と読み取りました、とのこと。
平安の時代の歌を少しばかり知っている程度の私ですが
この時代の言葉遊びが大好きです。
コメント返しありがとうございます
>かけ言葉が好きですね^^
はい! と言うより写実派より印象派的な感じですね
私がしばし使う「言の葉の師匠」とは、現職を退いて久しい高校の教員だったのです。
伝説の逸話として、辞書を何冊も買い込み読破しては間違いを投稿する。
言語学者と言う言葉が正しいならそういうお方です。
ある時私は、三十一文字に二つも三つも意味の取れる歌を詠みたいと言うと
それなら漢字を当てないことだ。同じ読みには原始的な言語が隠されていると。
たとえば「かさ」をだして「かさふた」「かさねる」「かさをさす」漢字を
当てるのはさほど難しくないでしょう。そして共通点が見えていると思います。
それゆえご指摘のかけ言葉遊びがお気に入りなのです。
そして一見して写実的に詠まれた向こう側に、真意を込める技術も学んでいるとも言えます。
昔、比喩と隠喩の狭間の話もしましたね。もしかしたら、平安の恋歌はうわべの奥に
真意を込めて贈った気がしてなりません。日本人の奥ゆかしさと言うか、恥じらいと言うか
気遣いなのかもしれません。
もっと言い換えると、印象派は受け取る人に自由度を与えそれぞれの物語を紡いで戴くことを
旨としているのかもしれません。ある意味ゆうなさんと私の共通点なのでしょうか。
流れるような美しい言の葉にそのような思いを込めて詠めたら最高です。
おぼつかない私の歌に、そんな思いのある事に気付いてくれるゆうなさんに感謝です。
>声を上げ黄昏近し薄野で
> 幾歳月を歩みよらむと
どれだけの年月が経ったとしても
どれだけの障害があったとしても
あの頃の記憶は色褪せることなく
幼き日々の想いの侭で在るようですね。
もしも、相手の様相が様変わりしていても
きっと、話をしている内に
変わらぬ想いを確かめられるのでしょう。
>薄野は黄昏時がよく似合う
> おいでおいでと西の国から
はい 汗
丁寧にお断り致してください 汗
実は私は西の国の出・・・・・笑
「無題(仮)」にコメントを有難う御座います。
いい加減、タイトルを発表しなければ
ならないのですが 汗
『でも、やっちまうんです』
却下前提で提案しているのでしょう?笑
>あいはこい花もよいしる撫子の
> 夢躍るのが人のいく道
かけ言葉が好きですね^^
私にはなかなかできない事ですから
羨ましいと思ってしまいます。
「愛は恋」「酔いしる」「生く道」と捉えまして
愛や恋の様に花も酔いしるのでしょうね
花のような撫子の女(ひと)よ
愛や恋の夢を見ながら生きて下さい。
また、「藍は濃い」「宵知る」「幾道」と捉えまして
藍色の濃くなった宵の内に美しい撫子の様な女(ひと)よ
夢を見て心を躍らせているのでしょうか
幾つものお話を読みふける様に。
他にも色々と読めそうです^^
「陽の傾く頃」にコメントを有難う御座います。
本当に、そのものですね。
可愛らしい猫の寝顔は本当に悩みがなさそうで
癒されます。
それなりの年月を生きて来たその猫は
何時までも若々しく見えて
羨ましいものです。
それに比べて・・・
ほぅと吐息を吐いてしまうのは
女性ならではの性でしょうか 汗
あの場所は「読んだら消します」ですから、
削除させて戴きましたが
書かれた内容は保存されていますので
ご安心ください? 苦笑
泥沼を避けようとした事はきっと事実でしょう。
気が合わない時には、離れる事も
重要な選択肢と思っています。
誰かに聞いてもらう事も出来ず
もやもやした気持ちで
過ごされていらっしゃるのではないかと
心配しておりました。
> 風うなり雨音つよく乱れても
> 夜明けの頃に美空の覗く
今回の台風とかけて吉春さんの心情が
描かれていますね。
けれども、下の句のように
まだ、「夜明け」を待つ心が有るのでしたら
どうか、作品をUPしてくださいね。
さて、少々私事を話させて戴きます。
私は自分の島で作品についてのコメントを
返さないというスタイルを貫いています。
自分の事を話さない代わりに
書いた作品を読んで下さった皆様の
心を戴いています。
その為、複数の解釈が生まれてくることが有ります。
それで善しとしているのです。
私の綴った文字列で、誰かの心が動く事
そこに重きを置いています。
ですから、其々のコメントにお返事を書きますと
どうしても矛盾が生じてしまうのです。
そういう事態を避ける為に、
コメントをくださった方の島に行き
御礼を申し上げています。
中には、かなり勘違いされてコメントを
残される方もいらっしゃいます。
それでも、その方がそう思ったのでしたら
私はその方の気持ちを戴こうと思っています。
私の作品の解釈には正誤は有りません。
ですから、否定もしません。
肯定するのみです。
吉春さんは彼のコメントを気にする必要はありません。
思うが侭に、書いて下さいね^^
また、コメントに対するお礼を書きに参ります^^
>吉春さんさえよければ、申請してもよろしいでしょうか?
お待ちしております。
できれば、才能ある方に私の駄文(小説)を読んで御指南戴きたく思っております。
まあ! 何言ってんのかわかんね~とか、突っ込みが欲しいだけなのですが。
気が向いたらお願いします。 まだ書いてないけど・・・ 汗
お友達申請をONにしておきますと
いきなりの申請が何度か来まして 汗
お断りできない性質ですので
今は、お友達OFFにしております。
吉春さんさえよければ、申請してもよろしいでしょうか?
お友達専用伝言板が有るのみですが 苦笑
お心の乱れる内容、少々拝見させて戴いておりました。
触れない方が良いかと思い、吉春さんをお待ちしておりました。
FF14を満喫することに飽きましたら
また、おいでくださいね^^
お待ちしております。
>私の島には来辛くなりましたか?
一月ほど前に、心乱れる事がありまして歌が詠めなくなりました。
心を無にして、書き込まれた文から世界を構築するわけですが……
おっと、まっさか大げさな表現になってしまった。 汗
つうわけで、FF14を満喫していたのです。
ところで、£ゆうなさんはお友達申請おことわりんぐなのですね。押してみました 汗
話は変わりますが、歴史小説(大河ドラマ)を書くことを夢に抱いております。
歌を詠むことは、そのための表現方法を養う手段です。
今のところ、私の進みたい道は他にありません。
歴史を学んでその世界が見えて来ても、それを伝える力が無いのが残念です。
想像力だけは、自信があるのですが……
それではまた、良き言の葉と供にありますように
吉春さんは、吉春さんの進みたい道を進んで欲しいと
思っています。
私の島には来辛くなりましたか?
私は、吉春さんの歌もお待ちしています。
コメントに戴いた歌を投稿される事、光栄に思っています^^
>「道」は仙の花に辿り着く迄の道と
>悟りを開く迄の「道」の両方を意味しているのでしょう。
仰せの通りです。
おおよそ吉春の考えそうなことはご理解いただけるようで何よりです。
ところで、この度県の文学コンクールに短歌を投稿しようと考えております。
作品はゆうなさんへコメントさせていただいた短歌を考えております。
募集要項に30首とあり、楽勝でありますので同意いただけると嬉しいです。
やっぱり、元の詩が良いと出来の良い歌(当社比)が詠めるのかなと思います。
お返事いただければ幸いです。
「道」は仙の花に辿り着く迄の道と
悟りを開く迄の「道」の両方を意味しているのでしょう。
仙の花を見つける頃には、迷いも消えて
心も穏やかになっていることでしょう^^
もう、息子は一人で歩き始めているのですけれども
ふと思い出して、書いてみました。
四の五の言わず、吉春さんの三十一文字を
心に据え置けば、いつか自分を許せるようになるでしょうか
「森の妖精さん」を「森のくまさん」と勘違いしてしまいまして
「森のくまさん」の曲に乗せて歌ってみました 汗
もちろん、曲には乗りませんでした。
未だ、酔い醒めやらずのようです 汗
吉春さんの詩の1連目には
私がわざと書き記さなかったことが書いてありまして
驚きました。
この梅雨の時期、塞ぎ気味になってしまいますね
けれども、美しく温かいものにも目を向けて行きたいものです。
君の見る 夢にぞ明日の 来たれりと
立ち止まる背を そっと支えて
吉春さんには自分が見えましたか。
出来もしない、叶う筈もない等と仰らず
立ち止まり、歩んだりを続けてくださいね。
「一歩」
前に出てはいけないのですか。
そう言われますと、思わず足が 笑
下半身が涼しい・・・・・
下着を穿き忘れたのでしょうか!
それ以上は自重致します 笑
「お人形」
そうですね。妹さんは本当は幸せな筈なのです。
けれども、ちやほやされるお姉さんが羨ましくてたまらない。
大事なお人形を持っているお姉さんは、
なぜお人形遊びばかりなのでしょう。
妹さんは、そのことに我儘を言わず
羨ましがるだけなのは何故でしょう。
「忘れ得ぬかな」善き響きです。
美しい歌をいつも有難う御座います。
>忘れぬるかな
ネットで調べると
わすれぬるなめり(忘れてしまったのでしょう)と伊勢物語を引用して解説しています。
どうも「忘れぬる」「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形(連用形接続から判断)とあり
もしかしたら単純に現代では「忘れる」と「ぬ」抜いて使うようになったのかもしれませんね。
つうことは「忘れぬるかな」は「忘れてしまうのかな」と言うニュアンスになると思われます。
薔薇の華やぎをお借りして、私の見えた光景を詠んでみますと
束の間の 花の盛りも 艶やかに
忘れ得ぬかな 薔薇の華やぎ
ここんな感じでしょうか
コメント返し、ありがとうございました
コメントを有難う御座います。
リア充なのは花嫁様。
花嫁様には、出来るだけ長い間幸せでいて欲しいですね。
幸せを願う事、それだけの気持ちの余裕が持てる事が
廻って来たときに気付ける要素だと思います。
盛りとは 短きものと 思いしや
薔薇の華やぎ 忘れぬるかな
(忘れない はこの言い方で合っているでしょうか?)
いつも有難う御座います^^
われの染めにし 時雨の美空
そういう事ってあるよね
結局自分の描いた色に見て貰えてるか知りたいみたいな。
印象からくる事象を、自分の人生から総ざらいしてカンバスに描く。
同じ歌でも自身の心情が違うと違う色に見えて来る事はしばしばだと思う。
出来たたら読者さんと同じ虹の空を見たいですよね。
実は、皆様がコメントを書かれることで
私は読み手さんの心を読んでいるのかもしれませんよ^^
不如帰の逸話は知りませんでした。
吉春さんの歌を読み返してみますと
とても切ないものですね。
古民家へのコメントお返しありがとうございます
色々な方の歌や詩を拝見させて戴いておりますが、
飲み込み切れずに言の葉に載せて吐き出されたものは良く響きます。
前にこのような歌を詠みました
言の葉の 比喩と隠喩の 狹間には
何とはなしに 心のおもふ
飲み込んだものを吐き出すのには、ある意味勇気がいります。
そこは日本人の奥ゆかしさとでも言うのでしょうか?
はっきりとはせず、遠回しに解かる人にだけ聞いて欲しい。
写実的でなく印象で物事を伝えること、例えると周波数で語る。
同調しなくては聞こえてきませんが、波に乗れば激しく伝わってきます。
多くの人に感じてもらえる周波数で語るにはどうしたものか何時も葛藤しています。
なら写実的に行けよ、となるのですが何の変哲もないスマフォの写真に
誰が感動すると言うのでしょうか?写実的な傑作は偶然が付きものなのかと思います。
£ゆうなさんが涼しき風に浮かべた色は何色なのか、
その比喩と隠喩の狹間には何が見えるのか、興味があります。
詩の様子からすると、古民家の見てきた追憶が風の調べに乗って流れて行くのかな。
日常的な決定的瞬間をスマフォに収めるのも悪くはないですが
やはり言の葉を並べて美しく語ろうという試みは捨てがたいのです。
これからも美しい詩を楽しみにしております。
「傍らにて」へのコメントお返しありがとうございます
私は不如帰と言うと中国の故事や伝説をイメージしてしまう。
泣かぬならで始まる戦国三英傑で、
詠われているように泣くことは、望まれてはいない感じがする。
正岡子規の逸話にあるようにどうしても負のイメージが付きまとう。
死にたくない、故郷へ帰りたい、苦しい助けてくれ、その他。
私の歌では詠み人の心を代弁してくれる哀れな鳥として登場します。
言ってみると私の幼馴染のような気がしなくもない小動物なのです。
と言いうより、私自身のアバター(化身)なのかもしれません。
青も緑も、元は一緒ですね^^
今でも、「青信号」と言いつつ、緑を使っている所は多いと思います。
黒髪を「みどり髪」と捉えてもらえて嬉しい限りです。
「ほどけてなびく」とはまた、艶やかですね。
「傍らにて」
飲み込んだ後は、勢いを殺して
少しづつ吐き出していきたいものです。
ふるさとの
山からきこゆ
言霊か
けっきょけけきょと
不如帰の音
本歌取りというのでしょうか。
吉春さんの歌から、書かせて戴きました。
不如帰も、一所懸命に歌を詠んでいるようです^^
「気怠い日常に」
吉春さんの仰る「身動きが出来なかった多少の経験」は
「多少」という言葉で言い表せるものではないと思っています。
とても苦労されたことでしょう。
私は季節の変わり目になりますと
気怠さに身動きの取れなくなる日が多くなります。
ここの処、半日以上は寝て過ごしているでしょうか 苦笑
それでも、何かを標したくて
振り絞ったものが、この通りの重苦しい言葉でした 汗
ようこそいらっしゃいました
ついとながる と おもいひとつの
お借りして一首(ちと変えますけど)
まんてんの
そらに輝く
ふたつ星
想いはひとつ
永遠にむすばめ
二人はいつも仲良しでくるくる踊っているそうです。
ねがいぼし
ついとながるるそのなかに
おもいひとつの
われとわがきみ
二人で同じ願いの方が良いと思いました^^
元は「青は藍より出でて藍より青し」ですね^^
吉春さんの元には天からの声があったのですね!笑
↓ボカロ育ててください^^
楽しみにしています
コメントありがとう
>けれども、好きな曲に言葉を乗せるとはいい方法ですね。
>私にもできると嬉しいです^^
そうですね、私も勢いで2曲ほど替え歌やって見たけど後が続かない。
なんかこれじゃない感があって、握りつぶしてしまいました。
一番大事なのはイメージのシンクロではないのかな?
自身の語りたい思惟とそれから出たいくつかの言の葉、
これと曲のイメージが妙に合致すると、歌詞が沸いて来る感じ。
£ゆうなさんの詩を拝読して、和歌が沸き出て来るのに似ていますね。
いわば自分の描いた世界が広がってきて、
そこに流れる曲がベストマッチング、キタコレ感。
前から思っているんだけど、今感じてるこの感動をどうやって表現すればいいの? とか。
また私の中に和歌が湧き出るのは、作者とある部分シンクロしているんですねきっと。
しかし、犬夜叉 ED2「深い森」 から
どうやって『飛び方を忘れた鳥ならば~』の詩が生まれたのか興味あります。
いずれにせよ、そこから得た歌なら曲に乗るのではないでしょうか?
これからボーカロイドを引っ張り出そうと画策してるので、試してみようかな?
--冗談です。
私はアンパンマンの様に強くはありませんよ 苦笑
とても弱く、脆いのですから、沢山の心を抱えられません。
今回の詩は、恥ずかしながら犬夜叉を視聴しながら思いついたものです。
https://www.youtube.com/watch?v=xRgZiDcAO9g
犬夜叉 ED2「深い森」 です。
この殺生丸の寂し気な雰囲気に釣られました 照
私も歌詞を書こうと試みたことが数度ありますが
性質上、上手くいきません 汗 汗
けれども、好きな曲に言葉を乗せるとはいい方法ですね。
私にもできると嬉しいです^^
紫陽花を贈る時には「花言葉を添えて」と言われたことがあります。
「移り気」の花言葉の印象が大きすぎて
相手に誤解をさせかねないからだそうです 汗
花は黙しているようで、多弁なのでしょうね^^
それも、見る人の心次第なのでしょう。
つたえたき
おもいまどいて
黙すなら
きみにとどけよ
一輪の花
↓にてお褒めの言葉、有難う御座います。
私は吉春さんの歌が好きですよ^^
>流れを断ってしまいそうで逃げかえって参りました 汗
なんかそういう心配もありますよね、確かに。
私も、【詩・ポエム部門】の書き込みには躊躇しました。
この手の物は創作した経験がないからね。
それでも仲間に入りたい一心で、頑張って見ました。
それより£ゆうなさん
わたしのしじまの吐息に対して詠んでくれたのだと思いますが
すばらしいですね、あじわいぶかいです。
詠まれた£ゆうなさんが女性であるという認識からくるだけでなく
言の葉の装いにとても優雅な、やわらかい立ち振る舞いを感じます。
あ!ごめん。ちと、おおげさすぎたかも。でも私の歌と比べれば一目瞭然ですよね。
私も、ひらがなに相応しい言の葉を並べたいものです。
それと、流れを断ち切るのでなく、新風を吹き込むとお考えください。
話題が変わらないと、いつかは廃れちゃいますからね。
気が向いたら、お越しをお待ちしております。
ありがとうございました。
お薦めに従い、投稿しようと思いましたが
流れを断ってしまいそうで逃げかえって参りました 汗
いい流れができているのですね^^
ひとことの
漏れる吐息の
たゆとうか
しじまの内の
我が世ならでは
>吉春さんも、ひとり連歌(仮)を詠んでみますか?^^
やっぱ独りじゃつまらないよ
短歌は会話、人様の詠まれた歌にお返事をする。師匠の言葉です。
JK達が言葉を創造しているように
短歌での会話の中から、新しい表現としての分節(例:しじまのといき)が
生まれて、普遍的に詠み込まれることで7文字以上の意味を持つようになると思う。
私のイメージしたし「じまのといき」は
酔いしれて
しじまの果てに
降る桜
世の行く末の
吐息に濡れる
もとは
蒼旻堂様の『しじまの果ての 吐息かな』ですね。
夜更けにはらりと零れ落ちた花びらが、桜のついた溜め息に見えたというもの。
話が少しそれちゃったかも
いまサークル【明鏡止水】が少し賑わっています。
詩でも歌でも詠われると、何かしら連歌に似たレスポンスがあると思います。
カテゴリー小説・詩のコーナーは、ほぼコメントは無いですが、サークルなら
多少親近感があるので、お話が出来ると思います。歌や詩でね。
改めて、コメントを有難う御座います。
「春夏秋冬」は「ひとり連歌」というイメージで
遣らせて戴きました。
複数人ではないので「連歌」という枠には嵌りませんけれども、
・・・・・ぼっち寂しすぎます 泣
陰気になってしまうのは、根が暗いからです笑
吉春さんも、ひとり連歌(仮)を詠んでみますか?^^
>史実に基づいて書かれたものですよね?
そうですね、著名な歴史研究家のかかれた本から
自治体の出してる郷土の歴史書などから抜粋して年表に仕立てたものです
新しく古文書などが発見されると、歴史が塗り替えられちゃうんで大変なんです
調べていくうちに分かることは、郷土の歴史なんて誰も分かっちゃいないって事ですね
そこで、想像力を働かせて、勝手に歴史を解釈している所がたくさんあるんで
史実に基づいているかと聞かれると「だいたいやね」とお答えするほかありません
わからんのですと言うより説得力のある説を史実っぽく語った方が小説やドラマとしては
面白いかなと そう考えて、今こうして執筆力を上げるために日夜努力しているのであります
小説を書くならペンネームは、当初「棟治」と考えていたのだが、
言の葉の師匠の一字拝領して名字とし「岡 宗春」としようかなと考えています
「宗」の戦国連歌師の宗祇(そうぎ)や宗長(そうちょう)の宗ですね
普段の読みは「おか むねはる」ですが、歌人としては「おか そうしゅん」とか気取っっちゃう
二コタでは「なつめ よしはる」としてますけどね
夢だけはでかいんです……
成程、成程、吉春さんのイメージされたものが
見えるようです^^
けれども、②を先に出さず、①を書かれたという事は
当初①と思いながらも、なにか引っ掛かりを感じられたという事でしょうか。
そして、②に至ったと。
私は、私事を表に出しませんので、綴ったものは全て
「読み手さん」のものとして書いています。
ですから、思った儘を書いてくださいね。
楽しみにしています。
サイトを拝見いたしました。
難しかったです 汗
史実に基づいて書かれたものですよね?
「戦国ゲームを考える」はとても楽しく読ませて戴きました^^
>それにしても、「残りの人生」とはこれ如何に。
>まだまだ、先のある方と思っていますよ^^
なんか痛いところを突っ込まれちゃった感じですね
まだまだ人生諦めちゃあいないです
すこし謙虚になって「残りの人生」と書いてしまいました
『私の想いは荒船山の遥か彼方』
これが、小説を書こうと思ったり歌を詠もうと思ったり
はたまた戦国時代を学ぶきっかけとなっているのです
前にも紹介させていただいたかもですが、以前制作活動していたサイト↓
http://minowa1059.wiki.fc2.com/
私の夢の全てがここにあります
少し、言葉遊びをしてみました。
「相方に心をそえて」とは、また素敵な漢字ですね。
想いをのせた言の葉が、無事届くと良いですね。
「思い」と「想い」は、吉春さんと同様に使い分けています^^
それにしても、「残りの人生」とはこれ如何に。
まだまだ、先のある方と思っていますよ^^
↓コメントありがとね~
少しINしてみました。
何も書けない日々が続いています。
訪問してくださり、有難う御座います
私が詩歌を読んで心に描く場合、そこに詠み手が写っているか否かを見ます。
映っていなかったら、詠み手自身の見た場面とまずは思うでしょう。
映っていたら3人称(私貴方以外)を描いたか、詠み手自身を神視点で詠んだと見えるでしょう。
上手く伝えられないけど、誰が・何時・何所で・何を・見た場面なのかを考えて思い浮かべるのです。
あまり読まれた詩を詮索したら、お互い身も蓋もなくなるので止めておきましょう。
件の詩では、もはや声とは言えないその表現から、魂からのSOSが轟いてきます。
それは『ムンクの叫び』と取ってよいのでしょうか。
あれは、魂に押し寄せてきた叫び(リアル音声ではない)に思わず耳を塞いだみたいですね。
本当に声に出してしまったとしても違和感ありませんが。
ゆさぶられ
唸りをあげて
寄せて来る
波の音にぞ
砕けて散りぬ
そのような音が聞こえたなら、遠くから手を差し伸べましょう。
>分かってはいるけれどもやめられない~
わかります、たとえそれで身を持ち崩そうとも、それが人生です。
わたしは運よく、酒もタバコもギャンブルも止められました。
もし体に悪いからとか思うのであれば、その時が来れば止められます。
今は止めなくていいと思います。
わたしはそのように、能天気な俺宗教を信じております。
悩んだとて思うようにならない人生なのですから……
かってに思い込んでつまらんことをお話ししました。
飲んでもいない酔っぱらいの戯言と聞き捨てて戴けたら幸いです。
(これはノーカウントで)
そうですね。心神喪失状態にありました。
ネタバレしますと
>詠み手自身の事(心情)なら、現在形で詠んでいるとも思えるので、実況中継は無理、違和感あり。
この部分なのです。
心神喪失しないために、吐き出したと伝えるならおわかりでしょうか。
崖っぷりの中、藁をもすがる気持ちで
ひび割れた心が「音」になる前に吐き出したものだったと思います。
私は強くありません。
壊れる度に、何度もお休みをいただいています。
それは、この場所だけに限らず、リアルでの事でもあります。
>良き言の葉と共にあらんことを ⇐ ジェダイの騎士風に
残念です。スターウォーズは一編も見ていないのです!
ワインもウヰスキーも焼酎も少々呑み過ぎかもしれません。
分かってはいるけれどもやめられない~
ありがとうございます。
でも、深読みしすぎるととても頓珍漢なものになっちゃうんですよね。
それはそれで、文学において創造性に富んでいるとも言えるので
あながち悪い事でもないと、自画自賛しておきます。
ワインは薬になる程度でお願いします。
え! わかってるって? でしょうね、でもそれを言ってるのは
僕と君のどちらでしょうか、どっちでも同じことだけれど……
まずは、コメントを有難う御座います。
さて、酔っ払いがコメントを書きますよ。
失礼がありましたら、ご容赦ください。
(ワインをグラスに4杯飲んでいますからね。相当酔っていますよ笑)
よく読み取りましたね^^素晴らしいです♪
君と僕はライバルでありながら、内面にある葛藤です。
僕と君は、涙を流し、葛藤しながら進みます。
二人ともが「先頭」に立っていない事は確かでしょう。
追い付け追い抜けでもないのです。
お互いに、「持っていないもの」を欲しがっているのです。
私は若くはありませんから
若かりし頃の「君」に憧れを抱いているのかもしれません。
けれども「センセイノイウトオリ」
世間の枠からは外れたくないのです。
>早く元気になって詩を読みたいと、
>そんな思いばかりが雪のように積もって行くのです。
当たりすぎていて、詠みました私の方が恥ずかしくなるくらいです。
このような会話は、戦国期のお侍さんたちにとって常識であったようです。
桃山期になるとこれに茶の湯が加わるのはご存知の通りですね。
名のある武士はそれ故、文武両道と例えられたのでしょう。
私がお休みしているので(「ゆうぐれ」をわざと平仮名にしたのはそういう意味と取りました)
早く元気になって詩を読みたいと、そんな思いばかりが雪のように
積もって行くのです。
と読み取りましたのでお返事をさせて戴きました。
城攻めの暇つぶしに歌を詠む逸話は知りませんでした。
命がけの戦場とは思えないですね汗
「ゆうぐれの 詩も恋しく つもる雪」
「流れゆきては 吉兆の春」
私の言の葉の師匠がのたまうに、やまと歌(和歌)とは会話だ。
影物(自然の移ろい)に心を映して詠み、相手に伝えるのだと。
上にある上の句の五七五と、下の句七七が一対と成り一定の意味を成している。
そればかりか、会話になっていると私は感じます。(ゆうちゃんすご~い)
歌の意味をどう解釈するかは、読み手の想像に任せる他ないのですが。
私の戦国好きはご存知かもしれませんが、武将たちは戦場において味方の侍大将あてに
歌を詠んで送り付けると、さっそく返歌を持たせて返したという逸話が残っています。
重要な伝言を込めたのではなく、ただの城攻めの暇つぶしだったようです。
ありがとうございました。
「流れゆきては 吉兆の春」
コメントを沢山いただいていますがなかなか
書けなくて申し訳ないです。
頭を使うのですよね笑
体調がそこそこ戻りましたら(戻らなくても?)
必ず書かせて戴きますので
お待ちくださいませ^^
それならカギカッコじゃなくて
(お正月なのに、なにこれ変! あったかーい、くすくす)
で心の語りですね。
「秘め笑い」をググってみたけど残念ながら解説は無かったです。
一番近いのは「含み笑い」でしょうか?
これを開いて解釈すると「何かしら意味を込めて放つ笑い」と私は解釈します。
その意味とは笑われた相手にとって、おおよそ負のイメージとして届くでしょう。
真逆に「秘め笑い」は笑っている理由を知られたくない、笑っていることすら知られたくない。
そう言ったイメージがあります。
それゆえ「麗しく若い女性」「あどけない少女」「情熱的な女性」と例を挙げてみました。
けど、私吉春は夕納言様の詩は日ごろ目にしているので、上記のような秘め笑いではないのだろうと思いましたが容易には想像できませんでした。まあ、そこで廻る季節の中で、その移ろいを詠んだ詩など思い出して、我ながら良い詩を詠んだものだと自画自賛するのだが、そんな姿を見られるのも恥ずかしく秘め笑いをしたと想像したのです。
「お正月なのに、なにこれ変! あったかーい、あはははっ」的な笑いなら
くるくると廻る笑いを 虚ろに数え
四季も分からず 揺らりゆら
揺らぐ季節の 春(冬)日和
こんな感じならどうでしょう。恋心的な解釈は避けられるかなと。
◆「フフフッ」が確かに「含み笑い」的な解釈を誘引するので負のイメージのコメントに感じちゃいますね。ここはひとつ正に解釈して夕納言様を大変魅力的な女性に受け取ったって事で、男性の立場からもお願いしとうございます。
最後に、言の葉に関して非常に真剣なやり取りをして下さいまして感謝しています。特に女性が抱く感性について学びたく思っているのでうれしいです。私は此れから書こうとしている小説の女心をリアルに描きたいと考えているので勉強になります。
長々と返信失礼いたしました。
ご自愛くださいませ、それでは。
この伝言板の「2018/01/13 01:03」についてのレスポンスです。
あのブログの中で「彼の世と此の世」という言葉を使った事を
今は反省しています。
もう少し、「曖昧さ」加減に仕上げたかったのです。
語彙不足にて、ここだけはっきりさせてしまいましたので
違和感が残ってしまいました。
ちなみに、詠み人は特に決めていませんでしたが
「太鼓を叩きながら皆を見ている人」かもしれませんね^^
基本、私は読み手に想いを委ねます。
あまりにも「え?」と感じたコメントに対しては
私の描いたものが伝わらなかったのだと思うようにしています。
さて。吉春さんの描いた情景は、ほぼ私の想い描いたものと
一致しておりますので、安心しました。
「春麗」は使おうか迷った言葉です。
しっかり受け止めていただき、有難う御座います。
さて、問題の「秘め笑い」なのですが
時間も場所も分からなくなった私がその状況に「こっそりと笑う」と
そんな風に描いていたのでした。
今は春なのでしょうか、これから夏が来るのでしょうか
いえいえ、今は秋なのでしょうか?
思わず漏れた「笑み」それが、私の「秘め笑い」でした。
けれども、一般的には「恋」に結びつけてしまう事が
多いのでしょうか。
秘めた恋を想い笑むということもありだと思いましたが
凡さんのコメントがどうしても受け入れられませんでした。
「貴方を夢にまで想うゆうなさんの乙女心いいですね。(^ー^)
フッフッフッ。」
とても、不愉快な想像をされているように感じたのでした。
吉春さんは、このコメントに対しては何とも感じませんでしたか?
私だけでしょうか。
春麗
穏やかな陽に
「窓越しに、麗しい春の日差しが注いでくる」
夢現
今は何月何日と
「7草の内であるはずなのに、夢でも見ているのだろうか」
虚ろに数えて
秘め笑い
「いつの間にやら時をさかのぼり、思い出し笑いをする私」
四季も分からぬ 揺ら揺らと
揺らぐ季節の 冬日和
「室内は日差しを受けて季節が巡っている、私の体を揺らし(夢心地)ながら」
私の描いた情景を言葉にしてみました。以下に少々付け加えを。
詠み月が1/3なので、野外で『春麗』はあり得ないと判断し部屋に差し込んだ日差しと解釈した。
『秘め笑い』する詠み人は、書いて無くとも『£ゆうなさん』であることは誰でも想像する。
そして『秘め笑い』を解釈する場合、夕納言様のプロフィールを参照する必要がある。
分からないなら読み手が補完する以外にない。
麗しく若い女性に取った場合ロマンチックな秘め笑いを描くでしょう。
あどけない少女であったなら、甘酸っぱい恋の香りがするでしょう。
情熱的な女性であったなら、少々魅惑的(エロティック)に感じるでしょう。
◆私の答え:『秘め笑い』の解釈は、夕納言様の情報開示がない限り読み手の自由となりましょう。
え!吉春がどう解釈したかって? 言わせんなはずか……
真面目に行きます
これだけの詩が詠めるので、平安時代のやんごとなき夕納言様ですね
ふすまの向こうで……ゴクリ……
良き歌など詠まれて喜んでおいでです。
え! 違った? なら教え--。
1月3日の「陽光」の中に「秘め笑い」という言葉を使いました。
これは誰かを想う恋心と読み取られる用法でしょうか。
>「見知り顔の あの人の 姿も見ゆる」なのです。
私もそうだと思っていました。
追加で『あのひと』が、彼の世と此の世とどちらに属するか
また、詠み人との関係がもう少しくみ取れるように書くと良いと思います。
>昔のおめさ(貴方)と変わんねえ
こう入れたのは、残された妻が死んだ夫を忍んでいるようにしたかったのです。
良き言の葉と共にあらん事を
>昔のおめさ(貴方)と変わんねえ ⇐ 盆帰りしたあの人(吉春の付け足し、ここは読み手に任せる)
実はこの部分、書いてあるのですよ。
「見知り顔の あの人の 姿も見ゆる」なのです。
あとは、吉春さんの想像通り
また、吉春さんの解釈に則って私も楽しくコメントを読ませていただきました。
ブログの新旧は問いませんよ^^
気に入って頂けたものに、コメントを頂けると嬉しいです。
あまり細かい事は気にしないで下さい。
吉春さんのコメントは長くなりそうですからこちらにて^^
>頭はキツネの耳
>尻尾は九尾
でありたいと思いつつ
実は
チワワの耳と四尾なのですよ笑
そんなに乱れ髪的ですか?笑
有難くお言葉頂戴いたします^^
吉春さんの句も「詩/小説」にUPされるとよいと
思うのですよ。
今回戴いた句、私の詩の中での想いをしっかりと汲んで戴きまして
とても嬉しく思いました。
粋生さんやセカンドさんと名前を連ねてもらえるなんて、光栄です照
え お世辞ですか。でも、これも有難く頂戴いたしますよ。
いつも有難う御座います^^
しいて言えば、脂肪連合が結成されている場所かな?
他愛もない、ざれごとです。
身体をこわして以来、アルコールは体が毒物として反応するようです。
飲んだら即二日酔いみたいな酷いことに ^^;
でも、気に入りました笑
あっちってどっちでしょう?
放蕩夕納言ですね
gooooooodです!
旅の歌姫って感じがよく出ています (^^
ちがうかな?
この話題は面白いから、あっちで書いた方が受けると思うのは
気のせいだろうか……
おまわりさん、ここにおかしな人が!! 笑
せめて、「本都夕納言」にしてください笑
ぽんどから歌を詠んだら『ぽんどゆうな言』と詠み人付けたら良いと思う。
だめかな? ^^;
流石に除夜の鐘はまだですよ笑
でも、心の奥底で音が鳴るのです。
「£」これはポンド記号らしいです笑
友達検索で「ゆうな」と入れると沢山の人が出てきますので
頭に適当な記号を入れてみたのです^^
他意はありません。
なかなかコメントを書けなくて申し訳なく思っています。
長文のコメントを貰えてよかったですね^^
私は「大切な何か」が好きです。
「作家でごはん鍛錬場」ですか。
狭き門のようなサイト名ですね 汗
これからも、書き続けてください。
>お早う御座います↑どうしたのでしょう泣
>そういう時はコーヒーでも飲んで肩の力を抜いてくださいね
これ読んでくれたら消そうと思いますけど
例の小説投稿サイト
「作家でごはん鍛錬場」ってとこなんです。
れいの「夢の欠片」とか、他の戦国ものはコメント辛口ですね。
それよりも無視されてる感が強い。読むに値しないって評論なんですねきっと。
これが空回りしている所なんですね。
ところが、あるお方へコメントしたところ、嬉しくも長文のコメントをいただきました。
なんかもう少しやって見ようと言う気持ちが沸いてまいりました。
つうことで、コメディータッチの戦国ふぁんたじぃ来週アップすべく取り組み中。こうご期待!かな?
ではでは
さて。
「飽くこともなく」は息子の事です^^
小説は、本当に長丁場になりますよね。
全ての気力が奪われてしまいます。
たまには和歌を詠んでほっとしましょうね。
「夜這い星」に書かれた吉春さんの句の
「きみ」は男性なのですね^^
↓了解しました。
そう思ったら、なんだか嬉しくて、ぷっと(笑
来ただけなんです、ごめんなさい
それと、私の「ごめんなさい」も削除しておきますね
見る人が、いらぬ心配をしなくていいように
すべて「かな」にしちゃうと、自分でも意味が分からなくなっちゃうからw
読む人も「なにこれ、意味わかんない、小学生?」てなると困るし。
私の夢は、「美しいことのは」を綴ること。ありがとう。
蛇足ですが「”」は読む人が付けるみたいです。
「くものはさま」「まんよふひと」とするとなおきれい。かなw
>「夢端(夢の欠片)」
£ゆうなさんの、この感性に嫉妬してますw
これは、言の葉が美しい実を付けた例でしょうかw
これからも、師と仰ぎ詠む歌に詩に、学んで行こうと思います。
それでは
それでいて、漢字と織り交ぜていることに
何かしらの意味を持たせているのかなと思いました。
「あふるるは
くものはざまに
かかるつき
まんようじんの
かけしゆめはし」
これが本来の形でしょうか。
美しいではないですか。
かなを貫くのもいいと思いますよ^^
>あまり褒めると、天にのぼって、はなにかけちゃうぞw
ついでに天女を連れてきてください。
あまり褒めると、天にのぼって、はなにかけちゃうぞw
わざと「仮名」ではなく、
本当は全部「かな」にしたいくらいなんだ。
よかったら、下記のブログ見てください。
『想いを言の葉に乗せて(その2)』
万葉以前には「ことば」しかなかったんです。
私の言の葉の師匠は、おっしゃいました。
古代「かさ」と、口から発した音
かさをます
かさをさす
かさにきる
おりかさなる
かさふた
漢字を当てなくても、読み取れます。
もっとも後から、意味が通じるように、漢字を当てた。作った。
これが正しいようです。
平安時代の詠み人は、多くは「かな」で読んだはずです。
歌を訳す場合に、旨意に適した漢字に変えて、解説してると思います。
もしかしたら、詠み手の罠にはまっているとも知らずに。
三十一文字なんだから、色々な心模様を織り交ぜられたら良いよね。
言の葉は言の葉なれど、花にも実にも色とりどりに変われる。
「かな」の発する音声には、いろいろな情報が載せられている。
それをどう言う文字に置き換えて解釈するかは、詠み手の楽しみ、読み手の楽しみ。
自身で詠んでおいてなんだが、歌として月は橋に掛けてある。
万葉人は、月を架け橋として今に何かを伝えている。
今適当に解釈してみた。
まとめ
いろんな解釈が出来るのが「かな」
もったいないよね、漢字に置き換えちゃうなんて。
表の簡易伝言では書ききれませんから
此方に参りました。
「あふるるは
雲のはざまに
かかる月
万葉人の
かけし夢はし」
この「夢はし」の解釈ですが
通常ですと「夢橋」だと思うのです。
けれども、わざわざ平仮名で書かれたということは
「夢橋」だけでなく、手をかけようとする「夢端(夢の欠片)」とも
思えるようで、深く堪能しました。
また、「万葉人」ということばから、わざと「仮名」にしたのかとも。
吉春さんのみそひと文字は、とても洗練されていて好きです。
あてもなく こぬか雨降る しゅうかいどう
このみのはての 春や来るらむ
咲く花は、降り注ぐ優しさに泣きぬれ
行く夏は、照り付けてこれを泣かせた
そして今、ガラスをすり抜けて届いた
ささやいた、私よ、わかる?
わからない、なら教えてあげる
黄昏に 別れをおもひ かりの行く
きみの残した 紅葉のかほり
白い秋の光が
こんなにも優しかったなんて
振り向くと窓辺の月が
あなたの横顔を覗いている
夢の見方を知っていたら
私だけに教えて
月あかり 夢のこなたへ 続く道 笑顔の語る とわの思い出
>お気軽に覗いてみてくださいね。^^
はぁあい、また覗きにいきまふ。
これは忘れずメモ(今月の欠片)
灯篭(あかりかご) 舞うはあきかと 仰ぎ見て 天にのぞめる 星くずのはし
多分神様が吉猫を見て、哀れに思ったのでしょう。
どなたか存じませんがありがとう (^o^
1ヶ月に1回のペースという、ゆっくりの更新の私ですが
お気軽に覗いてみてくださいね。^^
お供えは 共によりそう 月見草 さやけし空に とわにむすばめ
秋の名月の下、二人は寄り添うように見上げていた。
通りすがりの旅人は、この様子を見て、
「おおこれは!まるで二人は、お月様への素敵なお供えの用だ」
「末永く結ばれるといいな~」
そして手を合わせると、旅人は嬉しそうに立ち去った。
こんな感じです。
どうもありがとうございました。
私は残念ながら、和歌をかいたりすることを
あまりしないので、意味が良く分からないのですが、
和歌とか詩が一言書かれていたりすると
とても素敵なものに変わりるなぁ~。と思いました。
もしよろしければ、気が向いた時にでもまた遊びに来てくださいね^^
すぐ忘れちゃうんで
お供えは 共によりそう 月見草 さやけし空に とわにむすばめ
楽しい解釈を有難う御座います。
にんまりと読ませていただきました^^
歌にある柱は、居酒屋の隣グループの話に首を突っ込んで酷い目にあい、御免なさいをした。
という風に、考えたほうがいいのかも。
これもあるあるだが、宵越しに家へ戻ると、上さんにこっぴどく叱られるお父さん。
床より低く、頭を下げるお父さんの姿に、哀愁を覚えます。
家族には迷惑だろうけど、こちらの方が頑張れ日本のお父さん、て感じです。
どんな柱なのかは、人それぞれにご想像ください。
詠んだ歌に訳をつけちゃうと、興ざめになりかねないのですが、
酔っ払いが、カーネルサンダースさんの実物大置物と衝突する場面。
これに御免なさいしてるコントは、お馴染みですよね。
それと、ここのママは馴染みなんだとか言って、
看板のお店を開けさせようとする酔っ払い。
梯子酒にもちろん掛けていて、ネオン街の海に梯子掛けても無理だろう。
絶対渡れないし、とどいてないし!
酔っ払いのあるあるでしたw
柱に「御免なさい」でしょうか笑
どうしても、「柱」と「梯子」が掛けられているように感じます。
↓ですか
>ごめんなさい、逆バージョンに心を責められて……
ごめんなさいは要りませんよ^^
そうなのか
たとへ他所の子であっても、転ぶ子供を起こさないでは居られない。
原始の昔から、人が生きる為に培ってきたもの。
獣でさえ持つというこれは、人が人たる所以のなせる業。
きっと、そうなのでしょう。
ごめんなさい、逆バージョンに心を責められて……
「わかっちゃいるんだ、妹よ」
お決まりの曲に追われて、旅立つ吉春であった。
美しい写真でしょう^^
見た瞬間に吸い込まれて行きました。
「小鳥」にも豊かな句を有難う御座います。
けれども、これは「母」とは限らないのですよ。
通りすがりの誰かでも良いのです。
そう思えば、心当たりがあるのではないでしょうか^^
(夢の欠片を集めて、皇女様をお迎えして、霧夢の国を蘇らせる物語。)
登場人物
吉猫:霧夢の国でいたずらをしてからは、夜寝ると猫の姿に替わるという魔法を掛けられてしまった。
ある時霧夢の国は、悪霧に覆われて存亡の危機に瀕した。
これを吹き払うには、大きな澄み切った、沢山の夢の欠片が必要だった。
皇女は夢我玉を授け、この力を使い国を救ってほしいと頼んだ。
紗穂:吉猫の操る夢我玉を見つけた紗穂は、お仕置きをする。
姿を現した吉は、事情を語り助けを求める。
吉はうなずく紗穂に、夢我玉の力を使い、駆けだしていったのである。
姿を変え吉猫にまたがった紗穂は、良い子の眠る枕元へ向かった。
今夜はきっと大きな、見たこともない世界へ行けるかもしれない。
そこではきっと、虹色に輝く夢の欠片が手に入るはず。
夢我玉を叩くように回転させて、子の夢へ潜り込む。
さて、二人の行く手には、どんな冒険が待ち構えているのでしょうか。
この続きやいかに……
(この物語は、どっかで聞いたような話です、そうなんです。)